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混沌と絶望のプロローグ

 これで何回目だろうか。

 そんなことすらも遠い過去のことだ。

 人の一生は一瞬にして潰えるというのにそれを数え切れないほど繰り返すことは幸福か……答えは否だ。



 死ぬよりも辛く苦しいことは死んだことのない者が吐く戯言である。

 本当の死は最も残酷な苦痛を一瞬に凝縮することで達成されるのだ。だから死ぬよりも辛く苦しいことはない。



 命の灯が消え失せるその刹那。

 底冷えする感覚と共に毛穴の一つ一つを鋭敏に知覚し、何かが肌を舐めるように血肉を這う。自覚が消失する瞬間――当然のように動き、体内を巡っていた血液が流動を停止する。体温を外気のように認知できてしまう。



 自分が自分で無くなる瞬間を味わうことこそ最も残酷であり地獄だ。だからやはり【死】を凌駕する苦痛はありえない。無論、これは寿命を除いた場合である……彼に関して言えば寿命を"全う"したことだけはないのだから。



 そう"彼"が味わうのは毎回同じことの|繰り返し(苦しみ)だけだ。人間である以上、寿命を全う出来なかった者にのみが共通して味わう一瞬の地獄。そこに善はなくあるのは結果だけだ。救いがあるとすれば生ある者に一度しか訪れないということだろうか。

 逆に考えるならば寿命は天から与えられた命を全うしたことへの褒美なのかもしれない。

 唯一の救済であるのかもしれない。



 …………しかし、彼には関係のないことで縁のないことだった。





 朦朧とする視界は燦々と照りつける太陽の明るさが原因ではなく、彼が目覚めた時に決まって出る初期症状である。

 耳の中に虫を入られたような大音量の騒音が全方位から浴びせられている状況に戸惑いはない。

 気温、というよりも熱気によって暖められた一帯であった。

 眩むほどの光に無意識に手で遮ろうとするが、腕は両手とも後ろに回されておりビクともしない。手錠のようなもので固定されているのだろうと経験からあたりをつける。

 麻痺したような体感は腕と足に硬質な感触だけを残していた。

 


 鮮明に身体の感覚が同調していけばいくほどに動かせる気配はない。

 木で組まれた櫓の上に彼は座っていた……座らされていた。

 正座のような体勢で両手両足を拘束具で固定されている。頭も重く目は虚ろ、自分の膝を見るので精一杯だ。薄汚れた服は貧しいからではなく、全身にある裂かれたボロ布の隙間からは血が固まっており赤黒い塊が見えた。

 発狂してしまうほどの重症であるにも関わらず拘束されている所為なのだろうか、彼に感覚が戻っても痛覚を感じないほどに何度繰り返し殺されている。当然の疑問は確定付けられた結果から見てもどうでもよいことなのだ。



 1m程の高さに組まれた台の上には全身甲冑を着込んだ男が二人。その間に挟まれるようにして彼は跪いていた。

 段々周囲の喧騒を聞き取れるだけ感覚が同調すると聞き覚えのあるような罵声が跳び込んでくる。荒波のような騒音は何百、何千人が発する声の濁流。



(あぁ、もうこれで何回目だろう……)



 今度はどんな奴かと眼球を動かしてみるが自分で自分の顔を見ることなどこの場ではできない。

 繰り返され続ける永劫の地獄を彼は味わい続けている。虚ろな時間だとわかってもつい考えてしまうことがあった。

 この身体の持ち主だった奴は何をやらかしたのかと疑問に思うのだ。別に珍しいことではない、訊いても答えてくれない時もあれば罪状を教えてくれた時もあった。そう、今回もきっと同じだろう。今いるここは処刑台の上で自分が彼の代わりに殺されるだけ。

 彼の記憶では大量殺人を犯したとかが多く死刑宣告を受けている者。いや、もっと正しく言えば身動きできない状態で必ず殺されるということに限定される。

 しかし、この光景を見るからに今回の身体は相当な悪党なのだろう。



「なぁ、|俺(この男)は一体何をしてこんなとこにいるんだ?」



 歯が砕かれているのか上手く喋れなかったが、隣で抜身の剣を握った甲冑の男は不快感を露わに憎々しげに答えた。

 憤怒を湛えた形相で剣を喉元に添えられたが彼は動じずに視線を外さない。



「貴様の罪は王族暗殺の罪だ。斬首刑は確定していたがこれまで兵のストレス解消には役立った。遣り過ぎては民衆も満足しないだろう……」



(そうかこいつもか)



 200回ほど前に殺された時の身体の持ち主も同じような罪状だったはずだ。その時は死んだ後も見世物として吊るされ続けると覆面を被った処刑人が醜悪に言っていた。

 もちろん中見が代わって今の彼にはこの身体の持ち主がやったとされる王族暗殺なんてものは記憶にない。だが、この時だけ転移した彼には理不尽で堪え難い罪が下される。



 反対側の真黒な甲冑を着込んだ男が大衆を宥めるように声を張り上げた。



「これより王家暗殺を目論んだ罪、衆人環視の元公開処刑を始める」



 待っていたとばかりに大衆は一度湧き立つ。

 その時を一瞬たりとも見逃すまいと力強く見開かれた眼差しはこの男が処刑されるのを願うかのようだ。事実、誰一人として助けようとする者はいない。

 当然だ、罪人には相応しい最後なのだろう。



「あぁ、また殺されるのか……」


(殺されて、殺されて殺される。誰とも知らない身体で、身に覚えのない罪で……ここからはもう本当に抜け出せないんだな)



