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樫の木(仮題)  作者: 山田奇え


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第二十九話「いつかここへ戻ってくる」⑤

 それから数時間後。

 元『おとうさん』に別れを告げたあと、再度母の車に乗せられて、私はタグの住む貸し家前へと到着した。

 事前に連絡を入れていたこともあり、タグは家の前で私たちのことを待ってくれていた。

 彼は駐車場に来るなり、真っ先に母と手短な挨拶を交わして、そのまま私の荷物運びを手伝ってくれる。

 元々量が少ないこともあって、時間はそこまでかからなかった。

「じゃ、私ここら辺で。娘をよろしくね、田口君」

「はい、その……俺大切にします」

「ははっ、あなたそりゃもうちょっとあとの段階で言う台詞よ」

 車から取り出した最後の段ボールを運んでいると、そんな会話が後ろから聞こえてくるものだから、私は耳が少し熱くなる。

 玄関にいったん箱を置いて、私は母が乗り込んだ運転席の扉の前に移動した。

 そんな娘の姿を見て、母は窓を開けながら片手を上げて、別れの挨拶を告げてくる。

「じゃ」

「じゃ」

 私も片手を上げて返した。

「た、淡白だなあ」

 タグが可笑しそうに笑っていた。

「――あ、それと田口君、()()()頑張ってね。ジャンルは違えど、多少なりアドバイスできることもあるかもだし、なんかあれば連絡して」

「あっ、ハイ。ありがとうございます!」

 それだけ言い残して、母はそそくさと走り去っていってしまう。

 それは何やら気になるやり取りだった。

「『例の件』?」

「ああ、いや……」

 タグはどこか言いづらそうにしている。

「まあホラ、一回家に入ろうぜ」

「なんだ? とりあえずタグの誤魔化しがすこぶる下手ってことは分かったけど」

「やかましい」

 彼に連れられて私はその住居の中に入っていった。

 これまで母の四畳半で過ごしていた私からすると、それはやたらと広く感じられる家だった。

 正面の廊下の先にはキッチンとリビングが別のスペースとして設けられており、玄関のすぐ右側には二階へと続く階段まで付いている。

 これまで何度か訪問したことはあったものの、こうして改めて見てみると、独り身の男性が住むにはあまりにも手に余る不動産である。

「――うおー、相変わらずデカいね。アンタなんだってこんなトコ住んでんの?」

「前に言わなかったっけか? ここ、実家が持ってるハイツで、昔家族全員で住んでたんだよ。でも、親父が新しい家建てたから、お袋とそっちに移って、そのタイミングで俺はここに残ったって感じ。『せっかくママとの愛の巣のつもりで家作ったんだからお前は付いてくるなー!』なんて言われちゃってさ」

