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処刑から始まる神殺しの起源  作者: イズシロ
第1章 「芽吹きの狂花」
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恩の音

 周は荷台で声を潜めて潜り込んだ。幸いにも見つからずに済んだことはただただ運が良かったとしか言えない。



 女をそっと降ろし、辺りを見渡す。検問所の兵との話から御者台に座っている男が商人だということまではわかったが、そこで不可思議な違和感が襲った。

 この荷台には商人の商売道具たる商品が一つも詰まれていないのだ。いや、何もないわけじゃない。箱の中には不思議な模様が刻まれた首輪のような物が無数にあり、鎖も山と積まれている。



 何よりも気になるのは御者台の背中に置かれている巨大な箱だ。この中に商品があるのだろうかと思ったが硬く閉ざされた木箱からはこの揺れであるにも関わらず音がしなかった。

 そういった感覚が鋭敏であるのはシオンの身体になってからだ。嗅覚も常人より遥かに優れていることだろう。



 荷台に乗っていても近くに食事があるとわかる。これまでもそうだ危機に対して異常なまでの反応、反射とも思える行動の数々。

 そういった感覚一つとっても人間であるとは言えないのかもしれない。それでも赤い血が流れている以上否定するつもりもなかったし、周にはどっちでも良いことだった。



 荷台の検査をするという声が聞こえた時はこの場で全員殺すことも考えたがギリギリまで待った結果無駄な騒ぎを起こさずに済んだ。



 このまま遠くまで乗って行こうかもと考えたが。



「ウッ……」



 女が呻き声を上げ、咄嗟に口を塞ぐ。

 そして薄らと目を開けた彼女を見て周は嬉しさと一緒に今はまずいと即座に口の前で指を立てた。一瞬気絶させてしまおうかとも過ったがあまりに手荒過ぎる。寧ろ何でそういう方向に考えてしまうのか疑問だ。このシオンという身体がそうさせているのかもしれないし、中身である周の本心なのかもしれない。

 結局、まだまだ分からないことだらけだ。



「ん! んん~ん……ん~んん!」



 完全に目を覚ました女を落ち着かせるために周は口の前で指を一本立てた直後。



「あんだ?」



 そんな声が前から聞こえ仕切りの間から勢いよく開けられた。咄嗟のことに周は女を抱きかかえながら男の傍にある箱を壁に姿勢を低くして隠れる。



「もう薬が切れたか、静かにしてろ」



 続いてドンと箱の蓋を叩いた男は幕を閉じ、馬を走らせた。

 周たちに気付いたわけではないだろうが、気になることを男は発したが今は気に掛ける暇はない。



 手で鼻の穴まで塞いでいたようで女は涙目になりながら必死に目で訴えた。

 ゆっくりと手を放すが女は騒ぎ立てるようなことをせず、黙って従ってくれた。その前に周はすぐさま降りた方が良さそうだと女にジェスチャーで伝える。というのも少し先に大人数が集まっている気配を感じたからだ。これだけ静かな夜道で不気味なほどの静寂は周に面倒くささを警告した。



「キャッ!」



 そして走る馬車の上から女を抱えて跳び降りる。凄まじい衝撃だったが、この程度は耐えられるだけの筋力があることは把握していた。裸足の足でさえ皮がずり剥けるということもない。

