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樫の木(仮題)  作者: 山田奇え


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最終話「エピローグ~『樫の木(仮題)』~」

「――ぬーん」

 とある休日の午後。

 私はいつものごとく恋人の執筆部屋へ勝手に上がり込んで、PC画面と睨めっこをしていた。

「ど、どうした真矢サン。さっきから変な唸り声を上げて。何か悩み事でもあるのか」

「んにゃ、コッヘ。どうにもコイツがいまいち決まりかねててさ」

 それまで執筆作業に勤しんでいた公平が、畳の上を四つん這いになりながら近寄ってきて、私のラップトップを覗き込む。

「コイツって……ああ、前に言ってたアレか? ネットで小説が投稿できるとかいう」

「そうそれ。仕事も落ち着いてきたし、新しい趣味でも見つけようかなと思って。これなら、通勤とか休憩時間で気軽に書けそうだし」

「うん。いいと思うぞ。――で、これがどうかしたのか?」

「うーん、書く内容はざっくり決めてるんだけどさ。ちょっとタイトルと筆名をどうするか迷ってて」

「ふむ……たしかネット小説って、全部書き上げてから投稿するってより、逐一話を更新してくような感じだよな? それならタイトルは仮ってことにしてあとから変えちゃっていいんじゃないか」

「そうかなあ。でも、筆名はできることなら決め切っときたいでしょ? もし認知してくれる人がいたら、以降その名前で作品を追ってもらう感じになるかもだし」

「なるほど」

 公平はその場に座り込んで顎を撫でた。

「俺は本名でやっちゃってるから、そういうの考えたことないんだよなあ。ちなみに候補はあるのか」

「……一応はね。これなんだけど」

 私はPCを彼のほうへ向けながら、自分のペンネーム候補を見せた。

 サイトの作品編集ページに、小さく『益田(ますだ)真矢(まや)』という文字が表示されている。

「これ、お父さんの苗字だっけか。結構いいように思うけどな。背景もある分、思い入れもしやすい筆名のような気がするし」

「違うのよ。こういうのって印象が大事でしょ? あんまり奇を衒いすぎたくはないんだけど、これだと埋もれちゃいそうというか……。もうちょっとシンプルでいい感じの名前にしたいのよね」

「そうかあ。……じゃあ、こうするのはどうだ」

 言いながら、公平が画面上に文字を打ち込む。

「いや、単純ねアンタ。これじゃ、ただひっくり返しただけじゃない……。たしかに姓はこっちのほうが耳に馴染むかもだけど、名前が『すま』って……。何よ『すま』って」

「『すま』ん」

「やかましい」

 私は肘で彼の足を小突いた。

「うーん、やっぱ『益田真矢』のまんまでいいのかなあ。それか『益多』にして、()(えき)〟が〝多〟く入りますようにって願掛けにするとか……」

「願いが俗っぽすぎる……。もし由来話すタイミングでもあったらどうするつもりだよ……」

「真顔で話す」

「怖い……絶対SNSで利益に目が眩んだやつってレッテル貼られる……。――でも、ふむ……リエキ……リ()()か……」

 その時、公平が思い付いたような顔をした。

「それならさ、こんなのはどうだ? さっきと同じく、元をひっくり返して、字の読み方だけちょっと変えて――」

 彼が改めてその〝名前〟を書きこんだ。

 それを見て、私は息を飲む。

「え、めっちゃいいじゃん! これならシンプルだし、何よりこのおばあちゃんみたいな雰囲気がかえっていいアジ出してる! やるね公平!」

「おばあちゃんみたいって……あんまり褒められてる感じはしないかも」

 私はじっくりと、これから書く作品の題名と、その筆名を眺めた。


 ――タイトル『樫の木(仮題)』

 ――著者名『山田(やまだ)きえ』


「よーし、できたー!」

 私は寝転がったまま伸びをする。

 実はここ数日ずっとこのことに頭を悩ませていただけに、その解放感はなかなかに心地よいものだった。

「――おっとっと……」

 無邪気に突き出した手のひらが――PCの傍らに置かれた一冊の本にぶつかった。

 それはこの作品を書き始めるに当たって、一部参考にでもしてみようと母から拝借してきた例の小難しい書物である。

 ようやっと一段落も付いたところだ。

 私はおもむろに母の愛読書を手に取って開いてみる。

 すると、ページの間から一本のしおりが畳の床に舞い落ちた。

「…………」

 厚紙に()()()()()()()を巻き付けてラミネートしただけの質素なしおり。

 巻きつけられた紙にはいくつかの文字が書かれていて、途中で折り返されているものだから、文章も変なところで途切れてしまっている。

 それはかつて私が【秘密基地】と呼んだ場所で、私の人生に欠けていたものを補ってくれた人が(したた)めてくれたもの。

 いつかの〝私〟が未来の私へと願ったことを、隣で聞きながら形として残してくれたもの。


 ――『善く生きる』。


 そんな一節が私の目に留まった。

 ふと横を見やると、そこに、いそいそと執筆作業に戻っていった恋人の横顔がある。

「……ふふふ、善きかな善きかな」

「ん? どうした?」

「ううん、なんでもない」

 何者かになれた喜びも、どこかへたどり着いた達成感も、今はまだ持っていない。

 だけど、こんな衒いのない心の温かさが〝幸福〟なんだと思った。

 そして、私は微笑みながら、本の世界へと旅立つ。

 いろんな場所へ私は行ってみたい。

 そこには嬉しいことが待っているのかもしれない。

 だから、私は前へと進むのだ。

 そこには悲しいことが待っているのかもしれない。

 だから、私は前へと進むのだ。

 そこには勝ち取るべき輝かしいゴールが待っているのだろうか。

 とにかく、私は前へと進むのだ。

 そこには誰かに決められた筋書きしか待っていないのかもしれない。

 それでも、私は前へと進むのだ。


 それこそが『〝真っすぐに飛ぶ矢〟のように生きる』ということだと私は思うから。






――『樫の木(仮題)』・了――



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