おっぱいスライム
城下町を西の門から出て、道なりに半日。国境代わりとなっている渓谷のふもとに、ある塔が建っている。
古参の兵士によると、そこは『さえぎりの塔』と呼ばれているらしい。百年ほど昔に作られ、賢者と呼ばれる人が一人で住んでいる。その人物はそこで町と村々を包む巨大な結界を制御しているのだとか。魔性の者、獰猛な獣、天地揺るがす災害、そういったことから国を守るため、一人孤独に戦い続けているのだという。
また、このような噂もある。塔の中は無数の罠や秘術で作られた番人たちがうごめき、頂上へのぼるには困難を極める。しかし勇敢なる者が一人でこの塔に挑戦し、見事制覇して見せたなら、頂上で待つ賢者がその者に『力ある言葉』を授けるのだと。
それは呪文であり、箴言であり、予言でもある。正しく向き合えば神の定めた運命すらも変えられるという大いなる秘法だ。
そして今、頂きまで登りつめた挑戦者――すなわち俺の前に、賢者が姿を現す。
賢者は俺の言葉を聞き、厳かに口を開いた。
「はぁ? 恋愛相談? 君は馬鹿なのか」
賢者は口が悪かった。
塔の最上階は意外にも生活感溢れるごく普通の住まいで、俺は向かい側に座る賢者から紅茶を勧められた。茶なんてお貴族さまの飲み物だという印象があったが、試してみると中々美味い。普段飲む薄いワインとは全然違う味わいがあった。
「面倒くさいからそれ飲んだら帰ってくれないかなあ」
「そんなに邪見にするなよ。噂は聞いてるぜ、この塔を制覇したら言葉を授けてくれるんだろ?」
「違う、間違ってる。『力ある言葉』を授与するのと場末の占い師が運命の相手を占うのとでは全然違うものだから。まったく、ここまで来れた腕は認めるが、君の場合頭の中まで筋肉詰まってるんじゃないか?」
やれやれとばかりに首を振ると、垂れ下がる長い髪もゆらりと揺れる。賢者は美しい姿をした妙齢の女性だった。眼鏡をかけ切れ長の瞳を伏した表情からは、確かに賢者と呼ぶに相応しい理知的な雰囲気を感じる。塔が建ってからずっとこの任についているならば相当な老婆であるはずだが――しかし、魔法使いが自分の年齢通りの姿をしていると思うほうがそもそも間違いなのかもしれない。
「俺の頭の中が筋肉なら、やっぱり悩むより他の誰かに相談したほうが建設的だって思うよ」
「……ここに来るまでの様子は、遠隔視で見せてもらった。その力量、兵士ならば将官クラスだろう。馬鹿みたいに突っ立ってるだけでも女が寄ってくるはずだ」
「女なら誰でもいいってわけじゃない、意中の相手がいるんだ。それに、自分に自信がないってわけでもないつもりだ」
「じゃあ告れよ」
「いやだからそういうことじゃなくて……」
「うるさいなあ。人気のない路地裏に誘い込んで『君は僕だけを見ていればいいんだ、可愛い妖精さん』って言いながら熱いベーゼをかましてやれ。そしたらおおむねなんとかなるから」
「おおむねビンタされて通報されるだろ……」
呆れて言うも、賢者は椅子の腕かけにもたれかかって、髪を弄ることに夢中だった。もう俺に対して大分興味をなくしているらしい。
「まー別に大丈夫だよ。私だっていい人見つかったぐらいだし、君も上手くいくって。はいそれじゃ解散」
「えっ、あんたって旦那さんいるのか」
「うん、もとは近くの村に住んでたきこりでね」
「うわあ」
「おいなんだそれ、うちの主人馬鹿にしてるのか」
どちらかといえば彼女を馬鹿にしたい気持ちだ。所帯染みた賢者なんて正直見たくない、つーか一人孤独で戦ってるってなんだったんだよ。
「あれっ、それじゃ『君は僕だけを見ていればいいんだ、可愛い妖精さん』ってあんたが言われた言葉?」
「はっ、はぁー!? 馬鹿なのか君、言われるわけないだろ! あんなものただ私がその場でぱっと思いついただけの……」
