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樫の木(仮題)  作者: 山田奇え


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第四話「紙片」④

 幼少期のことなので、いまいち記憶が判然としないが、そう言われてみると昔の自分はたしかにこの紙を読んで小首を傾げていたように思う。

 ただ、それにしたって、あまりにも不可解な内容だった。

 何か訓辞のようなものでも記載されていることを想像していたが、そこに書かれていたのは行動の指示の羅列である。

 しかも、意図の不明瞭な……。

 先ほど、思わず声を発してしまったことで周囲に視線を向けられてしまい、ついぞ居たたまれなくなった私は、一旦本でも探すフリをして席を立つことにした。

 手に持っているのは貴重品と、この紙片のみである。

「『三階から二階に階段を使って降りる』……『隣町のスーパーで具材を買って味噌汁を作る』……」

 私は改めて、端を綺麗に裁断された小さなメモ紙の文字をまじまじと眺めてみる。

 筆跡は明らかに自分のものではない。とすると、やはり義父が書いたもので間違いないだろう。

「………………」

 私の頭はもう就活のことよりもこの内容のことでいっぱいだった。

 なんらかの目新しいトピックが思考をかすめると、あまりにも簡単に興味が移ろってしまうのは昔からの私の悪い癖である。

 よくもまあこんな厄介な性質を伴って社会人などやれていたものだと思う。

 一度作業にのめり込みすれば、人一倍集中力が持続するタイプではあるので、比較的学業方面では力を発揮しやすかったものの、並行してタスクを進めなければならないことも求められるビジネスの場では、この移り気な脳みそを制御するのに非常に手を焼いたものである。

 ただ、そういう経験を経たからこそ、たどり着いた対処法もある。

 それは、とりあえず『飛び込んできたタスクがどの程度の工数を要するものなのか最初に確認する』ということである。

(……そういえば、この図書館って)

 私は逡巡する。


 ――『三階から二階に階段を使って下りる』。


 たしか、私がいる図書館は位置的にはこの商業ビルの三階にあたるのではなかったか。

 来るときはエスカレーターを利用したが、どこかに階段も設置されていた気がする。

 であれば、この妙ちきりんな紙一枚に気を揉み続けるより、一つだけでも中に書かれていることを試してみるのが、その後の作業に身を入れるためにも必要なことかもしれない。

(――なんだ? 変に騒がしい……)

 何やらカウンターのほうが少し騒々しかった。

 図書館にもクレーマーじみた利用者というのはいるものなのだろうか。

 司書さんの戸惑ったような声を背後に聞きながら、館内を見渡す。

 すると、入り口から見て奥側に非常階段のあるらしいことが案内板で分かった。

(よし、行ってみるか――)

 館内を、本を探すでもなく徘徊している後ろめたさもあって、私はそそくさと階段のほうへと向かう。

 踊り場に足を踏み入れると石打ちの無機質な空間に靴音が反響した。壁を見やると『3F』と記載されている。

 その時、違和感があった。

(うっ、()()……まただ……)

 タグの働く喫茶店を飛び出した時のことを思い出す。

 例の忌々しい痣がほんのり熱を持っているのが、首元の火照った感覚で分かった。

「……なんなのよ、いまさら」

 恨みごとのように呟いて、手に持ったままだった紙片をカーキ色のイージーパンツのポケットへ仕舞い込む。

「――で、えっと、『階段を下りる』だっけか……?」

 いつぞや同じようにして突っ込まれただろう買い物レシートと混ざって、紙片が居心地の悪そうにガサガサと音を立ててるのを無視し、おっかなびっくり階段を一段下りてみる。

 すると、首の熱さがさらに増した気がした。

 いや、それどころか、これは――。

「痛……い……?」

 縋りつくように手すりを両手で掴む。

 痣が明らかに痛みを伴っていた。それも……頭が少しくらくらするくらいの。

 私は右手で痣に触れる。

 その時だった――。


「――三船さんはよくやってくれています」


 誰かの声が階段に響いて、私はとっさに首から手を離した。

 それは遠くない過去に聞いたような言葉……。

 ……そうだ。あれは私が何もかも嫌になって仕事を辞めるきっかけになった〝あの日〟の――?

「マネージャー……?」

 私はどんどん増していく痛みに冷や汗をかきながら周囲を見渡す。

 しかし、周囲には誰もいない。

 胡乱な脳みそで記憶を手繰ると私の思考は一つの結論を出した。

「……今の……私が言ったの?」

 ふらついた足がバランスを取ろうとして、一段下の階段を踏みしめる。

 私が覚えていたのはそこまでだ。

 あまりの激痛に痣を両手で押さえながら――私は気を失ってしまったからである。



          φ



「――三船さんはよくやってくれています」

 自分の口からそんな言葉が発された。

 見れば、そこは会議室のようである。それもよく見慣れた――。

(――は? 何これ……?)

 私は図書館の階段で気を失ったはずである。

 首元に触ると、いつもと明らかに感触が違うことに私は驚いた。

 なんという、その……。

 やけにジョリジョリしている……?

「どうしたの、()()()()?」

「あ、いえ……」

 不意に呼びかけられて私は反射的に反応する。

(あれ、この声……?)

 自分の喉から発された少し甲高いような男声に私は聞き覚えがあった。

(そうだ、これは……)

 周囲を見渡して、私の記憶が一瞬で呼び起こされる。

 そうだ、これは会社の会議室だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、隣を見れば、若手の女性社員が一人顔を青ざめさせながら座っていた。

「……な、なんでもありません」

 言いながら、視線を正面の禿頭の中年社員に戻しつつ、それでも気になって視界の端でちらりと彼女を一瞥する。

 髪型は緩く内側にカーブしたボブカット。

 ()()は……本当はずっと髪をショートにしたがっていた。だが、とあるやむを得ない事情で髪を伸ばさざるを得なかった。

 彼女はその――〝左の首元〟を隠したかったのだ。

 ……ああ。

 いったい何が起こっているというのだろう。

 どんな理屈で……どんな方法でこうなった?

 これは――あの紙片が私に見せた夢とでも言うのだろうか?

 混乱する思考の中で、しかし、確実に分かっていることがあった。

 私の隣にいたのはそう、紛れもない――


 ――三年前の私自身だったのである。

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