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彼のマシン・彼女の未来

作者: HARIMA
掲載日:2026/04/25

どしゃぶりだった。

鉛の玉のようだった。


アスファルトの微妙なくぼみは

またたくまに水たまりに変わった。

しかし、空は明るい白色をしていた。



午後一時。

日曜日。

峠の展望台。

少年は、水の弾丸を浴びながら

つっ立っていた。

そして、この銀白の空を見上げていた。


スカイラインの頂上である、この場所から見上げた視界を征服するものは。

当然のごとく空しかなかった。

少年はこの空の、やさしいまぶしさに

むせかえりそうになりながら雨の衝撃を感じとっていた。


彼の傍らに寄り添うのは

一台の黒いモーターサイクルだけだった。



「チキショウ、やっぱり間に合わんかったな」


少年は、この日。

スカイラインのワインディングロードを流しに来ていたのだった。


山の天気は変わりやすいのが相場だ。


モーターサイクルを操る彼の目にも

めまぐるしく走る雲の流れをとらえることができた。

ヘルメットのシールドに水滴がつく前に、ふもとへ駆けおりているべきだった。

しかし、下りにさしかかる手前で、とうとう少年とモーターサイクルは雨につかまってしまった。


少年は観念した。


頂上の展望台には雨をしのぐ小屋さえもなかったが、とにかく一服をきめることにした。


雨に打たれ、だいぶ時がたち。

彼の黒いライディング・ジャケットも、タイトなブルージーンズも、色あせたバスケットシューズも。

ぬれた光沢につつまれていた。

クリーンカットされた髪も逆立ち、雨に打たれるまま水滴をたくわえていった。


雨が止んだのは少年が展望台を去ってから約二十分、家に着いた彼がシャワーを浴びていたころだった。




16でスカイラインに通い始めた少年も19となっていた。

もっとも、生まれて初めてモーターサイクルに乗ったのは。

生まれて初めてビールを買って飲んだのと同じ13の時だった。

※昭和当時の自販機


片田舎の農家である彼の家の納屋に、土ぼこりにまみれたヤマハ・メイト50が置いてあった。


キーは、いつも付けたままにしてあった。

おさない頃から大人達がそれに乗るのを見ていた彼にとって、動かすことなど造作ないはずだった。

皆が寝静まった夜、彼はヤマハ・メイトをこっそり持ち出し。

旧国道へところがしていき、家から100mはなれたところでエンジンをかけ始めた。


慣れない足つきで少年はキックをおろした。

四回目でエンジンは覚醒した。

一気にアクセルをひねった。


思っていたより、ヤマハ・メイトの排気音はやかましかった。

しばらくしてヘッドライトが点いていないことに気付いたが、少年は無我夢中でハンドルにしがみついていた。

そして初めて乗るエンジン付の乗り物に畏怖の念を抱きながらもブレーキをかけることも忘れ、暗闇の中を疾走したのだった。


スピードが何キロ出ていたかもわからない。

チェンジペダルをかき上げることで高速ギアとなり、スピードが増すことまで知っていた少年だったが。

高速ギアから一気に低速ギアに落ちてしまう、ロータリー式のトランスミッションを持つヤマハ・メイトの仕組みを、彼は知らなかった。


案の定、急激なエンジン・ブレーキがかかり。