「ああそれじゃあ言われたい方か」
「殺す、君マジで殺すから。小指の骨一本も残さず塵に返すから……!」
賢者がどこからともなく杖を取り出し、剣呑な雰囲気を漂わせたので流石に俺も両手を上げて降伏をアピールした。
「まあ待ってくれよ。結局あんたには生涯を共にする相手がいるんだろ? ならそういう関係になるまでの経験も豊富なんじゃないか? 俺はこの問題さえ解決したらすぐにでも出ていくつもりだよ」
「だから細かいこと考えてないでさっさと告白すればいいだろ!」
「だから……その人は修道女なんだよ」
「……何?」
そこでようやく、賢者は杖を下した。
一息ついて俺と彼女は再び椅子に座り直す。
「町の中心部に集会所を兼ねる教会があるんだが、そこで子どもたちによく聖歌を教えている女性がいるんだ。その人がまあ、思い人というか」
なんとなく照れてしまって、誤魔化すように紅茶のカップに手をつける。賢者は顎に手を当て、考えるような仕草をした
「アリエッタのこと?」
吹き出した。紅茶を。
「汚ったないなあ」
「あ、あんたなんで知ってんだ?」
「賢者だからね、君の想像以上に知っていることは多いのさ。そうでなくても、彼女とは知り合いだ」
「この塔に住んでいるのに?」
「さっきから君の賢者像を崩してばかりですまないがね、別にいつもここにいるわけじゃない。魔法自体は自動で動いていることだし」
そういうものらしい。しかし知っているなら話は早い、説明する手間が省けたというものだ。
「君こそなんで彼女と?」
「うちの訓練を毎日覗きに来る子どもがいてさ。話を聞いてみると教会で引き取っている孤児だった。その縁で少し話すようになって……という感じかな」
「へえ、なるほどね」
こんな形容で彼女の全ては説明できないが、なによりも愛らしい笑顔をする人だった。人を楽しませ、喜ばせ、ずっとその表情だけを見ていたくなるような気にさせる。
「自惚れを承知で言うが、割りともうイイ関係ではあるんだ。ただいざ婚約を申し込めば、彼女を困らせてしまうことになる気がする。……教義で言えば、修道女が異性を付き合うにはその立場を止めるしか選択肢がない。彼女は子どもと触れ合う今の生活を楽しんでいるようだし、無理強いはしたくないんだ」
大まかながら、自分の抱えている悩みは全て話した。あとは賢者次第だ。彼女は俺の顔をまじまじと見つめ、ふと思い出したように口を開く。
「ちょっと聞くが、君がこの町に来たのはいつのことかな? 私が顔を知らないということは、ここ出身ではないだろう」
「ん……? ああ、一年前だ。それより昔は東の国で傭兵をやっていた。それがなにか?」
「いや別に。流れ者がここに落ち着こうというなら、相応の覚悟なのだろう」
それ以上は何も言わす、彼女はただゆっくりと椅子から立ち上がった。
「話は大体わかった。本来ならさっさと追い出しているところだが、気が変わった。協力してやろう」
「本当か!」
「ま、私も既婚者として若人の恋愛には手を貸してやらんとな。では早速だが準備をしてくる。そこでしばらく待て」
そう言ってくるりと背を向け、部屋から出ていった。
物珍しさからつい紅茶を勝手におかわりし、それが丁度四杯目になった頃。賢者はようやく帰ってきた。
「待たせたね」
小さく開いた扉を勢いよく閉める。彼女の足元にはぶよぶよとした奇妙なかたまりがおり、扉に挟まれそうになりながらも這い進んでくる。
「うわっ、なんだこれ」
「見りゃ分かるだろう、スライムだよ」
スライムというのは、魔術師が魔法から生み出す人工生物の一種だ。製造が簡単なことからゴーレムと並ぶメジャーな存在であり、この塔の番人としても何匹か配置されていた。
