#4
「杏菜さん、まだ帰らないんですか?」
「今夜のうちにデザイン固めるから、小山君は先にあがって」
「終わるまで待ってるので、飲みに行きませんか?離婚されたなら、僕と2人で飲んでも大丈夫ですよね」
「その時間があったら、寝るか仕事する」
「ですよね」
小山君が肩を落とす。ちょっとかわいそうかな。
「この仕事が決まったら、飲みに行こうか」
「はい!」
「みんなで、ね」
「じゃ、お先に失礼しまーーす」
新卒で入社した小山君の教育担当は私だ。鳥の刷り込みかと思うほど、最初から懐いてくれたのは嬉しい。かわいい後輩ではある。
でも、離婚間もないアラサーに、社会人3年目の青年は眩しくて。今はとてもじゃないけど、恋愛なんて考えられない。
未来ある青年には、他に目を向けてもらいましょう。
時間は23時。気付けば社内には私ひとり。
「そろそろ帰るかな」
だけど――。
浮気現場を目撃して、すぐに離婚届を提出した。同時に、元夫は出て行った。
慰謝料は請求しない代わりに、向こう半年分の家賃を支払わせることで同意した。1年に満たない結婚生活、子供もいない夫婦の離婚なんて、揉めるだけ損だと思った。
気ままなひとり暮しは好きだけど、ひとりでは広く寂しく感じる部屋は、居心地が良いとはいえない。
社内用のサンダルからパンプスに履き替え、ジャケットを羽織る。
パソコンの電源をOFFにしたら、セキュリティを入れるだけ。
さぁ、帰ろう。
――そのとき、会社の代表電話が鳴った。
普段は夜7時で留守電に切り替わるのだが、総務が設定を忘れたのか。
こんな夜の電話なんて、トラブルの予感しかしない。中国の生産工場で問題発生?さぁ、どうする?
「お電話ありがとうございます。ゲンキライブ企画です」
なり続ける電話を無視はできなかった。
「もしもし?」
電話の向こうは賑やかで、声があまり聞こえない。まさか、イタズラ電話?
『――杏菜さん?』
受話器から名前を呼ばれる。社内の人間の声ではない。
『杏菜さんだよね?良かった、電話に出てもらえて』
「あの、どちら様でしょうか」
『えー、昼間に会ったばかりなのに、分からないの?』
甘ったるい、媚びるような演技がかった声だ。
電話の横に高々と積まれた資料。その上に置かれた、アイドル雑誌の最新号。
『dulcis〈ドゥルキス〉のケイタ、初主演映画!とびきりの胸キュンであなたを悩殺♡』
表紙には、半裸で金髪の男性が、潤んだ瞳でこちらを見ている。
あぁ、これか!
「もしかして、ケイタさん?」
『ピンポン、大正解』
「昼間はお時間いただき、ありがとうございました」
『会いたくなって、電話しちゃった』
「え?」
あの胸キュン映画のワンシーン。CMでも流れたセリフを思い出す。
『ねぇ、僕に会いに来て』
◆◆◆
電話で指示されたお店は、六本木にある会員制バーだった。
店名をネットで検索したけど情報は無かった。
見るからに高級そうな、セレブ感たっぷりな店の前。やっぱり引き返そうとしたときに、中から怖そうな黒服が出てきた。入口にカメラが付いてるのだろう。
「加賀様ですね。伺っております。こちらへどうぞ」
ケイタに言われた通り、黒服に会社の名刺を見せて名乗ると、すぐに中へ入るよう促された。
仕方ない、覚悟を決めるか。
ガラス張りの暗い廊下を進む。
バーテンダーがシェイカーを振っているカウンターを横目に奥に入っていく。
やばい店だったらどうしよう。嫌なニュースばかりが頭を過る。
セキュリティカードで開くドアの先は、個室なのかいくつかのドアが並んでいる。
「こちらです」
ドアが開くと同時に、流行りの曲が大音量で流れてくる。廊下には静かなジャズが流れていたので、部屋の遮音性は抜群らしい。
