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日本の小、中学校や高校は、ほとんどが3学期制だという。とは言っても、地方では2学期制も珍しくはない。
そのように、この市立小学校も「セメスター制」という2学期制だ。「セメスター制」とは、欧米の大学のような制度で、前期(四月〜七月)と後期(九月〜三月)のように分けられている。
それにどんなメリットがあるのかは子供の自分には分からないが、特に不都合ではないし、気になることでもない。
(良いことといえば、成績表が返ってくる回数が少ないことだな……)
季節は秋。
あくまで『季節は』だ。こんなに暑いんだから暦ももう少し夏ということにしておいてほしい。今朝見たニュース番組の女性キャスターは、「いやあ、もう秋ですね」なんて汗を流しながらテレビ局の外で天気予報をしていたが、「おい、気温見ろよ」とテレビに向かって突っ込んだ俺は変じゃないと思う。
俺こと神木龍は、そんなことを考えながらドアの前に立っていた。
秋と言っても、正確な日付は八月二七日。残暑の中汗を流して走ってきた俺は、四日後が全国的にはもう秋だなんて信じない。絶対に。
九月なんてまだ暑い、夏だ。夏に決まってる。しかも八月二七日に学校に来ているということは……そう。
夏休みが終わったということだ。
(え、夏休み終わった? 何言ってんだよ、まだ一週間くらいしか経ってないだろ?)
今朝、母親にそう言い続けたが、冷たくあしらわれて終わりだった。
(いやちょっと待てよ宿題とかやったけどどこに置いたっけ覚えてねえよいやきっとこれは夢で、これからが夏休みでしたっていうオチだろ読めてんだよ……え、違うの?マジヤバいどうしよ)
母が早起きして作ってくれた美味しい朝ごはんを前にも、こんなことを考えていたからか箸は進まず、味はない気がした。母には悪かったがほとんどを残し、後ろから怒鳴られるのを無視して、自分の部屋で現実逃避。枕を十数発思いっきり殴ると、なんだか気持ちが落ち着いていった。枕には悪かったと思う。落ち着いた俺は急いで登校の準備をし、どこかへ置いた宿題を探す旅に出た。
俺の部屋(八畳)の中の小規模な旅は、思ったよりすぐに終わった。所要時間十分。電気を点けていない薄暗く汚い部屋を引っ掻き回すと、倍に汚くはなったが宿題は見つかった。記憶通り宿題がやってあったことに安堵して(俺の記憶力の弱さは尋常じゃない)、使い古した黒いランドセルを背負う。キーホルダー等はついていない、特に特徴もなく特に思い入れもないランドセルを使うのも今年で最後だ。ダサくて嫌なランドセルも、いつか懐かしくなるのだろうか。
八時になった時計を見て驚き急いで家を出ると、奥から母親の説教が聞こえた。あんまり怒ると血圧上がるぞ。でもそんな親不孝なことを考えているほど時間は無かったので、やむを得ず走り出す。
(朝の学習の時間までに着くかな………ああヤバい!)
なんとか走って来たら遅刻は免れた。しかもそこまで急ぐこともなかったみたいだ。八時を指していた家の時計が五分進んでいたことを思い出し、自分の馬鹿さ加減に落胆した。そして、八月下旬の強い日差しのせいで汗だくの体のまま階段を上り、廊下を歩いて教室の前にまでやってきた。
自分でも忘れそうだったが、まあそんな理由で今(ドアの前で立ってる状態)に至る。
ただ「現実逃避してて遅刻しかけてでもそれは勘違いで普通に間に合った」というだけの話だが、我ながらユーモアがあると思う。あれ、これ使い方合ってるのかな。
もう着いたのだからドアを開ければいい、それだけだ。今俺の前にあるのはもちろん教室のドアであって、兵士が横に立っているような厳重なものじゃない。スライドするだけのドアをなぜ開けないのかは、鍵がかかっていてドアが開かないとかでもない。
(あいつら、もういるよな……)
個性的。
それは悪い意味か良い意味か……俺にとっては悪い意味だ。個性的と言えば良く聞こえるが、要するに皆変なのだ、性格が。もちろん常識人もちらほらいるが、変な奴らに振り回されている。それには俺も含まれるわけで……常識人の方にな。まだ小学生、小学六年生だっていうのに、あまりにもキャラが濃い。漫画やアニメじゃないんだから、と言ってみたくもなる。俺はドアの前でまたため息をつく。
(でもしょうがない、もう時間だ……)
「生姜がないのはしょうがない!」なんて言ってた昔の友人はどうなっただろうか、と全く関係ないことが頭に浮かんできた。今もそんなギャグを言って場を凍らせているのだろうか。