この生物は愛嬌のある見た目に反して、中々凶悪な敵だった。核以外は斬っても斬っても意味がなく、纏わりつかれたらば窒息の危機。個体によっては酸性の身体で直接被害を与えてくるものもいる。突然そんなものが現れたら、ギョッとするのも当然である。
「見りゃ分かるとか、そういうことじゃなくて……」
「君に危害は加えないよ。戦闘用には作ってないからね」
賢者はスライムをまったく無遠慮な手つきで掴み、そのまま机の上に乗せた。
その生物は底面にあたる部分こそ潰れているが、全体的に妙な丸っこさがあった。スライムと言えば絶えず自重に押し潰されて平べったくなっている印象があったが、これは比較的形が保たれている。
試しにちょん、と指で触れてみる。いやに弾力があり、全体が軽く揺れた。
「おいおい、そんな遠慮がちになることないだろ。普通に触れよ」
「はあ……。じゃ、遠慮なく」
スライムを両手で掴み、こちらへ引き寄せる。なんとなく手に吸い付くような感覚があり、少し心地いい。スライム自身もあまり自分から動こうとはしないので、手遊びにぴったりという感じだ。
「それで、このスライムが何なんだ? 俺の相談事と関係あるのか」
「大ありだよ。重要なキーパーソンと言えるね」
「ほう、というと?」
「実はこのスライム、アリエッタの胸とまったく同じ触り心地を再現してあるんだ」
「ほうほう……ん?」
思わず聞き返した。が、賢者はただ優しい笑みを浮かべるだけだ。
俺は無言でスライムを突き返した。
「んん? どうしたんだね。まだ触っていてもいいよ」
「いいよじゃねーよ! お前マジなんなの? 何がしたいのかまったく理解できないんだよ!」
「何を言うかと思えば。私がしたいのは君とアリエッタの愛を結び合わせること……言わば恋愛の伝道師さ」
「いくら気が変わったって言っても最初と様子違い過ぎなんだよ。明らかに嫌々だったのに今活き活きしてるじゃねーか!」
確かに、アリエッタは豊満な胸をしていた。俺自身そういう下心が一切なかったと言えば嘘になるだろう。だが、それをスライムを使って再現するだと? なんだそれは、技術に反して発想が近所の悪ガキレベルだぞ。
「さて、過去のことは忘れちゃったね。まあ君もちょっと落ち着きなよ。再現したとは言っても、アリエッタの胸そのものじゃないんだから。さして取り乱すことじゃないはずだよ」
賢者は苦笑気味に言う。
俺は殴りたくなる衝動をぐっと抑え、椅子に座り直す。色々言いたいことはあるが、相手が落ち着いていて自分だけ取り乱している、という構図になるのは癪だ。
「そもそも、これ本当にその……再現できてるのかよ。適当ぶっこいただけじゃねえのか?」
「これでも賢者だぞ? 完璧に熟したつもりだ。むしろ疑問を抱く理由が分からないね」
「いやだってそれ、全然人の肌って感じしなかったぞ。感触が滑らかですごく瑞々しかったし、柔らかいくせに手の中で弾むような力強さがあって、ずっと触っていると仄かな温かさとかすかに甘い香りが……いや、その」
駄目だ、想像すればするだけあの触り心地を鮮明に思い出してしまう。冗談抜きで死にたくなる。
賢者は取り乱すことなんてないと言っていたが、いざ思い起こすと罪悪感で胸が痛い。
「くそっ、今の俺ってもしかしてすごく恥ずかしい存在じゃないか?」
「恥ずかしいかどうかは知らないけど、とりあえず最高に笑える存在ではあるよ。マジうける」
「死ね!」
元気さ有り余っているらしい賢者が最高に不愉快だった。
彼女は、気取った感じで眼鏡の位置を正す。
「要するにさ、アリエッタにとって教会のことより君との関係が大事、ということになればいいわけだよ」
「随分大胆な意見だな」
