第二十五話「いつかここへ戻ってくる」①
タグと水族館に行ったあの日から数週間後――。
私はまた母の車の助手席に座っていた。
後ろには私の引っ越し用の荷物がシーベルトで括り付けられていて、私は『こういう時、持ち物が少ないとラクだなあ』なんてことを考えていた。
「ねえ、マヤ……寄り道って、本当に〝あそこ〟に行くつもりなの?」
「うん。まあ母親からすれば複雑な気持ちになるのも分かるけど、なんていうか私なりのミソギみたいなもん」
「そう……それならいいんだけど。せっかく病状も落ち着いてきたんだから、あんまり変なことして、また思い詰めるのは止めてね」
「はは、大丈夫だって。それに今日は記念すべき門出の日なんだから」
「……最初聞いた時は驚いたわよ。あの時はまだ症状が出ることも多かったのに、まだ告白もされてない異性と同棲するって言いだすなんて。まあお相手が田口君ってことだから、あんまり心配はしてなかったけど、でも、なんていうか私の子だなって感じたわ」
母はため息を吐きながらも、どこか嬉しそうだった。
「ほぼ駆け落ちだったんだっけ、お父さんと」
「そ。家出したタイミングであの人のとこに半ば無理やり転がり込んだから、当時はそもそも知り合って日も浅くてね。それでもマコトさんったら、『ちゃんと責任は取る』なんてウチの両親に啖呵まで切っちゃうものだから、嬉しいやら恐々とするやらだったわ、あれは」
「へえ、お父さんってそんな人だったんだ」
「ええ、そう考えると似てるのかもタグ君と」
「……取んないでよ」
「取んないわよ。せっかくお転婆娘の貰い先が見つかったんだ。これでやっと私の肩の荷も下りるってもの」
「肩の荷ねえ」
私は母の顔をまじまじと見つめながら答える。
そんな視線を察してか、母は少し真面目な雰囲気になって言った。
「私ね、アンタにずっとお詫びを言いたかったの」
「ふうん?」
「マヤが生まれる前にお父さんが亡くなったことは前も話したでしょう? その時、私は不安でいっぱいで、お腹のあなたを傷つけるようなことをしてしまった。ずっと怖くて……こんな子生まれてこなければいいのになんて思った」
「……それは」
私は言葉を選びながら、答えた。
「……なんとなく、知ってたよ。だから、行ったんでしょう。私が生まれてからも〝あの場所〟に」
「そうね。きっと誰かに許してもらいたかったんだわ。それだけのことを私はしてしまったから。だから、謝る。本当にごめんなさい」
「……うーむ」
それは、あるいは少し前の私が望んでいたかもしれない台詞のはずだったが、こうして聞くと存外にあっけない。
まあそれだけ、私に心境の変化があったということなのだろう。
「じゃあさ、ちょっと前、なんで私に『愛してる』なんて言ったの? 罪悪感を抱く人が口にする言葉のようにはあまり思えないけど」
「……どうなんでしょうね。そう言われるとたしかにそうかもしれないけど――なんていうかお礼が言いたかったんだわ。たぶん」
「たぶんて……自分のことでしょうに」
「昔、マヤはあの箱のこと【秘密基地】なんて呼んでたっけ。私はそこで〝あの人〟に自分の心中を打ち明けた。だから、なんていうかあの中は私にとって自分の罪を詰め込んだ場所で、正直、そこに当の被害者だった娘が入っていくのは見るに堪えなかった」
母はその瞬間を尊ぶように言う。
「でもね、少し経って、そこから楽しそうな顔したアンタが出てきた。その時ね、なんていうか初めて私は『愛情』みたいなものを知ったの。独りよがりな気持ちだったのは分かってる。自分の罪が消えたと思ったわけでもなかった。ただ、それでも何かが許されたような気持ちだった。そこから私は、この子が私にくれた愛を少しでも返せるように生きたいと思った」
「ははっ、馬鹿だね。私はただ楽しく遊んでただけだよ」
「馬鹿でいいわ。だって実際、その子は大人になってもちゃんと人を愛せるような人間になってくれたんだもの」
「…………」
タグの顔がまず浮かんだ。
それから、〝夢〟の中で見た〝私たち〟のことを思い浮かべた。
「ありがとね、マヤ。幸せになってくるのよ」
「……あたぼうよ。こっちこそ今まで育ててくれてありがとう。母さんもお幸せに」
「ふふ、当然」
やがて、車がとある白い建物の前で止まった。
「着いたみたいだね。ねえ、覚えてる? あそこの覗き窓」
「そら、覚えてるわよ。衝撃的だったもの。アンタ気付いたら一人であんなとこ上ってっちゃってたくせに、最終的に自分で下りてこれなくなって……今思えば随分可愛い話だったけどね」
「たしかね、その時はおと……〝あの人〟とお母さんが庭で話し込んでて、あまりにも構ってくれないものだから、気を引きたくなったんだわ。あれ、ちょうどこの建物の三階で、手すりのない階段の先にあってさ。上りはよかったんだけど、下りはずっと遠くに床が見えちゃうから、急に怖くなっちゃって」
「そうだっけね。たしかに大人の私でも怖かったわ、あれは」
「結局、迎えに来てもらったんだっけ」
「ううん。まあ、半々だったわ。私があまりにもおっかなびっくり上がってくもんだから、アンタもアンタで痺れを切らして、四つん這いでこっちにお尻向けながら下りてきたのよ。面白かったわ、アレ」
「根性あったと言ってほしいね」
「どうだか」
母は笑っていた。
うん、よかった。
これでいいんだ。
私は母さんの苦しそうな顔が見たくて謝ってほしかったわけでは――決してなかったから。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
それから私は車を出て、建物を見上げた。
そのてっぺんでは、金色の十字架が日の光に当たって輝いている。
そして、その隣で――大きな樫の木が風に揺られてながら立っていた。




