残される疑問と報い
「【ヘルズファイン】?」
「ハッ! 甘く見過ぎたな」
反芻するシオンとは裏腹にオウレンは鼻で嘲笑した。
「あれは破格の魔法具だから、そりゃ見つからないんじゃせっかくシオンを罠に嵌めてもここから離れられないよな」
「どういうことだ」
シオンは粗方知っているであろうオウレンに問い掛ける。
彼の顔はざまあみろとでも言いたげに悪い表情で、できれば今は関わりたくないと思わせる顔である。そうもいっていられないのだが。
するとオウレンは手短に目線だけを一度シオンへと投げて語りだす。往時を思い返すようにオウレンの目は遠くを見ているようであった。
「そうだったな、俺たちは押収した金品を全員に分配することで給金としていたんだが、稀に魔法具やそういったお宝が出てくる。その場合は仕事の功績に応じて給金の代わりに支払う決まりだった。お前はいつも最低限の給金分しか差し引かずに他を活動費に充てていたが、ある仕事で帝国に潜伏した際にお前が襲撃地から持ち帰ったのが【ヘルズファイン】だ」
後を引き継ぐようにハロルドが忌々しく口を開く。たったそれだけのことに頭を悩まされてきたといった目つき。
「お前は一方的に自分の所有物にしやがった」
「それは違うぜ。これまでのシオンの働きに全員が一致して賛同したはずだ。確かお前だけは最後まで一物抱えてたな」
「剣も扱えない奴には宝の持ち腐れだ」
「まぁな、価値はある代物だったからな……つまり、それを得る為に裏切ったのか」
「それもあるという話だ」
オウレンは親指で背後にいるシオンを指差し。
「一杯喰わされたわけか、だが、この通り今のシオンは【ヘルズファイン】の存在すら覚えていない」
「どうだかな、拷問すれば吐くだろう。なに、すぐに思い出すさ」
顎で部下に命令するハロルドは、髭を擦りながら背を向けて部屋に戻って行った。
「俺とやりたきゃ、上がってきなオウレン」
最後に手招きするようにハロルドは後ろで手を上げる。
それを見るや、オウレンはニカッと不敵な笑みを張り付けて許可を求めるようにシオンへと振り返る。
その意味を察するとシオンは呆れたようにため息を溢した。
「構わんが、殺すな、気が変わったあいつには拷問を受けて貰う。まさか人にすると言って自分が拷問されて文句を言うまい?」
「……当然だ」
オウレンは醜悪に口元を歪め、シオンに一拍程間をおいてから答えた。
以前のシオンに関する情報はオウレンがいれば問題はないだろう。寧ろそれ以上の情報をハロルドが知っているとは考えづらい。
扉に向かって悠然と歩くオウレンは通り過ぎ様に数人を軽く斬り伏せていった。
その背中が楽しそうに見えたシオンは「戦闘馬鹿というのはあってるな」と漏らす。
「シオンさん……」
か細い声が聞こえシオンは表情を意識して戻した。
「どうした?」
「あの……できればでいいんですが、できるだけ酷いのは……」
「わかってる。あんな連中に手心を加えるつもりはないが善処しよう」
しかし、シオンは素手だ。
さすがに血を出さないということでもないだろう。首を吹き飛ばしたり、残酷なことをしなければいい。
こんな連中を殺しても復讐の足しにもなるまい。
「どの道殺すがな」
小声で呟いた声はシオンだけが認識することができた。
だが、殺すにしてもどうするかという疑問が湧いてくる。優しく殺すかでの条件下の戦いで、シオンの思考は殺すため以外の選択肢が少ない。端的にいえば、手加減が難しいのだ。
ともあれ、そういう意味では自分が殺戮の考える余地が出てくるのは良いことだ。
全てが戦闘のために特化した瞬時の思考だけではいざという時に引っ込みがつかなくなる。ユイネの願いは思わぬところで試す必要性をついていた。
彼女に言われなければ気付けなかったかもしれない。感情の赴くまま、望む復讐のままに蹂躙していただろう。
ならばとシオンは考える、現状すぐ試すにはユイネという保護対象もいるため、一先ず殺すにしても直接シオンが手を下さない方法が最善である。