黒を基調とした室内は薄暗く、毛足の長い絨毯が敷かれている。
ベッドみたいな大きなカウチソファが2組。そこに座っていた数名の男女が一斉にこちらを見ている。
カラオケを楽しんでいたらしい。dulcis〈ドゥルキス〉の最新曲のイントロが流れはじめた。
「やっほーー。待ってたよ、杏菜さん」
ケイタはリモコンで音を止めると、笑顔で駆け寄って来た。
その笑顔だけ見れば、まるで仔犬がしっぽを振っているように見えなくもない。
「ごめんね、夜遅くに急に呼び出して。でも来てくれて嬉しいよ」
腰に手を回されて、部屋の中へと促された。
「あ、みんなさっさと帰って。今夜の主役が来てくれたから」
手をひらひらとさせる。声のトーンは低くはないのに、なんだか冷たく聞こえる。
男性たちはケイタに軽く声をかけながら部屋を出ていくが、女性たちはハッキリと私に敵意を向け、顔面に「邪魔者め」と書いている。
その中のひとり、どこかで見たことのある顔だと思ったら、映画のヒロインだ。
「シャンパン飲む?」
ケイタは私をソファーに座らせると、ガラス棚から、フルートグラスを取り出した。
テーブルに置かれたワインクーラーの中に高そうなボトルが冷えている。
「いえ、電話でも伺いましたが、仕事のお話ってなんでしょうか?」
「まぁ、いいじゃん。とりあえず飲もうよ」
ケイタは片手でボトルを持つと、シャンパンをグラスに注ぐ。黄金色に小さな泡が美しく輝いた。
その慣れた手つきに違和感を感じる。
「ケイタさん、ホストの経験でもありますか?」
「うん、事務所に入る前に少し」
「売れっ子だったんでしょうね」
「まぁ、それなりかな。はい、どうぞ」
グラスを受けとる。
ケイタは私の隣に座ったが、肩が触れるくらいの近さ。いよいよ、ホストクラブみたいな状況だ。
「じゃあ、乾杯」
「はぁ」
多少のお酒には負けない自信がある。とりあえず、一杯だけはいただこう。
ゴクリ。
「……おいしい」
最近は仕事が忙しく、お酒を楽しむ余裕もなかった。
「よかった。何か食べる?お腹空いてるんじゃない?遅くまでおつかれさま」
「クライアントの前で言うのもなんですが、この仕事が決まるか必死なんです」
「あはは、それは大変だ」
「そんな他人事みたいに……。せっかくですから、ケイタのご意見や要望、聞かせてください」
「特にないかな」
「ない?」
「なんでもいいよ、杏菜さんに任せる」
「でも、ケイタさんが今回のグッズ担当だと、葉山さんがおっしゃってましたよね」
ライブの演出や構成、衣装、グッズは、できる限りメンバーが考えていると聞いた。
「僕はみんなと違って、途中からグループに加入したからね。下積みの経験もないまま、パッと出てデビューしたから、古参のファンには好かれていないんだよ」
「だから、さぁ――」
ふいにグラスを奪われる。グラスを2つ並べてテーブルに置くと、
「今夜ボクの相手してくれるなら、ゲンキライブに決定するって、葉山のお姉さんに伝えてあげるよ」
「え、ちょっと!」
ソファに押し倒されたと気付いたのは、鏡張りの天井に、自分の姿が映ったからだ。
「あーあ。よりによってスキニージーンズ。杏菜さん、足が細いから似合うけど、脱がしづらいから、次はスカートで来てね。さっとできて楽だから」
なにが、さっとできるって?
「どうせ、期待して来たんでしょう?」
「何のお話ですか?冗談でも笑えませんが」
「別に、笑わせようなんて思ってないよ」
私の両手首をしっかりとつかみ、ケイタは言った。
「大人しく抱かれたら、お仕事が決まるなんて、簡単でいいでしょう」




