始まり
今回の名前は
紅茶の種類から選びました
ちょっと無理に付けた名前もありますが
ぬるーい目で
お流し下さいませ
皆さま初めまして。
私の名前はルナフ・フランソワーズと申します。
お父様はディンブラ・フランソワーズ伯爵。
お母様はヌワラエリヤ・フランソワーズ伯爵夫人です。
私はフランソワーズ伯爵家の長女に産まれました。
今年12歳になります。
上に歳の離れた兄が2人と2つ下に綺麗で病弱な妹の4人兄妹です。
何からお話ししましょう。
…初めはきっと妹のキャンディーが産まれてからだと思います。
それまでもお母様に優しくされた記憶は有りませんでしたが、妹が産まれてからは…私はいらない子供でした。
家中の関心は全て病弱な妹の事でした。
お医者様から『キャンディーは5歳までは生きられないだろう』と言われた時のお母様の顔は今でも鮮明に思い出せます。
「お前がキャンディーの代わりに死ねばいいのに」
お父様はお母様をたしなめられましたが、気持ちの半分はお父様も思っていたのではないでしょうか。
妹が5歳になった頃には、私の居場所は亡くなったお祖父様が遺された図書室を兼ねた書斎と、自分の自室だけでした。
廊下でお母様に会うと『キャンディーは苦しんでるのに』と憎しみの目で見られて、幼いながらもそれを聞くのが嫌で、家の中を歩く時も誰かに会わないよう気を付けるようになりました。
妹の体調が悪い日のお母様の私に向ける視線は特に冷たくて、早く大きくなりたい、なって家を出たいと思っていました。
私が7歳の頃上の兄が学園の高等部を卒業して騎士になりました。
将来はお父様の領地を受け継ぎますが若いうちは『社会を見るように』とお父様が進めたそうです。
お母様は反対しました。
騎士は城の奥にある寮に入らなければならないので『寂しくなる』とお母様は止めさせたかったのですが、普段はお母様に甘いお父様ですが『これも領主になる勉強だ』と聞き入れませんでした。
2年後下の兄も騎士になりました。
次兄は継ぐ領地も無いのでお母様の反対もなく騎士になりました。
「もしキャンディーに何かあったら、必ず飛んで来てね」
お母さんは休暇で兄たちが戻ると毎回同じ事を言います。
兄たちも『必ず来る』と約束して寮へ戻っていきました。
帰ってきた時も、戻る時も、兄たちに私は見えない置物でした。
悲しいですがそれはお父様も同じで、帰宅されると直ぐにお母様の居る妹の部屋に向かいます。
私が玄関でお迎えしても一瞥して『ただいま』も無い暮らしでした。
妹の5歳の誕生日は盛大でした。
日頃屋敷でのパーティーをしたがらないお母様もこの日だけは特別でした。
私はお母様の希望で欠席でしたので部屋の窓から到着する馬車を見ていただけでしたが、色々な方がお祝いに集まって下さったそうです。
余命いくばくもない美少女をみんなで慰めました。
その時の御縁で後の私の婚約に繋がるのです。
妹は奇跡の誕生日を迎えてから、少しずつ、薄紙をはぐように快方に向かって、お父様もお母様もたいそう喜んで家の中が明るくなりました。
そんな頃私の婚約の話が出たのです。
お相手はフレーバー侯爵家の1人息子のラミン・フレーバー様です。
妹の5歳の誕生会で挨拶した幸運をお父様は逃しませんでした。
この婚約は両家の利害が一致して決まったお話です。
侯爵の地位があっても財政が苦しいフレーバー侯爵家と、綿の栽培と販売で財政が裕福でも名誉が無い田舎貴族のフランソワーズ伯爵家。
婚約する事でどちらも欲しい物が手に入るのです。
なのでトントン拍子で話しは決まりました。
お母様は最初ミラン様と妹の婚約を望みました。
まだ月の半分はベッドでしたが体調は回復に向かっていたからです。
ですが、その話は流れてしまいました。
お母様は妹が奇跡的な回復を見せて健康になった、と話していたのですが、妹の主治医はフレーバー侯爵家の主治医でもあるので、『病弱なキャンディーでは子は望めない』と言われたのだそうです。
事実を隠して妹と婚約させようとした事で、フレーバー侯爵家のお母様への不信感は高まり一時はお話が破談になり掛けました。
