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巡り巡る


 遠見周とおみ しゅうの生はとても退屈なものだった。命が芽吹いたその瞬間から彼の身体は病巣に犯されていたのだから。17年というのはきっと長い方なのだと気付いたのは物がわかって理解できるようになった時のことだ。



 両親の眼、主治医の表情、それらの放つ……匂い立つ不安や恐れの色に気が付いた時、彼は短い生涯が更に短くなるのだと確信した。しかし、それは他の人間よりも少しだけ不運なだけの話だ。

 そんなことよりも彼には短い時間を有用に使うことができなかったことのほうがよっぽど苦しかった。

 病室での生活は長くゆったりと時間が流れる。それこそ全てがスローな世界へと豹変してしまったかのようだ。



 そんな彼も病巣に蝕まれていたとは言え、一度も外を知らないわけではなかった。小学校はそこそこに行けていたし、中学校も半分以上を休んだとは言え通学することもできた。テストも病室で受けさせてくれた。勉強は好きじゃなかったが、嫌いでもなかった。

 することがそれ以外になかっただけの話だ。それでもやることがあるだけマシだったのだろう。本を読むだけの日々は知識以上の退屈を齎した。やはり身体を動かしたいという衝動は若い周には抑え難かったが、身体が言うことを聞かないのだからしょうがない――もどかしくてしょうがない。



 高校生になって入学式で倒れてからずっと入院だ。友達を作る間もなかった。その頃だっただろうか、初めて満足に動かない身体に巣食う病を周が憎んだのは……憎悪したのは。



 彼は子供ではあったが周囲を困らせる我儘は言わなかった。退院したいとは一言も発さなかった。

 遠見周は人を憎んだり一切しない優しい人間に育てられた。他人から悪意をぶつけられるほど深く関係を築いたことがなかったからかもしれない。それも含めて周は優しくあるように育てられた。

 元々中性的な顔立ちに病院での生活が長い所為か髪も長く伸びていた。看護婦は「鬱陶しくない?」と聞くが、周にとっては長くなる髪が生きていることを実感させていた。だから肩に着くほど長くなった髪を切ろうとは思わなかった。


 

 そんなんだから、彼を知らない患者はトイレなど周を見ると間違えて女子トイレに入ってしまったのかと再確認する時もあったが、そんな時彼は笑って「合ってますよ」と教えてあげるのだ。



 一日をベッドの上で過ごす程悪化するまでは自分の身体を顧みず他人を気遣う心優しき少年だったし、あろうともしていた。車椅子を使っている患者の後ろを押したり、骨を折ったという子供の病室で話相手になったりと、病院内でも彼の評判はすこぶる良かった。

 周自身も本心から行い笑顔を絶やさない人間であり、善行を善行だとも思わない善人で、当然のことを当然のようにできてしまう。


 だからこそ覚ってしまう。いよいよもって主治医の顔色が悪くなるその変化を。健気に治る、治るからと同じようなことを何度も繰り返すが彼にはわかってしまう。彼に向けられる同情とも取れる周囲の視線が、言葉が覚らせる。もうダメだと、良く頑張ったと。



 気持ち悪い程の優しさが彼には不満で不服で遣る瀬無かった。動くこともできなくなりベッドで長い一日を過ごすようになってからは一層だ。誰にも責任はない。ならばこれは自分の運命なのだと歯を食いしばるしかなかった。他人を羨むこともせず、受け入れる。妙に物分かりが良かったが、それも病魔と共に生まれてくれば自然とそう思えてしまう。



 親が病室に現れる頻度も以前は週に2・3回だったのが、作り込んだ表情の度合いに合わせて増していく。

 そして周自身も作った表情で健気に振る舞う演技も日増しに増えていった。



 だからだろう。着実と命の蝋燭が底を尽きるのを実感でき、その時が訪れる瞬間すらも周にはわかっていた。もう笑うことなんてできなかった。

 叶えられないとわかっていても本心は願ってしまうのだからなんとも卑しい生き物だと卑下しまう。



 (今度生まれ変わるならば健康な身体で)と。



 だから……死んだ後に真っ暗な闇の中で意識だけがはっきりした時に感じた安堵。

 神様はこんな自分を憐れんで生き返らせてくれるのだと、今度は健康な身体で生まれ変わらせてくれるのだと。



 しかし、闇の中に光の筋が見え、目を覚ました周はその期待を大きく裏切られた。断頭台の上で処刑を待つだけの死人同然の人間になっていることに。



 誰かも知らない身体、現代ではない異世界。それも一つの世界ではない。処刑に使われる道具や材質を一つ取っても年代、場所までがバラバラだった。だが、それがわかったとしても結果は変わらない。

 直前まで周は無様に泣き、喚いて、命乞いをした。もう死にたくないと。

 


 そして激しい怒りの渦が内で燃え盛るのを確かに感じ、思ったのだ。

 もっと苦しめと言うのか、と。

 神様の救済は罰という名の地獄だった。これだったら生き返らせてくれなくてよかったと何度繰り返し嘆いたことか、周はそれも永劫続く輪廻の中で希薄になり自分の名前さえも忘却へと捨て去った。

 それほどまでに残虐の繰り返しだったのか、そうでなければ自分を守れなかったのかはもう誰にもわからない。



 こんなことができるのは神以外にはありえないと周は考えた。何故こんな惨いことをするのか、生前悪い行いをしたというわけでもない。気付かない内に悪行を働いたのかもしれない、最初こそそう思うしかなかった。



 だが、どんな生前悪行を働いたとしてもここまでの苦痛を味あわせる理不尽にもう心は自分を責めるだけでは持たなくなってしまう。

 だから周は憎むことにした。復讐することにした。それは行き場のない怒りを押し付けることでしか解消することができなかったのだろう。何故ならばここから脱せないことがわかっていたからだ。

【神に同じ苦痛を……神を殺す……】


 

 そう繰り返しの中で、殺された回数を数えるのではなく、これだけを繰り返した分だけ発し続けた。




『ご……ご、め…………ご、めんな……さい』



 真っ暗闇の中で思念だけが彷徨い次に死を待つ罪人へと入り込むまでの間、暗闇の中でノイズが走ったような声が僅かに周へと届いたが。

 しかし――。



(神に同じ苦痛を……神を殺す…………)



 すでに彼は誰の言葉であろうと干渉を受けることができないまでに壊れていた。魂だけの存在がそうさせているのか、また暗闇という繰り返す死のカウントダウンであるこの場所が魂を蝕んでいるのか、どちらにせよ彼は聞いていたが聞いていなかった。



 時間の概念もない周の思念は処刑される、確実死される者にのみ入ることができた。別の人間――死が確定している――に転生するのだ。大概は罪人であり、それも死罪を免れないような罪を犯している。ひっくり返しようのない死。

 魂を擦り減らす激痛に耐えて、耐えて、耐えて、絶えて、忘却した――ただ一つの憎しみだけを残して。



 


 そんな繰り返しの処刑の一幕は最後の一幕となる。何百、何千、何万と繰り返した死の一回だけは圧倒的に決定的な違いを見せた。兆候を見せたのだ。


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