「シンプルなだけだよ。シンプルな意見はいつも大体正しい。結婚して止めてった修道女自体は珍しくないからね」
「……まあそりゃそうだが」
俺はつい考え込んでしまった。
正直なところ、彼女にそんなことを強いるのは本意ではない。しかし見方によっては、それなりの関係でありながら彼女にとって一番の存在になれない自分は甲斐性がない、とも言える。少なくともそう言われれば否定はできない。
いずれにしろ、自分の中に彼女を諦めるという気持ちがない以上、どこかで決断は必要だ。だからその点は問題ない。
その点だけは、だが。
「で、その発想からなんでこれが生まれたんだよ」
「テクを磨け」
拳をサムズアップにして突き出した。
「悪質な冗談だな」
「冗談どころか大マジだとも。むしろ女の私にこんなこと言わせている自分を恥じるべきではないかね?」
「いやさっきから口元にやけてるんだよお前! あーもう、本当に幻滅させられてばっかなんだからな!」
「好きなだけ幻滅したまえ。女なんてもんは大体こういう感じだよ。そして女の私が言うんだから、この方法もおおむね間違いない」
「んな馬鹿な」
「聖職者なんて普通は愛に飢えているものだよ。多少乱暴でも押せ押せで行くのが一番ってやつさ」
微妙に正論っぽいのが癪だった。
「一応確認しておくが、教会のやつらを困らせたいからこんなことを言うわけじゃないよな? 昔、古い魔術師と今の教会は剣呑な関係だと聞いたことがあるが……」
「は? 関係が剣呑? それは君のいた国の話だろう。ここではそんなことはない、教会の奇跡と魔法は源流を同じくするものだ」
「そ、そうか。いや悪かった」
いい加減、腹をくくろうか。
遠回しに襲っちゃえと言っている賢者に耳を貸す気はない。が、それはともかくとしてこのスライムがアリエッタの胸と同じ柔らかさだと思うと、正直死ぬほど興奮する。妄想が膨らんでしまう。
賢者も俺がこのスライムを揉まないと、揉みしだかないと納得はしまい。ならば、やるべきことは一つだ。
俺はゆっくりとその両手を伸ばし、たわわに震えるやわらかな頂きを鷲掴みに――
「あ、ちょっとストップ」
いざ感触を楽しもうという瞬間、賢者がかっさらうようにスライムを奪った。哀れ両腕は空を切ることになる
「ちょ、おい」
「大事なものを忘れてたよ、ちょっと待ってくれたまえ」
そういって彼女は席を立った。そのまま台所と思しき場所でしゃがみこみ、何かを取り出したようだった。
「いやーお待たせお待たせ」
帰ってくると、両手にはフルーツが入った籠を持っている。
「いったい何を」
「いやなに、健全な青少年にはイメージ力を活性化させるものが必要かと思ってね。ちょっとした手助けさ」
賢者はフルーツ籠の中から小さなチェリーの房を掴み取ると、おもむろに一粒とって、スライムの上に乗せる。
丸みを帯びて膨れ上がったその頂点に、赤く瑞々しい実が一粒。――さながらそれは、高い高い山を登り切ったものに与えられる、大いなる報酬。砂漠で飲む水、旅立ちの日の黎明、旧友との再会。色彩豊かなる様々な喜びがその小さな果実に吹きこまれていた。触れれば、清廉な乙女の愛が「さあどうぞ」とばかりに俺を優しく包み込む。
俺はしばらくの沈黙のあと、彼女に向き直る。
「賢者よ」
「なんだい」
「流石に萎えた」
「……あれ?」
ていうかドン引きだった。
いくらなんでも下品すぎる。近所の悪ガキから昼間でも酒場に入り浸るおっさんにランクアップしている。
「おかしいな、我ながら自分の発想力が怖いと思ったほどなのに」
「俺は確かにお前の発想力に戦慄しているぞ」
「もっとリアルさを追求したほうがよかったかな? まあ自分でも半透明の胸ってのはなんか違うなとは思ってたんだよ」