それを必死に取りまとめ婚約まで漕ぎ着けたのはお父様の苦労の賜物だと思います。
正式に婚約が公表された時、ミラン様11歳、私は10歳でした。
私にもミラン様にも愛情は無く、双方の両親に言われて結んだ婚約でした。
初めてミラン様と対面した時の事は忘れられません。
お父様とお母様に伴われてフレーバー侯爵家を訪ねました。
その日のために初めてお母様からドレスをいただいて、私は嬉しさで舞い上がっていました。
その嬉しさ打ち砕くようにフレーバー侯爵夫妻は苦い顔で私を見ました。
その次にお母様を冷たく見てから、フレーバー侯爵夫妻は頷き合っていました。
何故苦い顔をされたのか、その時の私には何も分かりませんでした。
私を見てミラン様がおっしゃいました。
「私にこんなブスと『婚約しろ』と?お母様、お父様は本気で言っているのですか。骨太で顔も不細工で、何でこんな子とこんや…」
「ミランっ」
侯爵夫人がミラン様をたしなめられましたがミラン様は不機嫌を隠しません。
「あんな綺麗な母親からこんな娘が産まれるなんて」
ミラン様の言葉は鋭いナイフでした。
それは家でも言われてきた言葉だったからです。
お母様だけでなく、お母様の召し使いのような執事や使用人まで私を前にして平気で言うので『不細工』なのは私が一番自覚していました。
お母様は美しさで使用人を選ぶくらい美に執着する方なので、私の醜さが許せないのでしょう。
言われ慣れていたはずなのに、その時はやっと話せる方が出来る、と希望を持っていただけに深く傷付いてしまいました。
私が泣き出してしまった事でお父様は黙って席を立ちました。
侯爵夫妻とミラン様に一礼するとさっさと帰ろうとします。
私は急いでお父様を追い掛けて謝りました。
「ご免なさい。ご免なさい」
「お前のせいではない。お前の姿形はフランソワーズ家の血を継いだ証明だ。お前はわしのお婆様に良く似ておる。血を貶められてまで進める話は無いのだから」
お父様は視線を侯爵夫妻に向けた後、待たせていた馬車に戻りました。
馬車の中で、お母様の怒りは私に向けられました。
「お前がキャンディーのように美しかったらこんな恥をかかずに済んだんですよ。あなたはフランソワーズ家の恥です。何故小さい時にキャンディーの代わりに死ななかったのかしら」
「止さないか。それが我が子に言う言葉か」
「でもあなた…」
「この子はフランソワーズ家の血を強く受け継いでおる。この子を貶める事はフランソワーズ家を貶める事になるんだぞ」
お父様の怒りが自分に向きそうな気配に、不本意そうでしたがお母様も黙りました。
私はお父様に良く似ています。
一人娘で婿養子を迎えたひいお婆様に似ているかは分かりませんが、お父様を女の子にしたら私になるくらい似てると思います。
思えば兄妹4人の中で私だけがお父様似でした。
2人のお兄様も妹もお母様に似て美しくて華がありました。
何度羨ましいと思った事でしょう。
私も3人の半分でも美しかったら…神様は残酷です。
翌日、フレーバー侯爵夫妻とミラン様が家を訪ねて来ました。
侯爵夫妻に叱られたのかミラン様は嫌々お父様に謝って、お父様は私に聞く事もなくその謝罪を受けました。
直ぐに正式に婚約が交わされ、公表されました。
公表を急いだのは侯爵家の財政が逼迫していたからです。
婚約を機にフランソワーズ伯爵家からフレーバー侯爵家への融資が始まりました。
借用書は取り交わしますが期限の記載も無く、私とミラン様が結婚すればそれまでの融資が『持参金』の名前に変わるのだそうです。
それからは週に1度フレーバー侯爵家から迎えの馬車が来て、フレーバー侯爵夫人と2人だけのお茶会に招かれました。
立ち居振舞い、お茶の煎れ方、扇子の使い方、毎回厳しくチェックされました。
多少見られるようになると平行して話術も教えられました。
「良いですか、夜会では口数は少なく気持ちは扇子で表すのですよ」
何度も何度も繰り返して、侯爵夫人から及第点を貰えるまで1年近く掛かってしまいました。
2人だけのお茶会の中で、侯爵夫人は初日から然り気無く家の事を尋ねられました。