「ははあ、相変わらず太いねえ、田口家」

「家柄だけは古いからな。田舎の土地持ちっつーか。正直、頭が上がらないよ。すごくありがたい」

「あれ? 昔コンプレックスだって言ってなかったっけ。自分がお坊ちゃんみたいな立場なの」

「たしかにそうだったけど、今は四の五の言ってられる身の上でもないしな。頼れるものならなんだって頼るさ。それにそろそろ恩返しできる目途も立ちそうだし」

「……?」

 またも意味深なセリフである。

 その後、私たちは荷物を二階の和室に運び込んで、諸々の支度を終えた。

 一息ついて、リビングで母に渡された菓子折りを開けながら二人でくつろいでいると、やがて、タグは真面目な顔つきになって、どこかへ行ってしまう。

 彼は戻ってくるなり、一つの冊子を私に手渡した。

 それはきちんと製本までされており、どうやら何かの見本誌のようだった。

「何これ、合同誌? タグ、フリマの企画かなんか参加すんの?」

 私は目次の欄に『田口公平』の名前が記載されているのを確認しながら、ページをパラパラとめくっていく。

 やがて、ふと目に留まるものがあった。

「――ん?」

 それはその冊子の一番最後の奥付欄。

 そこに――私でも知っているような出版社の名前が記載されていた。

「ん? これ……ん?」

 少し逡巡して、結局状況飲み込めないままに、私はタグを見上げる。

 彼はそんな私に向けて、したり顔で笑っていた。


「――デビューです」


 その一言で、私は()()()を理解した。

 肌がざわりと波打つと同時に、全身の力が抜けて、私はその場に崩れ落ちる。

「うわあ、三船大丈夫か!?」

「……だ、大丈夫。久々に来たわ〝コレ〟……。て、てか、本当なの……!?」

 慌てて駆け寄ってきたタグに支えられて姿勢を戻しながら、私は問いかける。

「うん、本当。俺もいまだに実感ないんだけど」

「おめでとう!」

 気付けば、私はタグに思い切り抱き着いていた。

 涙腺がじんわりと熱かった。

 衝動的に抱擁を交わしてしまった気恥ずかしさを顔には出さないようにしつつ、タグをそっと解放すると、彼は私の前に畏まった様子で正座した。

「え、いつの間にこんなことになってたの? アンタこないだの新人賞は落ちたって言ってたじゃん」

「いや、それがさ……前に一回、奨励賞までは行ったって話したろ? そん時にそこの編集さんとやりとりするようになってたんだけど、ちょっと前に『今度出す雑誌で空き枠が出たからよければ短編でも出さないか』って連絡が来てさ」

「そ、それ、いつのこと?」

 私は、このあとに私を待ち受けているだろう出来事を予感しながら、なぜそれをもっと早く教えてくれなかったのかとタグを問い詰める。

 散々、私を待たせたくせに、こんなもったいぶったような打ち明け方をしてくるなんて、随分なお立場のようだ、この男は。

 しかし……頭を過ぎったそんな考えを私はすぐに撤回することになる。

「――いや、それが、その……キミと水族館行ったあの日」

「あっ……」

 どうやら、彼から〝チャンス〟を奪っていたのは私だったらしかった。

 ……何やってんだ私。

 きっとタグは相当な決意を固めてあの場に来ていてくれただろうに。

 まして、思い出すのは車中でのあの会話である。

 あまりにも恥ずかしくて私は穴にでも入りたい気持ちだった。

「……私、阿呆すぎんか?」

「はは、まあでも、今となってはよかったんじゃないか。三船も今日でいろいろと決着を付けてこれたようだし、むしろこのタイミングがベストだったよ」

「うう、ごめん……」

「だから、気にすんなって。――そういうワケで、賞獲れたわけでもないから、あんまりカッコのつくような話でもないかもだけど、これで、少なくとも()()()()()()()()()()()()()

 私は空気を察してタグに向き合うように正座する。

 そして、それから告げられる言葉を待った。

「三船真矢、俺、最初はキミのことが嫌いだった。俺はあんまり人付き合いが上手くなくて、それでもいろんな人の世話になって育ったから、何も顧みずに生きようとするその姿が気に食わなかったんだ」

 私は、何も言わずにその言葉を嚙み締めた。

 私だって最初は彼のことが苦手だった。

「きっかけは些細なことだった。大学に入ってすぐに、()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺は……キミのことをひねくれ者だと思ってた。どれだけ頑張ったって、キミが俺を認めてくれることはないんだろうって。でも、その時に手放しで評価してくれるキミを見て、俺は気付いた。キミがただの――どこまで行っても真っすぐな人間でしかなかったってことに」

 ああ、そんなことだったのか、と私は思った。

 私とはまた違った〝きっかけ〟に少し心がくすぐられる。

「『真っすぐに生きる』ってのはすごく大変なことだ。人生にはいくつもの障害物があって、それを避けて道を選ぶってのがきっと器用な生き方ってやつだと思うから。なのに、それでもキミはどんな壁にだって正面からぶつかっていった。たとえ、そのせいでボロボロになっちまうことがあっても、勢いを殺されちまうことがあってもだ。そんな姿に俺はいつの間にか惹かれていた。そのそばでずっとその生き方を見続けたいと思った」

 タグは緊張した面持ちのまま息を吸い込む。

 そして、私がずっと待ち望んでいたその台詞を吐き出した。


「好きだ、三船真矢! 俺とそ、その……付き合ってください!」

「――――」


 生活感の漏れるリビングルーム。

 直前まで、何気ない雑談を交わしていただけの私たち。

 そして、どこか歯切れの悪い台詞とともに頭を下げる、生真面目で不器用な男。

 そのどこか間の抜けた光景が、今まで見たどんな綺麗な景色よりも――私の胸を強く打った。

 しばらく喉がつかえて、声も出せないくらいに。

 こぼれた涙が、首元の痣を伝っていく。

「――……え? も、もしかして、駄目か?」

「駄目なわけないじゃない。アンタ……待たせすぎなのよ」

 そして、私は彼にまた抱き着いた。

 それから、とびきりの笑顔を彼に向けながらこう言った。


「――タグ、私もアンタが大好きよ。これからもずっとよろしくね」

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