第三話 負け犬
魔王を倒して三年。長いようでとても短かったように思う。
三年。たった三年。たかが三年。
それだけの年月で、僕という人間はどうしようもないほどに擦り切れてしまった。
僕を信じてくれた人々、僕と共に歩んできた仲間、僕を愛してくれた人。それら全てを裏切り、逃げ出した僕には、もうあの人達の前に出る資格はないだろう。
そんな僕が逃げついた先。
「ここが……」
目に見えるのは、ドーム状の塀に取り付けられた巨大な門と、門を潜ろうとする人によって出来た長蛇の列。
列の最後尾に並び、無言で順番を待つこと数時間。ようやく自分の順番となり、衛兵が事務的な口調で幾つかの質問をしてきた。
「人数は?」
「一人だ」
「一人……と。知っているとは思うが、ここがどういった場所かはわかっているな?」
「ああ」
「よろしい。では腕を出して」
「……」
衛兵の持つ注射器のような道具の針が、無言で突き出した自分の右腕に刺さるのを何の葛藤もなく見つめる。
おそらくこの時、僕の目は死んだ魚のようだっただろう。
予想していたよりも鋭い痛みが右腕から背筋にかけて走った後、不思議な熱とともに右手の甲に小さな痣が浮かび上がる。
「これでよし」
聞いてはいたが、本当にあっさりしたものだ。
たったこれだけで、僕のこれまで生きてきた18年という歳月は無となり、新たな人生を歩むこととなる。
「ほんと、なんだったんだろうな今までの人生……」
「ん? 何か言ったか?」
「いや、なんでもない。もう入っていいか?」
「ああ。だが、街へ入ったらすぐに組合に登録だけしておいてくれ。後日に回すと面倒だからな。場所は、街へ入って真っ直ぐいった先にある。他のやつも並んでいるだろうから迷うことは無いと思うが、一応これを渡しておく」
衛兵が渡してきた小さな紙を見て眉が少し上がる。
紙だ。羊皮紙なんかじゃない。ちゃんとした紙。しかも、僕が知っているのと同じぐらい精巧なもの。更に、印刷されているのは色付きの地図だ。
たったこれだけで、ここがどれだけ異常な場所なのかを思い知らされる。
わずかに驚きはしたものの、あえて無表情を貫き、無言で門を潜る。
既に衛兵は僕の方など見ておらず、次の来訪者へ向けて僕に言ったのと同じ内容の質問をしていた。
「……僕も所詮は有象無象か」
多くの人々から讃えられ、恐れられてきた『勇者リュウ』は今ここで死んだ。これからの僕はただの『リュウ』だ。
門を潜り街へと一歩踏み出す。
頬に涙が流れるわけでもなく、かといって喜びで笑顔になるわけでもなく。僕の胸の中には、ただただ虚無感という名の虚しい風が吹いていた。
賑やかな街の中を一直線に真っ直ぐ歩く。
しばらく歩いていると、門の所にいた衛兵の言う通り、大勢の人が出入りする建物が見えてきた。
手元の地図を見ると、街の中心に位置するこの建物は巨大で、下手をすれば小国の城ほどもある。
当然、入り口も広く作られているのだが、それ以上に人の流れが多く、僅かに行列らしきものも出来ていた。
行列になっているのは人間族と獣人族のようだ。
無言で人間族の行列の最後尾に並び、ぼんやりと建物の入口上に掛けられた看板を眺める。
――『迷宮組合へようこそ』
やたらとポップな丸い文字で書かれたそれが、陰鬱な僕の残り僅かだった気力をガリガリと削っていく。
(見るんじゃなかった)
ため息を付く僕を、前に並んだ男女が迷惑そうな目で見てきたが、無視して下を見ながら列が消化されるのを待つ。
「次の方、どうぞ」
それなりの時間が経過して、ようやく僕の番がやってきた。
ここへ来たのは昼前だというのに、もうすぐ夕暮れ時だ。今から宿をとったとして間に合うんだろうか?
