6月27日 ~プロローグ~
「ナル!」
俺はぼんやり窓の外を眺めている女子生徒の頭をはたく。
「……ねぇ、先生。私、先生が担任になってから何回叩かれていると思う?これって体罰じゃないの?」
「叩かれるようなことをする方が悪い」
強く叩いたわけじゃないが、恨みがましい視線を送られる。
彼女の名前は大平成。理系教科が得意な彼女は、俺の教える社会の授業中は九分九厘、睡魔に襲われている。決して成績が悪いわけではないのだが……
「だってさ、あの雲がピラミッドみたいだったから」
窓の外にはピラミッドにも見える巨大な入道雲が浮かんでいた。まさに夏真っ盛りと言った天気だ。
「確かに良い陽気だな。だが、授業には集中してくれ」
「は~い」
俺の切実な願いに気の抜けた返事が返ってる。
「では、ピラミッドに関連してワークシートの問3の質問だ」
「げ。」
露骨に嫌そうな顔をされる。
「古代四大文明の一つに数えられる古代エジプトの君主の称号は?」
「……フェラオ?」
「わざと言ってんじゃねぇだろーな?」
「……?」
ナルが怪訝そうな顔をしたため、本気で言っているのかと脱力する。
「正解はファラオ。有名なところでは、古代エジプト最後のファラオ、クレオパトラかな」
「ああ!それなら聞いたことがある。世界3大美人だっけ?クレオパトラ、楊貴妃、小野妹子」
「1人遣隋使が混じっているがまぁいい」
本当はよくはないが話を進める。授業の時間は限られている。
「この古代エジプトもそうだが、文明は大きな川の近くで生まれるんだ。では、ここで問4。中国文明はなんという川を中心に発展したか?」
「テンガ」
「やっぱりわざとだな!」
「ぎゃん!!」
俺は小生意気な口を叩くナルの頭に参考書を落とす。
ちなみに正解は黄河だ。
「この体罰教師!教育委員会に生徒を殴って淫語を言わせてる教師がいるって訴えてやる!」
「おう。やってみろ。もし懲戒になったら最高裁まで戦ってやる」
自分でも相当態度が悪いと思うが、これがナルに対してよい距離感だと思う。
「今日はやたら授業妨害が多いな。外を眺めている時間も長い」
俺の呆れた一言に彼女はバツが悪そうに目を伏せる。そしてチラリと窓の外に視線を移す。
「……外に出たいな、なんて思って……」
「いや、死ぬほど熱いぞ。今年一番の暑さだ。クーラーの効いているこの部屋にいたほうがいいぞ」
「そうだけどさ、ずっと病室じゃ気がめいる」
彼女は病室での生活が長く同級生との付き合いがほとんどない。県外に住む両親とは疎遠で近しい関係の人間もいない。
ナルの寂しそうな横顔に俺はなんとも言えない気持ちになった。
「……よし、次回の社会は院外に出て実習にしよう。病院の許可はとっておくから」
「マジで!やった~!!」
「じゃあ、次回を楽しみに今日は集中しろ」
「は~い」
ナルの元気のよい声が病室に響く。その後は俺の淡々とした声が続いていく。
二人の声の他には蝉の声が閉め切った窓から微かに聞こえる。2人きりの授業はまだまだ始まったばかりだ。