今から好きって言うから
俺こと相馬駿と安田明里は、絵に描いたような幼馴染だった。
母親同士が大親友で、家は隣同士。二階にあるお互いの自室の窓は向かい合っており、そこから移動することも出来た。
幼稚園も小学校も中学校も一緒だった。明日の宿題や夏休みの課題、遠足の予定や友達関係。二人の間で知らないことはなかった。
「明里、宿題見せて」
そう俺が窓から言うと、明里は「じゃあ今度奢ること!」 と言っていつも見せてくれた。
「明里、学校で失敗した……」
そう俺が言うと、明里は「駿はもう……しょうがないなあ。先生や女の子達には私がフォローするから」 と言ってくれた。同い年だけど、小学校くらいの時は女のが成長早いから、ちょっと姉貴みたいだった。
「明里もこんなの描くんだ」
中学校の時、宿題写させてもらおうと部屋に入ったら明里がいなかった。机の上に置いてないかと探すと、可愛い落書きがノートに描かれていた。微笑ましい。
「こら! もう駿だからいいようなものだけど……」
気安い関係。そこにいるのが当然の空気。他の人間なら許せないことも、長い時間共に過ごした明里なら許せる。いつしか俺は、きっと未来でも明里が隣にいるんだろうと思ってた。何故かそうなると信じて疑わなかった。
「駿、私ね、彼氏が出来たの! だからもう今までのようにいかないからね。幼馴染だっていうのは皆知ってるけど、変な噂が立たないとも限らないし、もう窓からの出入りは禁止ね。私達もいい年だから適度に距離とらなきゃ」
頭の出来も一緒だったから、同じ高校に入った。そして数ヶ月もすると、明里は笑顔でそう言った。それから、俺だけがずっと窓を開けていた。明里の窓はいつまでも閉じられたままだった。
明里が急に大人になったような、自分だけ置いていかれたような、何ともいえない喪失感だった。
◇◇◇
「でも私、明里は駿と付き合うんだと思ってた」
「もー、やめてよ。ずっとただの幼馴染って言ってるじゃん!」
教室では明里は友人とそう話している。俺もその内容には同意だ。明里はどうして、今さらぽっと出の男を選んだんだろう。ただの幼馴染って何なんだろう。同じ時を長く過ごして、それでも選ばれないなんて。
「明里」
「あ、悠馬くん!」
十分の休み時間も惜しむように、明里とその……彼氏である悠馬は何度となく行き来した。俺には目に毒で仕方ない。
「これ、昨日駅前で見かけて。好みだったよね?」
「あ、可愛いシュシュ! ありがとう! 私ピンクが大好きなの」
嘘だ。背の高い明里は女の子らしいものが似合わないからと、寒色系の服や小物を持ち歩いている。あいつ、そんなことも分からないのか? そんなことも一から覚えないといけないような人間が、どうして彼氏なんだ? 明里……。
告白する前から振られた俺は、ずっともやもやを抱えて過ごしている。どこにも吐き出せないまま……。
◇◇◇
「ちょっとそこのお兄さん! 家まで乗っけてってよ」
放課後、部活を終えて自転車のライトを点けて乗って帰ろうとすると、明里が後ろの荷台に飛び乗ってきた。
「うわっ……お前な、二人乗りは原則道交法違反だぞ? 最近は自転車だって厳しく取り締まりがあるのに」
「ちぇっ、しょうがないなあ。じゃあ歩くから送ってってよ。自分は自転車で帰って、レディを暗いなか一人歩かせるつもりとかないでしょ? 私の自転車、イタズラでパンクされて修理中なんだもん」
「お前、彼氏はどうしたんだよ。いいのかよ他の男に送らせて」
「逆方向なんだよ? 私の家までつき合わせたら、彼の帰りは日付越えちゃう。それが分かってて送らせる女ってどうよ」
「……そういう理由なら、送らなかったらあとで俺がお袋にとやかく言われるな」
◇◇◇
月夜の道を、二人で歩く。自転車のカラカラ言う音と近くの田んぼで蛙の鳴く音が耳に心地良い。明里に彼氏が出来てからというもの、二人になるのは久しぶりだったからか、お互い色んなことを喋った。
「なあ……彼氏とは上手くいってるの?」
よくある学校の愚痴から、不意に彼氏の話題になった。明里は満面の笑みで答えた。
「バッチリ! 悠馬くんね、優しいし、かっこいいし、ちょっとカワイイ! あとね、気配り上手! 私の好みをそれとなく調べて二人の記念日に買ってきてくれるの。今日は付き合って一ヶ月記念日だったんだ。私も忘れてたのにね」
「調べる、か……大変だな」
「だよね、わざわざさ、そんな些細な日のために……もしかしたら口実だったのかもだけど、でも調べてくれるのって嬉しいよね! 私のことそれだけ考えてくれてるってことでしょ?」
「そうかな。いちいち調べないと何も出来ないなんて面倒くさくない?」
「ちょっと駿、何その言い方」
明里はちょっとむっとした。むっとしたいのは俺のほうだ。
「俺だったら、調べなくても明里の好みくらい分かる。プレゼントなんてしなくたって、明里を笑わせる方法を知ってる。ずっと一緒にいたのは俺なんだから」