 ただどこにそんな筋力があるのかはシオンの身体付きでは不自然以外の何物でもないのだが。



 周は女を抱えたまますぐに藪の中へと走り姿を消す。



 抑えられた悲鳴とは言えこの場でありえない女性の声を聞けば御者台の男は訝しむだろう。

 しかし、何事もなかったかのように馬車は道を駆けていく。




 藪とは言え疎らに灌木があり、身を隠すには夜闇も相まって打ってつけだ。

 彼女を降ろし、周は即座に礼を述べた。



「どこの誰だか知らないけど、助けてくれてありがとう。本当に……」



 思い出すだけでも気が塞いでしまう。それでも今は違う、自由になる身体があり無力なただの人間ではないのだから。

 この恩を言葉だけで表現するのには限界がある。それでも言葉を用いずに感謝を告げる方法を周は知らなかった。



 しかし、女は改めて周の身体を見て明らかにホッと胸を撫で下ろす。そして朗らかに周の感謝に対して「ううん……」と首を横に振った。



「お礼を言わなきゃいけないのは私の方……あなたが助けてくれなければ私は疾うに殺されていたんだから」



 無理をしたように笑って見せた。少し奥に入り過ぎたせいか辺りは暗かったがちょうど月光が差し込み彼女の頭上を照らし出した。

 良く見れば身体が小刻みに震えている。言葉も喉の奥から押し出されるように絞り出されていた。

 この辺りは木々が鬱蒼しているがそれでも寒いということはない。気温も夜が更けたことを考えても乾いていた。そこで周は思い出す。



(しょうがないか……普通の人間があんな光景を見れば……)



 本当にどこにでもいそうな街娘。肩甲骨に付く長さの栗色の髪は艶やかに白皙の肌を強調するようにスッと真っ直ぐに流れている。

 中肉中背のシオンの身長より少し低いが女性としては少し高く綺麗な印象を持つ。きっと平均的なのだろう、しかし周の美的感覚では彼女は美人と呼ぶに相応しいと思った。

 何よりも笑った表情が絵になるだろうと確信を持てる女性を知らない。それだけに無理に作った笑顔は違和感でしかなかった。



 周は極力威圧的にならないように頬を緩めた。



「…………ひっ!!」



 悲鳴を漏らした彼女に対して周はため息とともに額を抑える。確かに未だ自由になったという高揚はあるにはあるが、自分に対してがっかりだと内心で舌を打った。



(笑い方も忘れた……)



 きっと大量に兵を殺した時のような醜悪な笑みになっていたんだろう。手を突き出して「ごめん」と口を開く。



「恩人に危害を加えるつもりは毛頭ない。だからそんなに緊張しないでくれ……どうも表情の作り方が分からなくて……いやいや何を言ってるんだ俺は、と、とにかく他意はないから」



 必死に弁明する自分が情けない。あの冴え渡る思考は戦闘以外では役に立たないのかもしれないなと嫌な収穫を得たと頬を引き攣らせた。



 そんな周を滑稽に思ったのか「クスッ」と笑みを堪える彼女が口に手を当てていた。滑稽に思っていたなんてことはないだろう。

 こんなに可笑しそうな顔なのだから。



(やっぱり笑った顔が絵になる)



 嬉しそうに、可笑しそうに笑うのが様になるというのも変な話だが、不可抗力とは言えいくらか話安い場になったのは周としてもありがたかった。

 そして本題に入り易くもあった。



「助けてくれてこんなことを聞くのは失礼かもしれないけど……君のことを覚えていないんだけど」

「ふふふっ……あっ! ごめんなさい。そ、そうだと思います。だって直接助けていただいたわけじゃないんです。だからちゃんとお話しするのはこれが初めてで」



 周としてはシオンの記憶がない以上、覚えていないのは当然のことだが正直に話ても信じられるはずもないだろう。だからわざわざ覚えていないという当たり障りのない訊き方をしたわけだ。

 しかし、彼女の話を聞く限り疑問は募るばかり。



「悪いんだけど、なんで助けてくれたんだ?」



 周の率直な疑問は深入りしてしまうことを考えない杜撰なものだと本人も気付いていない。立ち入り過ぎてしまったとしても恩人を先に助けていたとはシオンというこの男も中々見所がある。

 命の価値観の違いなのか、周は彼女が何故シオンを助けてくれたのか、その経緯がどうしても気になった。恩人だからということもあるのかもしれない。

 しかし、人が人を殺す正当な理由がないように、人が人を助ける正当な理由も必要ないのかもしれない。そんな美しい物を見ようとしたのかもしれない。

 聞きたかったのかもしれない。



 それは周という一個人が持つ生前の残滓であると彼が気付くことはもうないのだろう。彼女だからこそ訊く気になったのか。

 食指が動くように何かが背中を押す。周に訊かなければいけないと思わせたのだ。



 だが、結果として良く分からない。いや、一端には触れたのだろう。それを周は感覚で感じ取り耳を傾けていた。




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