深まる力の疑問
シオンの突拍子もなく、真意が掴めない質問に男は膝を屈しながら聞いていた。すぐには返答ができない。それは答えへの拒否ではなく理解できないことへの思考停止である。
だが、男は正確な答えを導き出すために考えに考え抜いた。結果、分からなかった。見るからにこの男、シオンは神への背信者である。だが、そんなことは見た目と所業だけの話だ。
現に凶悪犯であろうとも神を崇拝する者は多い。その場合は異端だとか世間ではされいるが、神を信じるとは個人がそう思うかに委ねられるのが実情だ。諸々を含めての問いなのかすら判断しかねる。
それに信教者であろうとも本心までは誰にもわからないのだから、尚更質問の意図が掴めずにいた。
「そうか答えないか……じゃあ……」
時間を掛け過ぎたのかシオンは中腰になって男の額を片手で鷲掴みにする。
暗転する視界で男は涙を流した。首を絞められるよりもよっぽど怖いと感じたのだ、この作りだされた暗闇が……。
意識せず歯はカチカチと警告音を発し、男は深い息を繰り返す。吸い込む酸素より明らかに吐き出す冷たい息。そんな状況で冷静になれるはずはない。こんな状況で落ち着けるはずがない。
「正直に答える、答える……」と唇を小刻みに噛みながら発し懇願した。そして。
「俺は神を信じたことはない、ホントだ。嘘じゃない。神はいると思うが、飯を食わせてくれるわけじゃない。俺たちは腕一本でのし上がって来たんだ。神様じゃなく自分の力で……だ、だから……頼む、俺には娘がいるんだ……」
唇が震え、涙は留まるところを知らず。男は喉を限界まで震わせて唯一の心残りの言葉を紡ぎ出した。
それは発さなくてもよかったのかもしれない。しかし、男にとって死ぬと分かっていれば娘だけを残して一人先に逝ってしまうことはどうしてもできなかった。
冒険者なんて命を張った仕事をしていた彼だが妻を亡くし娘もこれからという時期。これを機に安定した職種に転職するつもりだったのだ。だからこそ、嵌めを外し過ぎてしまった。後悔しても今更だ。だったら少しでも同情を……娘のために生きなければならない。
だというのに同情の余地は欠片も考慮されず……それどころか最悪の言葉が発せられる。
「そうか、それは良いことを聞いた。お前の娘も殺す必要が出てきた」
「そんな……! た、頼む、お、俺はいい、もういい。だから娘だけは……」
彼の名前も周は何一つ知らないのにも関わらず、男は完全に殺されると決めつけていた。それは確信にも近い。
「いいだろう」
「ハァハァ……えっ!?」
「答えが気に入った。お前も娘も生かしてやる……だが……」
周は男の額を掴んでいる手に力を少しだけ込める。爪が皮膚に食い込む所で押し留め。
「言ったな、お前は俺たちのことを口外しないと……」男は苦痛に耐えながら力強く頷く。
「誰かに話せば殺す、お前の眼の前で……娘を……必ずだ。国に情報を提供しても殺す。お前の娘が助かる方法はわかるな?」
「わ、わかった約束する。命に賭けても……」
「お前の命などいらない。賭けるのは娘の命だ」
その言葉に男はビクッと身体を震わせたが、静かに頷いた。
「だが、この死体についてお前が黙秘を続ければ意味がない。見知らない男に襲われたとか情報を流せ、最後に……有り金全部置いていけ、こいつらの分はお前が抜いておけ、物取りと言えばいいだろう」
男は凄い勢いでポケットを弄った。そして少しばかりの小銭が周の手に載る。未だ手で男の額を掴んでいるが、何故かそうすることが一番良いと頭が感覚的に告げていた。
ただ掴まれていた男は一度たりとも恐怖から瞳を開けることはなかったのが、結局は良かったのだろう。
「良いだろうお前は生かしておいてやる。立て……お前の名前は?」
「……トルネオ…………トルネオ・イナフ……」
「そうか、運が良かったなトルネオ」
目を覆ったまま男を立たせると、路地裏を塞ぐように反転させる。手から解放されても男は涙で湿らせた瞼を塞いでいた。
背後で周は女を抱きかかえ、ズボンに挟んでいた濡らした布を引き抜き額を拭おうとしたが。
「チッ!」
また血を含んでしまった布を忌々しげに捨てた。
そして立ったまんまの男に歩み寄り、耳元で囁く。
「努々忘れるなよ……それと何をしているのか知らないけど、今の仕事はやめるんだな。お前は人を殺すのに向いていない」
コクリと弱々しく頷いたのを確認した周は通りとは反対側に走って行った。騒ぎが大きくなる前に距離を取った方がいいだろう。
本音を言えばあの男からこの世界のことを聞いておきたかったが、そうも言っていられない状況に変わりつつあったのだから仕方がない。
夜闇の中とは言え、女を抱えて走るのはあまりにも不審過ぎる。それでも灯りの元でこの格好を見れば誰であろうと警戒心を抱くに違いない。
貰った金を女のポケットに突っ込む。残念ながらシオンが来ている服にはポケットすら着いていなかった。
どれぐらい走ったのかシオンの身体ではまったくと言って良いほど疲労感を感じないが、月は頂きから少し傾いているように感じる。深夜を回ったのだろうが、遠くでは賑やかな明かりがちらほらと見えた。
そして――!!
「ここもか……」
そう彼此1時間ほど前になるだろう。この国をまず離れることを考えた周はひたすら直進していた。だが、城壁のような高い壁にぶち当たり、その壁に沿って回っていたのだ。ここに来るまでに3つほどの城壁を文字通り飛び越えてきたのだが、最後にぶつかった城壁はこれまでの倍の高さがある。
彼女を抱えたままでも大丈夫とは思ったが、万が一しくじって落下すれば彼女に掛かる負荷は相当なものだろう。これまでも起きはしなかったものの手荒いことに違いはない。
そう考えた時、周は飛び越えるのをやめた。
入国する際の検問所は常に明りが灯っており、処刑場で見た兵士の格好した者が何人も常駐しているのが見えたのだ。当然こんな風体では通れるはずもなく、仕方なく周は外周を沿うように抜け道を探していた。
ただ城壁の上にも哨舎があり、常に明りを持った見張りが立っている。
そんな時、ガタゴトと地面を不規則に叩く音が後ろから聞こえ周は草むらに身を隠しながら窺った。検問所へと続く一本道をこちらに向かってくる2頭立ての幌馬車が見えたのだ。
こんな時間に出国できるとは普通に考えればありえないが、これが千載一遇の機会であるのは確かだった。
頬を上げて運が良いと女を担いで凄まじい速度で背後まで回り込む。