明里は少しきょとんとした後、吹き出した。……勇気を出していったのに、明里には笑い事のようで、少しショックだった。
「あはは。何それ、お姉ちゃん取られた嫉妬? うんうん。私が五月生まれで、駿が九月だから今私のほうが年上だしね。駿くん寂しいよね。でもそんな風に言うものじゃないよ。本だって途中から読んだりしないでしょ、初めからでしょ? そのほうがいっぱい頭に入って楽しいからだよ」
明里はそう諭した。子供に言い聞かせるみたいに。明里の中で俺は、ただの弟分なのかな。
こんなに想っているのに、こんなに知っているのに、明里は俺を恋愛相手として見てくれない。
「あ、着いたね。んじゃ、また明日!」
自宅が見えると、明里はさっさと家に入っていった。長年の付き合いから、早く彼氏と連絡を取りたいがためだと察しがつくのがこの時ばかりは嫌になる。溜息をついて俺も自転車を車庫にいれて家に入る。入るなり、母が深刻な顔で出迎えた。
「お帰り駿。あのね……お父さんの転勤が決まったの。海外だって。しばらく日本に戻れないみたいよ」
父が大きな企画に関わっているのは知っていたが、まさかそこまでとは。そしてそれをわざわざ言うということは。
「親父に、着いて行くの?」
「……家族が離れ離れになるのはいい気がしないわ。何より私が離れたくない。それに着いていけば、無条件で向こうの学校に入れてもらえるんですって。今の高校より、よっぽど名の通った学校よ。……でも、駿が日本にいたいと言うなら。義務教育中ならまだしも、高校生なら選択の権利はあるものね」
俺は少し考えて、言った。迷う話ではない。
「着いてくよ。ただ、この話はしばらく周りに伏せといてほしい」
◇◇◇
「……にしても、パンクで一週間なんて長すぎー。新しいの欲しくても、うち狭いから置けないし。私この一週間で絶対痩せたよ! すごい歩いてるもん!」
明里は、いつものようにしょうもない愚痴を零していた。今日で幼馴染と別れるなんて知らないから、本当にいつものまま。
「あ、楽しい我が家が見えました! 駿、この一週間ご苦労! 世は満足である」
おどけたように言う明里。そんな話していて楽しい明里が……
今でも好きだ。彼氏がいても大好きだ。けれど、自分は選ばれなかった。
だからどこかで断ち切らないといけない。気持ちを伝えるのは明里を困らせるだけだと分かっていても、今伝えなかったら一生引きずりそうな気がした。だから、考えに考えた台詞を言う。ダメージが最小限で済みそうな愛の告白を。
「明里」
「ん? どうしたのよ、そんな深刻な顔して」
「今から好きって言うから、嫌いって答えて」
「……は?」
明里は、目を大きく開けて驚いた。目の前の幼馴染が、知らない男みたいだった。
「明里、好きだ」
◇◇◇
……お前、私が好きだったのか。
明里は告白を聞いて、まずそう思った。そして数秒頭の中で考えた。
ない。幼馴染と恋愛とかない。だってそうでしょ? 幼児期に男女の概念が無くて庭のプールで泳ぐ時、お互いの目の前で着替えてたこと。小学校が遠くて、駿が洩らしながら登校したこと。出入りが自由すぎて、私がうっかり机の上に放置していた、最強主人公の夢小説ならぬ夢漫画を読まれたこと。それをニヤニヤ笑いながら見てたくせに。
幼馴染とは黒歴史の生き証人である。黒歴史の生き証人とは監視のために仲良くなっても、恋愛相手なんてまっぴらだ。そもそも家族の意識が強くてそんな感情が持てないのだが……男の人は逆にロマンを感じるんだろうか? 分からん。
駿の告白。正直好かれてること自体は嬉しいんだけど、だからって彼氏がいる以上、受け入れるのはいけない。二股だ。越えてはいけないラインだ。好きだと聞いて動揺はあれど、迷いはなかった。
「……ちょっと卑怯な告白だね。そういうやり方、『嫌い』」
明里は少し呆れながら言った。その言葉と態度で完全に踏ん切りがついた駿は、少しだけ悲しそうな笑みを浮かべて言った。
「ありがとう。ごめん。あと、これで気に病む必要はないから。俺、親の転勤について行くんだ」
「え……」
「彼氏と仲良くな。今まで嫉妬して悪かった」
いつも明里を見送ってから家に入る駿だが、この日は先に自宅に入った。明里は幼馴染の変貌に、しばらく呆然としていた。
家に入って、ふと雨戸を開けて駿の自室のほうを見た。駿の窓は完全に閉ざされていた。今までの明里と同じように。同じことをされただけなのに、明里は駿の分際で、と一瞬だけ思ってしまって恥じた。
翌日、相馬一家は旅立った。明里はその時それを初めて聞いて、それだけ思いつめてたかと少しだけ切なく思ったが、彼氏の顔を思い出せばその感情すら疎ましくなる。結局、どうあっても恋愛対象じゃなかったのだと思う。
幼馴染の情として、駿にもいつか彼女が出来ればいい、と明里は思った。
そしてその時は、あんな後ろ向きな告白にならなければいい……。