少年はヤマハ・メイトから放り出された。

道路わきの田んぼの土手で強く頭を打ち、翌朝になって自転車で巡回していた巡査に発見されるまで彼は失神していた。


それから中学校の生活指導教諭に呼ばれ、二時間近く説教されるハメになったが。

それよりも少年にとっては、久しぶりに父親から頂いた一発のゲンコツの方が、まだこたえた。




ケイ。

それが少年の呼び名だった。

ケイは実業高校の機械科の生徒で、あと数ヵ月で卒業となる。

ただし。

一年留年している、だから19。



「ケイ、フケようぜ」


いつものように、数名の仲間と午後の授業をフイにする。

玄関から叫ぶ教師の声を背中にモーターサイクルが泳ぎ出す。

その排気音は、さしずめ、あざけり声のようだ。



彼の仲間達。


カズ。

ガキのころから色男。

本当に外人みたいなツラをしている。

だけどヤボな奴で、一人で硬派ぶっている。

カズのモーターサイクル。

カワサキZ400FX。


重厚な車体をしている。


「男はカワサキよぉ」


というカズは、やはりカワサキしか選ばない。

FXにまたがる前も、やはり同じカワサキのAR50に乗っていた。

タバコはショートホープ。

カズには、くされ縁の女のコがいた。

進学校であるL高校のとなりのM女子校に通っている。

みんなは二人をステディだと信じているがカズ自身は否定している。

ただし、他から言いよってくる女のコには目もくれない。

からかうと一番おもしろいのはカズだ。

日本人ばなれの顔をしていても英語はいつも赤点。

かなりゲタをはかされて進級してきたことだろうと、もっぱらのウワサだ。



カツ。

無鉄砲な奴。

二回、死にっぱぐれている。

通算入院約半年。

留年しないのが不思議なくらいだ。

そのうちの一つ。

そのワケは、やはりモーターサイクルにある。

寝坊してしまい、アクセル全開で登校中の悲劇。

イキナリ、ブラインドカーブからダンプ・トラック。

その後は記憶にないらしい。

次に目の覚めたのは、水の音がした時。

まず目に入ったのは白衣の看護婦と白いカベ。

次に目に入ったのは、自分の太腿から飛び出した骨の折れ口と、それを水で洗っている医師の姿。

全治三ヵ月。

今でもカツの右太腿には、えぐれた部分が残っている。

ちなみに、頭の調子は以前のままだ。



パラ。

金髪がシンボル。

小心者だがイキはいい。

ナリは小さい。

家がキノコ栽培をしている農家で、よく手伝いをしていた。

最近、親父さんが亡くなってしまい、キノコ栽培も一人でがんばっているらしい。



他にも仲間はいるのだが、この日ケイといたのは、この三人だった。



「ケイ、ハッカ行こうぜ」


パラが誘う。

ハッカとは、近くにある峠の名だ。

よく走りに行く。


「コーヒー飲まんか」


カズがうながす。


「おう、最近ハッカにL高の野郎どもが来てるらしいぜ」


「ケッ、ナマイキに」


「一回シメんべ」


結局、その日は行きつけの茶店で夕方まで女の話ばかりしていた。



ケイは帰る前に、少し流して走ることにした。

マイルドセブンとコーヒーで苦くなった口を開けると、夕ぐれの冷たい空気が風になってのどをくすぐった。

パープルの空の彼方に沈む夕日を見ながらケイは走った。


ケイのモーターサイクル。

ホンダ・ホークIII(スリー)