「お母様の趣味は何をなさっているのかしら?」
「母はほとんど妹の看護に付ききりで…」
「そうなの、あなたもお手伝いするの?」
「妹が私の健康を恨ましがると言われて…妹の部屋には入れて貰えません」
11歳の私は侯爵夫人が何を考えて私から家の事を聞き出そうとしているのか分かりませんでした。
聞かれるままに私は言葉少なに答えました。
何回かお茶会を重ねた後、侯爵夫人から尋ねられました。
「先日ミランからカードと小さな花束が届いたと思うのだけれど」
「はい。ありがとうございました。今度ミラン様にお会いした時にお礼を言おうと思っていました」
「お母様は返事を書くようにはおっしゃらなかったの?」
「…はい」
その会話で分かりました。
婚約者からの手紙と贈り物には返事を書くべきなのだと。
恥ずかしさを我慢してお返事の書き方を教えていただきました。
「ルナフは字が綺麗ね。毎日勉強してる賜物ね」
「ありがとうございます」
「先生はどなた?」
「先生に付いては勉強していません」
祖父の図書室での独学だと話すと、侯爵夫人はにこやかに頷きました。
「お父様に先生を紹介させていただくわ。明日からはお茶会が無い日は習いなさい」
「…はい」
翌日から勉強の先生、マナーの先生、ピアノとバイオリンの先生が家に来るようになりました。
お父様はその出費に顔をしかめましたが、侯爵夫人から『出来ないのなら侯爵家の嫁には迎えられない』と言われ渋々習わせました。
それを知って、お母様は対抗するように妹にも同じ教育をさせるようお父様にねだりました。
きっと…その頃から侯爵夫人への対抗意識があったのでしょう。
お母様に弱いお父様は直ぐに妹の先生を探しました。
「1番の先生じゃなければ嫌よ」
お母様の言葉にお父様は頷かれたそうです。
後から思うと、お母様の中で侯爵家に嫁ぐのは不細工な私ではなく美しい妹でなければ許せなかったのでしょう。
そんな事とは知らず、私は毎日の勉強をこなすだけで精一杯でした。
1つ覚えたらまた1つ増やされるので際限もなく習う事が増えて、私の1日はお茶会と家庭教師たちとの勉強で、塗りつぶされていきました。
侯爵夫人のお茶会が始まって3ヶ月もすると暑い季節が巡ってきます。
「季節事の装いがあるんですよ」
私は何も言えませんでした。
私の服は季節毎に2枚づつしかありません。
「嫌ならキャンディーのお古を着るのね」
お母様からそう言われてしまえば私に選択権はありませんでした。
今年はドレスを買ったからと小さくなった服の買い換えはして貰えなかったのでたけの短い去年の服を着ていたのです。
「その服の見立てはどなたが?」
「お母様か執事か使用人かと…」
「あなた付きの使用人かしら?」
「いえ…私付きの人はいないので…」
大きい体を小さくする私に、侯爵夫人はそれ以上聞いて来ませんでした。
私の服は使用人が着る服と同じ麻か綿の服です。
お母様や妹のような絹の服は顔合わせの時の1枚しかありません。
それを自分の口から言うのは辛かったので、聞かれなくて良かったと本気で思いました。
私が侯爵夫人とお茶している時間、ミラン様はほとんど同席なさいません。
来年から学園に通うのでその準備の勉強をしているのだそうです。
私はまだ初対面の苦しさを消せないでいたので出来るなら会いたくありませんでした。
ですので、月に1度のミラン様を招いてのお茶会は苦痛でした。
「ミランが入学するまでもう半年もありません。そろそろ打ち解けないと学園で変に見られてしまいますよ」
侯爵夫人がその後出してきた提案が狂う歯車を加速させたのだと思います。
ミラン様から1年遅れて私も学園に入学予定なので、園内での会話が不自然にならないよう侯爵夫人は配慮したんだと思います。
礼儀的な手紙とプレゼントのやり取りはあっても、顔を会わせると会話の無い私とミラン様を侯爵夫人は危惧したのではないでしょうか。
この時の私は学園内のしきたりを知りませんでした。
「これからは週に1度ミランをあなたの家へ向かわせます」
お父様は『分かった』と頷くだけでしたが、お母様はいそいそと支度を始めました。