「何をぶつぶつ言っている。貴様に残せる言葉があると思うなよ!」


 兵は高々と足を持ち上げて項垂れる彼の頭を踏みつけた。その光景に湧き立つ観衆。やれ「もっと痛め付けろ」だの「早く殺せ!」と野次が暴力なまでに投げつけられる。

 地面に染み込んだ血が木目を変色させ、この場を断頭台であると告げている。舐めるように顔面を床に付けぐりぐりと足が捻じ込まれていく。

 それでも彼は呼吸をするだけで意に返さないほどには慣れて、憎んで、苦しんで、絶望して、何も感じなくなっていた。この無限とも思える地獄のループによって。

 それは彼の心を……魂を蹂躙するには足りていたのだ。足り過ぎたのだ。これ以上ないほど壊して、蹂躙したのだから、死ぬことでさえ関心がなくなってしまった。そう死んだ後に訪れる魂の軋む悲鳴にも似た叫びを味わわなければ……。



「もういい……」

「あぁ?」


 彼は地面に頬を潰し頭蓋骨が軋む中でか細く呟いた。諦念にも似た老人のような掠れ声、途切れそうな声で。

 また味わうのだ。あの苦痛を……死んだと認識してからの永久の刹那。長くも一瞬の崩壊は中身という中身を蹂躙していく。

 そう、命の悲鳴が木霊する戦慄の狭間で……また繰り返されるのだ。



「早く終わらせろ」

「そうかよ。貴様の弁明など反吐が出る。お前に言われずとも……見ろ! 王を尊敬し崇拝する大衆は皆お前の死に顔を見に来ている。これ以上待たせるつもりはない」


 兵は背後を振り返り、視線を上げた。

 その先には老年の王が彼の見えない背後で俯瞰するように突き出した部屋の上から静かに腕を持ち上げて勢いよく振り下ろす。



 何の合図なのかは言わずもがな。

 兵は引き締まった顔で頷いた。


 近づく足音に彼は何も感じず、何も思わない。ただ今回はこの男になってから長かったな程度のことだった。いや、彼に限ってはそれしか思うことも、考えを巡らせることもできないのだから。

 僅かに2、3分が周がこの男になっていた時間だ。決められた時間なのだ。

 だから抵抗しようとも変えることができないのは嫌というほど繰り返し、無駄だとわかっている。


 

 陽の光を遮るように影が彼の頭に落ちた。揺らめく影は兵がどのように動いたのかを連想させる。見ずとも死が近づくのが理解できる。

 彼はこの時間も嫌いだった。どんな処刑道具だろうと執行されて死ぬまでのコンマ数秒が酷く心細く、無意識に歯を食いしばってしまうのだ。それがどうしようもなく耐え難かった。どうせわかっていたことだと頭ではわかっていても身体は拒絶し最後まで抗い、拒む。

 情けなくて、悔しくて、恨めしい。全ての関心を憎しみ以外で抱いてしまうことがどうしようもなく自分に腹が立つ。

 頭では諦めても死を直感した時の身体の硬直は未だに生にしがみ付いていると実感させるのだ。そんな自分が矮小な存在だと認識させる。



 そして振り被られた剣の刀身が陽光を吸収し、神の鉄槌、正義の裁きが突き出された首元に振り下ろされた。



 彼がその後に見たのは宙を舞う視界に、逆さに見える大衆の熱気。

 緩慢に流れる時間で鮮明にして忘れ難い光景としてまた一つ刻まれる。



 彼は途切れる寸前で繰り返し思い、叫んだ。



(くそったれ)



 また死んだ。また殺された。彼は無限に続く狭間で殺される直前に入れ替わる。入れ替わった者は味わうはずの死から逃れられるのだから、さぞ救われたことだろう。

 しかし、彼が彼の意に反して死を肩代わりするのだから、それは地獄よりも酷いと言わざるを得ない。


(これで何千回……いや、万はいってるのか……)



 もう数えるのも馬鹿馬鹿しいほどに繰り返し、真っ暗な闇の中で漂うだけの意識だけが深淵へと誘われる。



 抵抗をしても結果が変わらないことは最初の数十回で学習したことだ。

 それどころか目覚めた瞬間に殺されたことも多い。



 共通していることは全てが処刑であるということだ。それだけは確かで間違いない決定事項。

 罪人であることも彼は会話によって得た情報だったが、彼には器となった人間の犯した罪を覚えていないのだから事実の確認はできようはずもない。

 確実に殺される人間に入れ替わる、その繰り返しは彼に感覚や思考を閉ざさせるほど幾重に殺し続けた。

 重ね重ね残忍に、無情に非情に残虐に惨たらしく様々な方法で彼を殺した。

 絞首刑、斬首刑、火刑は常套。公開処刑も珍しくないシュチュエーションだ。磔も首吊りも数えきれないほど経験させられた。痛みという苦痛を、激痛を魂に刻まれたのだ



 彼は生前名乗っていた遠見周とおみしゅうという本当の名前すらも覚えていない。

 こんなことならば死んだ時に死なさせて欲しかったという願いは疾うに潰えている。自分だけが繰り返し殺される。自分だけが……他人とは違う苦痛を与えられている。

 特殊で、特別な存在になりたいと言うのは生前に抱いた在り来たりな願望だったが、それは最悪な形で叶えられたと言えるだろう。



 そして身体のないまどろみのような意識だけが空間に漂い、また一筋の光が差し込む。



 また繰り返される。

 彼がそれすらも忘却に押しやって、当たり前のことにように認識し始めた時――噛み合う歯車に小さな歪みが生じた。

 それは以前から……いや、千回前から僅かに、少しずつ影響を与え無限とも思える繰り返しに干渉し始めていたのだ。

 彼が歪みに気が付いたのは回り回る輪廻に亀裂が入るのを実体験として感じたからだった。



 

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