特別篇 第五話
綾は自分が身ごもっていることに気がついた。
次第につわりが始まり、体もふっくらと丸みをおびてきた。明綱には、綾のその姿は、いっそういじらしく可愛く思えた。そして、本当に綾を愛していることを実感した。この事が明綱に変化を与えた。今まで、孤高の影があった明綱に明るさがみえてきた。それが周囲にもわかってきた。そしてそれが、一人の女の与えた影響だということもすぐにわかった。
御家老の佐々木様が若い女を屋敷に置いている。しかも、すでにその娘は明綱様の子を身ごもっている。
城内の口差がない雀たちはさえずった。しょせん佐々木明綱も凡俗の類、若い女に溺れてしまった。
その声は明綱にも聞こえてきたが、明綱は気にしなかった。以前の明綱なら激怒したかもしれないが、今はそんな言葉も聞き流せた。しょせん心の内など誰もわからないのだから。と明綱は思った。
一緒に暮らしている綾も明綱を理解しているわけではなかった。綾には明綱はわからない部分の多い男であり、また、踏み込めない神秘性を持っていた。だが、それゆえに、綾は明綱に惹かれていった。たぶん、自分のような女は平凡な男に嫁ぐのが、分相応だったのだろうに、なぜ、明綱のような男とこうして暮らせるようになったのか。自分でもその運命を不思議に思った。
春になり、綾は子供を産んだ。女の子だった。綾は産着を着た子供と並んで寝ていた。
綾は子供を無事に産めたことを安堵したが、男子でなかったことに明綱はがっかりするだろうと思った。
「綾、よくやった」
明綱はそう言って、部屋に入って来た。
「殿、申しわけございません。女の子でした」
綾は素直に詫びた。
「いつ、私は男子がほしいと言った。女の子のほうがよい」
と明綱が子供の顔を見ながら言った。綾はやはり明綱は変わっていると思った。普通は第一子は男の子がほしいものだろうに。
「綾、この子はそななたにそっくりじゃ。きっと領国一の美女になるぞ」
「まあ、殿」
「この子の名は、麗奈としよう」
「麗奈、美しい名前ですね」
「ある方から一字をとった」
「ある方とは」
明綱はこたえなかった。
「この子には幸せになってほしい」
そのとき、明綱の肩から一枚の桜の花びらが落ちた。
「今日は、城の桜がほころび始めていた。綾も産後の日達が良かったら花見に行こうぞ」
「殿は桜がお好きですか」
明綱の表情が止まったように見えた。
「ああ、好きだ。桜ははかなく美しい」
時々、綾には明綱が遠くに感じられる瞬間があった。そのとき、いつも考えてしまうのだった。もし、明綱様にふさわしい人が妻として来たら、私のような女は捨てられてしまうのだろうか。明綱に惹かれれば、惹かれるほどその考えにさいなまれた。
「綾」
と明綱が言った。
「そなたは生涯、私と過ごすのだぞ。そなたとその子は決して離さぬ」
綾は涙を流した。
「殿、うれしゅうございます」
完