‘79年型の400cc。

オール・ブラックに塗りかえてあるが、これはペンキ屋の友達が二万円でやってくれたものだ。

装着されている集合マフラーからは、太くて小気味よい二気筒独特の声がする。

もともとは彼の兄が乗っていたものだったが。

その兄が3年前仕事で上京すると同時に、ゆずりうけたものだった。


「あいつ、もう帰ったかな」


国道を北へ走り続けて、ケイは自分の彼女が通う高校の近くまで来ていた。

もう、あたりは闇。

時計は六時半。

そろそろ定時制の授業が始まる。


キヨミ。

それが彼女の名前だった。

キヨミは定時制の生徒ではなかったが、部活に入っていた。

運動ではなく、美術部だった。

その部活も、まともにやっていたわけじゃなかった。

遅くまで美術室で友達と菓子を食いながら、しゃべっているのが仕事だった。


高校の横を通った時、美術室のあかりは点いていなかった。


道ばたに定時制の連中のモーターサイクルが並ぶ。

ほとんどが族車、つまり暴走族のものだった。

ピンクのチンチラシートが闇に浮かびあがり、ハンドルに挿しこんだヘアブラシが妙に目立つ。

少なくともケイは、こんな連中とは違った。

彼らはストリートを、ケイはスカイラインを走るのが好きだった。


何よりも、目立つのは嫌いだった。

ケイはガキのころからそうだった。

さらし者になるのがいやで、学芸会をよくサボった。

無口で、はにかみ屋で、照れ屋。

言いたいことも正直に言葉で表わせたことなどなかった。

まじめな話をする時は、いつもフザケてばかりいた。


ただ、負けず嫌いだった。

悔しい時は涙を流して悔しがった。


ケイは、点け忘れたヘッドライトの行く先を家路に向けた。




ケイのモーターサイクルを塗装した少年は、ヒロシと言った。


ヒロシはケイと中学校の同級生だった。

全日制の高校を受験したが落ちて、キヨミと同じ高校の定時制に通いながら仕事をしている。


彼の自慢は車だった。


`77年型フォード・ムスタング。

スポーツタイプのアメ車だ。


心臓部には、V型8気筒をつむ。

ホーリーのキャブレターはボンネットをつらぬき、むき出しとなって渋く銀色に光る。


そして、ケイのモーターサイクルと同じく、ブラックに塗られていた。


この車を、どのようにしてヒロシが手に入れたかは定かではなかったが。

東京で貿易関係の仕事につく彼の叔父からゆずり受けたというのが、有力な情報として流れていた。


ケイとヒロシは、本当に幼い時からの友達だった。

何しろ家が隣り同志で、よく一緒に裏山へ虫を捕りに行ったり、トカゲやヘビをいじめに行ったものだった。


ヒロシにも彼女がいて、ヨシコといった。

ヨシコは進学校のL高校に通っていた。


ヨシコの親は、娘がヒロシのような少年と付き合うのを決して良く思ってはいなかった。

年が進み、ヨシコの大学受験が近づいてくると、彼らのヒロシに対する目は一層冷たくなった。


ヒロシがムスタングを手に入れてからは。

土曜日、学校帰りのヨシコを校門でさらっていくというような交際が続いた。

それでも二人の仲は険悪になど、ならなかった。


ヒロシが弱気なことを言うと、ケイは叱咤激励ではなく逆にあざ笑った。

そして走りに誘った。

それがケイの励まし方だった。

ヒロシも、そんなケイの思いやりをわかっていた。


「なあケイ。

おまえ卒業したら、どうする気だ」


「どうするって………働くに決まってっだろォ」


「んなこたァわかってる。

残るか?

