特別篇 第三話
戸田右衛門の妻が亡くなったという知らせが、明綱の耳に入った。ひとり残された綾には縁談が持ち上がっていた。
「急がなくてはならぬ」
と明綱は思った。
長年の友である佐久間を明綱の屋敷に呼んだ。
「いかなる用か。お急ぎの事とうかがったが」
佐間は、妻の実家の法事に行っていたところを呼び出された。
「私事ですまぬが、戸田右衛門の娘、綾の事だ」
せいている明綱は単刀直入に言った。
「その娘がどうしました」
「綾に縁談が持ち上がっている。何でも足軽頭の上田とかいう男で、綾に懸想しているのだ。その縁談を破談にしてほしい」
「はあ」
佐久間には、明綱の言っている意味がわからなかった。
「綾は私が引き取りたいのだ」
こう言えば、佐久間もわかるだろうと明綱は思った。
「明綱殿は、その娘が欲しいわけですな」
「そうだ」
明綱ははっきり言った。佐久間は四十を過ぎた明綱が、そんなことを突然言い出したことに驚いた。今までの明綱にはそういう浮いた話がなかったからだ。
「それでだ。その上田という男にしかるべき娘を世話し、役職を上げてやるのだ。そうすれば綾をあきらめる」
と明綱が言った。
「なるほど、でも、それなら、御家老がその男に綾はだめだと言えば、それでいいのでは。その男、明綱殿に命を狙われるかもと思って、逃げ出すでしょうよ」
「そういう手荒なまねはしたくない。穏便にしてほしい。それを貴殿にお願いしたいのだ」
「よほど、その娘が気に入ったのですね」
「そうだ」
明綱はぶっきらぼうに言った。
「しかし、そのような下級武士の娘を妻にするのはどうであるかのう。明綱殿は当主の佐藤家の御息女との縁談さえ足げにした身。そのような娘を妻にしたら、皆不快に思うであろうよ」
と佐久間が言った。
「妻にはしない」
と明綱が冷たく言った。
「なるほど、妾か」
「妾にもしない。綾は侍女として私に仕えさせる」
ほうと佐久間はつぶやいた。ただの侍女か。それでは明綱はその娘が気に入らなくなったら捨てるつもりか。明綱は非情な男よのう。しかし、これほど執着するとはどういう了見か。まあ、この気難しい男とその娘がうまくいくとは思えないが、若い娘の扱いにうろたえる明綱を見るのもおもしろいかもしれない。
「わかり申した。なんとかしましょうぞ」
と佐久間が言った。