19話 いい夢見れた?
気がつくと俺は、通い慣れた場所にいた。
大きな黒板が前面に掲げられ、規則正しく並んだ机には広げられた教科書とノート。そしてクラスメイト達。
そう、ここは学校だ。
「おかえり」
隣の席の女の子が声を掛けてきた。
「いい夢見れた?」
相手は―――春香だ。
「春香?………なんでっ!」
驚いて椅子を吹き飛ばす勢いで席を飛び立った。突拍子も無い叫びはクラス中の注目を集めた。
「どうした長瀬」
授業中における生徒の奇行に対して先生は取り乱すことなく落ち着いた様相で問うてきた。
「え…いやその………」
「まぁいい。立ったついでに答えなさい」
「えっと…その~……」
『―――――エル』
「え?」
春香が小声でなにか言っている。全神経を耳に傾けつつ唇を読む。
『―――スコザビエル』
『ザビエル?』
『サンフランシスコザビエル』
「さ、さんふらんしすこ……ざび、える」
俺の答えに教師は返事を返さない。長い人生に刻まれたしわで細められた目が無言のプレッシャーを感じさせる。
徐々に教室のあちこちから小さなせせら笑いが沸いてくる。
「……………座りなさい。今は数学の時間だ」
恥ずかしさをこらえ静かに席に着く。春香はそんな俺を横目に悪どく笑っている。
こいつ、やりやがった。
怒りをあらわにひと睨みかましてすぐにそっぽを向いてやった。
なんだってんだ。なんでこんなにラフな空気なんだ。ったく、大変な目にあって帰ってきたばっかりだってのに。
ついさっきまでの出来事を思い返す。頭の中がふわふわしてずっと遠くの出来事の様に感じられるけど、わかってる、あれは事実だ、夢じゃない。
真理世界
罪、運命、脚本家、創造者達
神、主人公
自分はなんなんだろうか、今いる場所は本物の世界だろうか、いま隣にいる春香は、なんなんだろうか。
僕は隣の席の春香を見る。春香はそれに気づいて笑ってみせる。
単に笑い返しただけなのか、それともすべてわかっているのか。色んな可能性が頭を巡って考え過ごしてしまう。
はぁ…まったくなんだってんだ。いろいろあったわりに結局なにがなんだかさっぱりだ。
向こうの世界で会った人たちも好き勝手しゃべるばっかりで説明らしい説明なんて全然してくれない。
主人公(代理)である俺の存在が重要というわりに蹴ったり斬ったりのしつけられたり随分な扱いばかり。
この非日常に振り回されてばかり、こうして当たり前のように授業を受けている今も…
学校が終わるまでおとなしくしていた。
大抵のことは黙って受け入れる心構えで自分のおかれた状況を観察した。
というのも、今いる世界がおかしい。
どうやら今の俺は2年生になってるらしい。
学年が変わったのなら、クラス替えがあって春香が同じ教室にいたとしてもおかしくない。
その春香が一緒に帰ろうと言ってきた。俺もそのつもりだったしちょうどよかった。
俺にとって世界の変化の糸口は春香しかない。とりあえず春香を見極めないといけない。本物か、前に会った偽者か。そしてどちらにしても話を聞かなきゃいけない。
帰り道、春香と他愛の無い会話。いや、いつ話を切り出そうかと考えて込んでる俺の横で春香が一方的にしゃべっているといったほうが正しいかもしれない。
相変わらず春香はよくしゃべる。毎日が繰り返しで代わり映えしない日常を過ごしていて、よくまぁ話題が尽きないものだといつも思う。
とりあえず黙っててもしょうがない。回りくどいのも苦手だしストレートに聞くか。
「なぁ春香」
「なぁに?」
「おまえ、本物か?」
「…………?なにが?」
「だからお前が、俺が前から知ってる春香か、それとも俺をハメたやつか。答えろ」
「そんな、ハメただなんて…エッチ」
「ばっ!おまっ――、ふざけてんじゃねぇよ」
春香はワンステップでギリギリまで顔を近づけておでこに手を当てる。驚いて咄嗟に身を引く。
「な、なななにしてんだよ急に!」
「ふふっ、熱でもあるんじゃないかと思って」
「ねぇよ馬鹿!」
「だって顔真っ赤だよ」
「うるせっ」
俺がこんなに騒いでるのに春香は相変わらずひょうひょうとした態度で笑っている。
「どうしたのよ、そんなに思いつめて。なに悩んでんだか知らないけどちゃんと説明してくんないと。勝手に決め付けられてわかってる風に聞かれたってわかんないよ」
「だってお前」
「今の悠嫌い、先に帰る。また明日ね」
春香は先にいってしまった。
まぁ実際はそんなに怒ってるって訳でもないだろう。俺の知ってる春香ならの話だけど。
ベッドに入ってからも色々考えてた。
春香にはちょっときつく迫りすぎたかなと反省した。
あの時は考えてなかった3つめのパターン。本物の春香でも、前の世界で俺に危害を加えた春香でもない。何も知らないでこの世界に普通に存在する春香だったとしたら。よくわかんないけど、もしそんな感じの春香だったら悪い事したなと。
「やっぱり駄目だ」
考えるのをやめて寝返りをうった。
いくら考えたってなんもわかんないし結局なにかあるにしてもそれが起きるのを待ってるしかない。
流されて巻き込まれてなにもできない。
このままじゃ駄目、自分の置かれている状況を理解したいと思いながら初めて向こうにいったときからずーっとなにひとつ理解できないまま今日まできた。
そもそも現状が理解の範疇を超えているからしょうがないといえばもっともだけど、その中心にいながら知識も実感もないなんて。
とにもかくにも巻谷の時みたいな事がなければとりあえずそれでいい。なんでもいいから平和に過ごしたい。こんなわけのわからないのはもう疲れた。とにかく寝る。なにがあっても今日は寝る。
そう思った矢先、メールの着信音が部屋に響く。
何時ぞやを彷彿とさせるパターン。暗闇で光る携帯の画面には春香の名前が浮かんでいる。
思わず溜め息がもれる。気が進まないけど見ないわけ無いはいかない。
俺はメールを開いた。
『助けて!』
タイトルの文字が目に入って俺は息を呑んだ。