向こうに行くか?」


地方の人間にとって「向こう」とは都会を意味する。


「もう俺達も卒業だ。

あとがねェぞ」


「もう一年ダブれば」


「マジで言ってんだぜ」


「仕事場なんか、どこでも変わんねェだろうし。

何が悲しくて、わざわざ向こうなんか行かなきゃなんねえんだよ」


「向こうの方が、でけェ工場もあるし。

おもしれェところも多いっていうじゃねえか」


「へえ、そっか、どっちにしろ面倒クセェから俺ァこっちに残らあ」




日曜日、ケイとヒロシはスカイラインを二人だけで流した。


黒いモーターサイクルと黒い車が連なってライトブルーの空を背に、藍色のアスファルトを流れていった。


頂上の展望台で黒い二台は停まった。



風が少し強い。


眼の前に広がるパノラマ。

粒の塊のような集落、蟻のように流れる車。


「ケイ。

俺もずっと、こっちにいるよ」


ちっぽけな街を眼の前にして、ヒロシがつぶやいた。


ケイはヒロシのGジャンの背中を見つめながら、ただ黙ってタバコを吹かしていた。

ヒロシが悩んでいることも、わかっていた。


ヒロシのパーマがかった髪が風にそよぐ。

その下の顔つきは決して、やさしげなものではない。

しかし、それは吊り上がるように剃られた眉毛のせいで、瞳はいつもやさしい。



次の日の夕方、ケイはキヨミと会った。

何するわけでもなく、彼女の部屋でしゃべりながらくつろぐ。

いつものことだ。


キヨミは薄い茶色の髪をしている。

一見、染めたように見えるが、本人は否定している。

そのせいなのか、よくからまれた。

ケイより二つ年下。

「子猫のような奴で、ナマイキな奴」

という、尾崎豊の曲のフレーズがよく似合う。


ケイは彼女を見つめながら考えていた。

俺はきっと、幸せなんだな………と。




ヒロシにはハッキリと言ってなかったようだが、ヨシコは東京の大学を志望しているらしかった。


卒業の日が近づいてきた。


ケイや仲間達も、地元や近県の工場に内定していた。


ヒロシは相変わらずだったが、前と比べてずいぶん無気力になってしまっていた。

仕事も定時制もサボって、車をころがしてばかりの日々が続いていた。

ケイでさえも彼の居どころがつかめず、会えない日々が続いた。


ケイは、ヒロシをさがすふうでもなく。

独りでタバコをふかしながら待ち続けていた。




三月の冷たい夜。

国道沿いにある、小汚いゲームセンターで二人は再会した。

ヒロシはたいして変わってなかったが、パーマの髪は以前の黒からキツネ色に変わっていた。


ヒロシはケイに、ヨシコと別れたことを告げた。


ケイとヒロシは、そこでしばらくカーレースのゲームをしたあと。

午前一時に店を出た。




帰り道。

走りながらケイは、ふいに大声を上げて泣きだした。

後ろを走っているヒロシは、それには気付かなかった。


ケイの叫びは、その下で吐き出されるモーターサイクルの排気音にまぎれて飛んでいった。


自分が失恋したわけでもないのに、たまらなく悔しかった。


三年前、ケイのモーターサイクルをペイントしながらヒロシは


「女ができたんだ」


と得意気に、そして本当に嬉しそうに自慢していた。

いい顔をしていた。


だけど、あの時のような顔を、ヒロシは二度と見せることはないかもしれない。

現に後ろを走っているヒロシの顔は、まるで夜光虫のようだった。



「俺達は一体どこに行こうとしているんだろう。

ヒロシやヨシコだけじゃない。

カズやカツ、パラ、俺、そしてキヨミ。

何をするために生きて来たんだろう!

どこに行けば幸せになれるというんだ!?

今が幸せなのか?

わからない!

この街で生まれて、さんざん遊び回って働いて、家族を持って………

俺はそれでいい、だけど、みんなは!?

見えない何かにバラバラにされて、コナゴナにされて、一体どこへ連れてかれちまうんだろう!!」


ケイは真夜中の国道に涙をふりまきながら流れていった。




卒業式も終わった三月。

ヨシコが東京へ旅立つ日が来た。


ヒロシは国道を流していた。

昼近くなるというのに片田舎の日曜日の国道は、その時、彼一人だった。

国道は場所によって鉄道と並走している。

ヒロシの黒いムスタングは、その横を南下していたので、並走する列車は「上り」となる。


午前十時、快晴。


ムスタングの横には特急列車がいた。

列車は、時速100キロ弱でムスタングを置いていこうとしていた。


ヒロシはアクセルを踏みこんだ。

V8エンジンが咆哮し、シートに押しつけられながらの加速が始まると、今度は軽々と列車が置いていかれる番だった。


八両編成の先頭を抜き去った時、ヒロシの胸には何故か、不思議な思いが生まれた。

それは仲間といつもやっていた、競り合いのようなレースに勝った時よりもスカッとしたものだった。


国道は、そのまま直線から山の曲がりくねった道となりアスファルトも荒れてきた。

しかしヒロシは、そんな荒れた道の上で思いきり飛び回ってみたくなっていた。


やがてトンネルが現れた。


その中に消えてゆくまで。

黒いムスタングを目で追っていた少女が、追い抜いた列車の最前列の窓べにいたことをヒロシは知らなかった。



〈完〉





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