「次の方ー?」
「ああ」
いけない、せっかく今まで待っていたのに、これで順番を飛ばされてはかなわない。宿のことは後で考えよう。
「ではお名前やご職業などをこちらの用紙に……」
手渡された用紙に記入しながら、僕の受け付けを行なってくれている人族の女性の容姿を確認する。
見た目は普通の女性だが、彼女には右足が無かった。
ちらりと隣を確認すると、この組合の職員らと思われる人々は、どこかしら体の一部が欠損していたり、そうでなくとも足を引きずっていたりと五体満足ではないことがわかる。
「なあ」
「はい?」
僕のかけた言葉に笑顔で反応する女性。しかし、目はどうしても根本からぶっつりと切れて無くなっている右足のあったであろう場所を見てしまう。
「あんたもこの迷宮に?」
僕の質問を聞いた女性は、少しだけ表情を動かしたが、すぐ表情を戻し苦笑する。
「ええ。三年ほど前までは。見ての通り、冒険など出来ない傷を負ってしまい、今はこうして組合で働かせていただいてます」
「……そうか」
他にもいくつか聞きたいことはあったが、質問を聞いた直後に僅かに見せた彼女の表情を思い出し、疑問を腹の中へ押し戻す。
「これでいいか?」
「はい。ではご確認いたします」
受け付けの女性が、僕から受け取った紙を暫く眺めた後「はい。問題ありません」と言い、笑顔のままぺこりと頭を下げた。
思わず僕も軽く頭を下げてしまい、下げた後にしまったと後悔してから苦虫を噛み潰したような顔で彼女に背を向け組合を出る。
組合の外の長い列を尻目に歩く僕の頭の中にあったのは、僕の質問を受けた後、右足の無い彼女が見せた、憎しみや悲しみといったものがごちゃ混ぜになったような悲しそうな表情だった。
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ここでこの物語の主人公である青年の夢は途切れる。
だから、この後の事は青年は知りもしないし、彼に何の影響も及ぼさないのかもしれない。
そんな、ただの無意味な会話だ。
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「何見てるの? お、新人? へー、どれどれ」
私が先ほど記載されたばかりの登録用紙を眺めていると、同僚が横から覗きこんできた。
「んで? この子、期待の新人だったりするの?」
どうやら彼女は、浮いた噂の一つもない私が、どこにでもいるような新人を気にしていることが気になるようだ。
どこの世界でも女という生き物はこういった話が好きというのは同じなんだな、なんて思ってしまう。
「そんなんじゃないわ。ただ……うん、そう。気になっただけ」
「気になったってどこが?」
言うか言うまいか悩んだ後、隠す必要もないかと判断し教えることにする。
「多分、彼の出身は自分と同じ場所。ただそれだけのことよ」
「え、マジ? あんたと同じってことは……」
「そういうこと」
去来するのは懐かしい日々。日に日に薄れていく思い出。
私の表情に何を感じたのか、同僚は少し心配そうな表情をする。
「ふーん……ねえ」
「なに?」
「あんたさ、やっぱ……その……帰りたいなって思う?」
「うーん。以前なら迷いなく頷いただろうけど、今はそうでもないかな」
「そっか」
「うん」
「原因はやっぱりその足?」
嘘偽り無い私の本心を聞いた同僚はどこか納得した表情で、ついでとばかりに普通の人は聞きにくいであろう事まで聞いてきた。
だから私は、嘘偽り無い真実を告げた。
「違うわ。私はね、心が折れたの。そんな私にこの世界は奇跡なんて起こさない。あなたも知ってるでしょ?」
一瞬、笑顔が自慢だという同僚の表情が消え去り、瞳にはどこまでも寒々しい空虚な色になる。
おそらく、私の目も同じ色なのだろう。
だがすぐに同僚は表情を笑顔に戻し、自分の担当する席の前にやって来ようとする有翼人の方へと顔を向けた。
「おっと、お客さんだ」
「はー、“貧乏暇なし”とはよく言ったものね」
「なにそれ?」
「私の故郷にあったことわざよ」
「あはは。いいことわざね。あたしらにピッタリだわ」
そう言って同僚は“同じ有翼人”の新人の相手をする為に“片方だけ残った右手と左側だけ残った羽根”を揺らしながら自分の席へと戻っていった。
さて、私も頑張ろう。
そう思い、新しくやって来た新人へと笑顔で声をかけた。
「次の方、どうぞ」