「ああ、着眼点が違いすぎるな……。あのよ、頼んどいてこんなこと言うのは申し訳ないけどさ、別にもういいや。やっぱりスライムはスライム、あいつに似せてもむなしいだけだ」
「おいおい今更だろ? あくまでそれは代用品、実践までの練習用だよ」
「その突飛な恋愛指南も、遠慮しとくよ。こんなことを言うとあんたに呆れられるかもしれないが、やっぱり心の問題だと思うからさ。解決策なんか思いつかないけど、自分の力でやれるだけのことをやってみたい」
俺が本当にこの話を終わらせるつもりだとわかった賢者は、眉間にしわを寄せて露骨に不満そうな顔をする。
「気に入らないね」
「振り回す形になってしまったことは謝るよ」
「君、さっきまでは多少なりとも乗り気だったんじゃないのかい? ちょっと冷静になったつもりで真っ当なことを言ってみても、そんなんじゃすぐにぶれるだけだと思うけどね」
「確かにな。俺だって男子だ、そういうこともあるかもしれない」
言いながら、俺はスライムを無造作に掴んだ。賢者は突然の行動に目を丸くする。今までこのスライムを触るか触らないかで散々言い合いをしたあとだからそれも当然だろう。
「アリエッタのそれと同じ、なんて思ってしまったら良からぬことも考えてしまうけど、結局はただの触り心地のいいスライムなんだよな。だからこれは、ひとしきり遊んだら、十分だ」
おもむろに振り被り、そのままスライムを放り投げる。スライムは部屋の隅の壁にぶつかって、下に置いてあるゴミ箱の中へと落ちていた。
「……あーあ」
「そういうことだ、賢者には悪いけどな」
案外簡単に気持ちは切り替わるもので、捨ててしまえば結構さっぱりした。
なんだかんだ色々あったが、やっぱりこの塔に来たのは間違いじゃなかったと思う。塔の主である賢者は結構ひょうきんな人間だったし、彼女との会話はわりと楽しかった。そして、紆余曲折はあったが自分なりに覚悟は決まったのだ。
「ふんっ、つまらない結末になったもんだ」
「悪いな、けど俺は感謝してるぜ」
「いらないよ感謝なんて。……あーあ、こっちもさっさと終わらせようかな」
「お礼の言葉ぐらい言わせてくれ。あんたにとっては本意じゃないかもしれないが、相談にのってもらえなかったらまだうだうだと悩んでいたと思う」
「おーいアリエッタ、もういいから入ってきなよ!」
「俺はまず、この塔から出たらいの一番にアリエッタのところに行って、正式に――えっ?」
わずかに間をおいて、控えめな音を立てながら入口の扉が開く。現れたのは、顔を真っ赤にして俯いた修道士姿の少女、アリエッタその人だった。
「えっ……あれ?」
「その、こんにちは。えっと、今日はお日柄もよく……お日柄もよいですねっ」
赤くなりながらも笑顔は天使だった。
「いや、そうじゃなくて……な、なんでここに? この塔は君がのぼって来れるような簡単な構造じゃないはずだ」
「いえ、転送用の魔法陣があるんです。私はよく賢者様のところに遊びに来るので、簡単に入れるようにして下さって」
「よ、よく遊びに来る?」
「言っただろ? アリエッタとは知り合いだって」
賢者がつまらなそうに補足する。もう俺のことはどうでもよくなったらしく、おざなりな態度だった。
「知り合いって、そんなに仲良かったのかよ」
「賢者様のこと、よく魔法使いとか魔術師って呼ばれる方もいるんですが、本当は教会出身の方なんです。大変古くからお役目についていられる方なので、私たちのほうでも相談ごとにのっていただくことがあるんです。その、今の貴方と同じですね」
「えっ、でも現にスライムを作っていたじゃないか」
「とは言っても、国を守っている結界は教会の奇跡を応用したものだからねえ。魔法と奇跡の源流は同じ、そういうことだよ」