そして、ハッと面白いことを思い付く。
シオンの視線は賊ではなく、その背後――正確には周囲に林立するエンピリアツリーへと向いていた。
この程度の相手ならばユイネを守りながら戦うのは容易い。
万が一にも背後を抜かれるということはないだろう。
残された賊はシオンを見て肩の力を抜く。
彼らの中には以前、シオンの元で協力していた者も少なくない。だからこそわかる。確実に優劣のついた一方的な殺しであると。
粗野な輩独特の、侮りがはっきりと現れ始めていた。
「オウレンさえいなけりゃお前なんてなんの脅威もない」
そう発した男は禿げ上がった頭の下で湾曲した剣を手首のスナップだけで振り回す。
ハロルドの話を聞いていた賊たちは下卑た視線を背後のユイネに向けて舌を出した。
「シオンは半殺し、女は好きにしてもいいはずだ」
「順番はいつも通りだからな」
歓喜の声音は俗悪を含め、男たちの期待を膨らます。
声を上げた男が首を鳴らし「ヒヒッ」と唾液を垂らした。
瞬間――。
男は内部反響するゴキッという音に嫌な予感を湧きあがらせる。準備運動のつもりで首を曲げ過ぎたか、と熱を帯びた首に手を添えようとする。
「はれ?」
男の視界は真後ろに向いていた。仲間の恐怖におびえる表情を見て「悪いが手を貸してくれ」そう言おうとしたが。
「ばびうが、べをがじでぇ……」
声が上手く紡ぎだせない。呼吸は苦しく……いや、呼吸ができない。眼球が上へと引っ張られるのに逆らえない男は景色が地面に近づいていることだけはわかった。
その中で見覚えのある顔が映る。
堪え切れずシオンは一瞬で男の傍に移動すると顔を手の甲で叩いた。血が噴出しないように手加減しながら。
その結果、男の頭は捻じれながらほぼ真後ろに向く。
「やめだ。お前らは殺してから魔物の餌にする」
シオンは指を鳴らして怒気を込めた。その瞳はまるで虫けらでも見るように冷ややかだった。
背後で鳴るか細い悲鳴はユイネが目を見開き、口元を抑えた隙間から洩れたものだ。
意識が飛びそうになる光景に彼女は唇を噛んで何かに耐える。
「や、やめ……」
「やめて」と言葉を紡ぎそうになるのを必死に堪えた。彼女も馬鹿ではない。彼らのような賊がいる限り安心して過ごせる場所などないのだろう。
両親を殺されてもなお、人が死ぬのは悪人だろうと彼女を苦しめた。
次々に命の灯が潰えていく。
いとも簡単に、容易く、抗うこともできずに鼓動を止める。本来あってはならない、生命の儚さがここに繰り広げられた。
子供が食べ物で遊ぶように、食器など最初から意味がないほどの散らかりよう……そこに規則性もなく、飽きるまで続くのだ。そんな児戯にも同然の光景があっという間にできあがる。
ユイネは視線を逸らさない。わかっているから、人が人を殺すことは珍しくはない。あってはいけないことだが、なくてはならない死。
争いなんか嫌いだ。
平和な世界になんでならないのか。
両親と暮らした十数年が嘘のように色褪せていく。あんなに充実した毎日が現実へと引き戻したあの日を境にユイネの思い出を浸食していく。
世界は本来もっと美しい物で満ち溢れているはずだ。そう言い聞かせて記憶を保ってきた――あの日々を忘れないために。
(でも、でも……)
目の前で繰り広げられる殺し合いにユイネはわからなくなっていく。
死の上に平和が成り立っていることがどうしようもなく納得できない。そんな物なくても平和であり続けることはできるはずだ。
混乱する思考はシオンという男が現実を体現しているような人間として映す――負を、死を背負う姿に。
覚悟はしていた。頭でも理解している。争いや殺し合いはきっと毎日のように起きている。今の光景もきっとそんな僅かな一つでしかないのだろう。
しかし、ユイネの目の前で起きていることも事実だ。
もう何もわからなくなってきた。
ユイネは一筋の涙を流して意識を手放す。