もう着いているのに遅刻なんていうのは嫌だし、ずっとここにいたところで何もない。もう躊躇っている時間もない、と俺の不屈の精神もポッキリと折れて、スライドドアへと手をかける。ふぅ、と息を吐いて、手に力を込める。
ガラッ、と漫画みたいな音を立ててドアがスライドする。
「お、龍。遅かったな……人を待たせるなよ」
………開けなきゃ良かった。
* * *
市立英谷小学校は、とある地方の小さな小学校だ。『私立』じゃなく『市立』なところがどうも地方らしい。
全校生徒でも百五十人前後しかいないこの学校は、一学年一クラスしかなく、いわゆるクラス替えがない。一番多くても六年生の三二人である。英谷小学校では人数が少ない故にか、部活も少ない。基本的には、野球部、ソフトボール部、演劇部。そして期間を限定して陸上部、駅伝部。そして例外的にスキー部。この中で一番部員数が多いのは、帰宅部を除けば演劇部だ。おそらく運動をしたくない人が流れているためだろう。演劇部でも嫌な人は必然的に帰宅部となる。そのせいか、野球部やソフト部は毎年部員獲得に四苦八苦している。
こんな小さな学校にでも、普通じゃない奴らはいるものだ。特にうちのクラス……六年生は。
俺こと神木龍は、英谷小学校に通う平凡な小学六年生だ。可愛い幼馴染みがいるわけじゃないし、異能の力を授かってもいない。少し前までは夢を見たりしていたが、十二歳にもなると逆に現実が見えてくる。まあ、十四歳になって中二病を発動する可能性もなくはないが。
それでも、普通に生まれて普通に育って普通に学校に通っている、本当に普通の小学生だ。飛び抜けてできるようなこともないが、平凡な男を求める今時の女性からはなかなか優良物件だと思う(記憶力弱いけど)。このままいけば、相当なバカ高校に入ることもないだろうし、変なブラック企業に捕まることもないだろう(記憶力弱いけど)。
このまま普通の人生を送って、普通にこの世を去る……きっとそうだと思う。
だが俺のクラスメイトは、どうも普通じゃない。別に可愛い幼馴染みもいないし、異能の力も持ってないけど。おそらくこいつらは、普通の人生を歩まない。
「……そういえばさ、なんで遅れんの? お前ん家超近いじゃん、学校……って聞いてんのかよ龍。おーい」
「えっ、あ、ああ、聞いてる……」
……朝からこいつとは、なんて運がない。
しかも、『人を待たせるな』なんて何事だ、お前と約束なんてしてないぞ。
「聞いてねーだろうが。なんだ、寝不足?」
そう言って笑うこいつは、沙上夏樹。俺より数センチ高い背は、おそらく百六十センチ前後だろう、小学六年生の平均よりも十センチほど高い。顔の印象は『美少年』、とにかく整っている。肩まで届かない髪は漆黒、瞳も同様。綺麗な鼻筋の上には黒縁の眼鏡が乗っている。男性声優みたいに透き通っていて綺麗な声は、低いけどよく通る。そんな声は文字通り聞き慣れていた。
そんな俺の友達――――いや違うかもしれない――――である夏樹は、愉しそうに目を細める。前に出されている手は、寝癖を直してきていない俺の髪を弄るためだろう。
俺はそんな夏樹の手を少し強めに叩き落としてから言った。
「聞いてるって。お前じゃないんだからちゃんと寝てるし」
「おいなんだそれ、まるで俺が寝てないみたいだろ」
とぼけたように肩を竦める相手に、俺が「本当のことだろ」と言うと、夏樹は「まあな」と薄く笑って肯定した。白のロングTシャツに黒のジャケットを纏う奴は、わざとらしく頭の後ろで手を組む。そんな仕草でも妙に絵になる夏樹は、本当にアニメから出てきたみたいだった。
世の中にはこんな奴もいるんだなあ、とさっき優良物件とか言った自分が恥ずかしい。できる限りこいつとは並びたくない。雲泥の差だからだ。
そんな時、不意に後ろから声がした。担任の男性教師の声だ、声色に少し憤りを感じる。どうも呼ばれたのは女子全員のようで、このあと説教が始まりそうな雰囲気だった。あの先生は、どうも変な言いがかりをつけて関係ない人まで怒るので、不人気極まりない。
女子みんな、ご愁傷様……と心の中で手を合わせたとき、俺の前にいた夏樹が、心底嫌そうに呟いた。
「うっわ、めんど。悪い、ちょっと行ってくるな」
やっぱり、おかしいだろ?
顔の印象は『美少年』で、私服は白のロンTに黒のジャケットで、声が低くて、一人称が『俺』な夏樹が―――――。
「女子集合、 早く!」
「あーはいはい、分かってますよーって」
――――――女なんだからな。