まったく予想外の話である。アリエッタが隠れていたという驚きも含めて、頭がパンクしそうだった。しかしそれよりなにより、聞き逃せないことが一つあった。
「お前が教会の人間ってことは……待てよ、確か旦那さんがいたんじゃなかったか?」
俺がそれに気づくと、賢者はいたずらっぽく笑みを浮かべる。
「ああ言ったとも。それが何か?」
「いや、だって聖職者は……」
「あの、ですね、多分誤解なさっているんだと思うんです」
アリエッタが控えめに割り込んでくる。
彼女は困ったような表情で、しかも俺の顔をちゃんと見れないのか、目をしきりに泳がせていた。
「貴方のいた東の国は、教国が近いですから、きっと戒律にも厳しかったんだと思います。この国はちょっと事情が違っていて、教会の教えが広まる際に、土着の信仰と混同されてしまったんです。だから本来の形とはやや勝手が違うというか、少なくとも聖職者が純潔でないからと言って、誰も文句は言いません」
この国に来て一年。身の回りのことに不便は感じなくなったが、まだそこで生活する人々の空気に溶け込むのは難しい。というか、これが勘違いだったなら俺は相当空回りをしていたことになる。とんだ道化師だ。
「……貴方は、賢者様から恋愛相談を受けていたんですよね?」
「えっ、えーとだな、ところでアリエッタはいつから話を聞いていたんだ?」
「それは……」
「ぶっちゃけると私がスライムを作る合間に連れてきて『ちょっと今あんたに惚れている男がうちに来てるんだけど面白くなりそうだから扉の前で聞き耳立ててなよ』って教えてあげたんだよ」
「ちょっ、はぁ? お前ふざけんなよそれは流石にナシだろ!」
「あ、あのっ!」
思わず賢者に掴みかかろうとした時、アリエッタが呼び止めるように大声を上げた。この時だけは紅潮した頬も隠さず、しっかりと俺のほうを向いていた。
「賢者様はもともとこのようなお方ですから、私は何も気にしていません。それよりも、誤解が解けて事情も分かったのですから、何か私に仰りたいことがあるのではないですか?」
「なっ、それは……」
「私、ずっと待っていたんです。貴方が言ってくれるのをずっと待っていました。男性の方がこんなにも女を待たせるなんて、よくないことです。それとも、私から言ったほうがよかったですか?」
まっすぐに、射抜くようにこちらを見つめる。その真摯なまなざしを受けて、俺はすぐに考えを改めた。控えめな彼女にとっては、こんなことを言うなんて恥ずかしい思いだったに違いない。
俺も、誠心誠意彼女に応えるべきだ。
「すまなかった、改めて言わせてもらう。――アリエッタ、結婚を前提に付き合ってほしい」
「はい、喜んで」
感極まってか、アリエッタはそう言うと同時に俺に抱き付いてきた。触れ合った時に感じた胸の柔らかさは、やはりスライムなどとは比べ物にならない心地よさだった。
たっぷりお互いのぬくもりを楽しんだところで、おざなりながら拍手が響いてくる。
「いやはやおめでとうさん。どこまで拗れるかが見ものだったんだが、上手くいかないもんだ」
「お前なあ……」
「おっと、暴力はいかんよ。もし私に手を上げるなら一切抵抗してやらないからな。記念すべきこの日を血で染めたいかい?」
「ひねくれた脅し文句ですね……」
「ったく。本当に拗れたらどうしてくれたんだよ」
「そんなもんどうもしないさ。君がしてきた恋愛相談だがね、私はここ最近毎日アリエッタから同じような相談をされてたんだよ。もううんざりで、こんな偶然でもなければもう恋愛相談なんて聞きたくもないって思うほどね。まったく、煮ても焼いても食えないほどに、君たちはお似合いのカップルだよ」
賢者はやれやれ、とばかりに肩をすくめた。