第二十三話「好きな人とハンマーヘッドシャークを見に行く」④
「――キミが〝三船真矢〟さん?」
私が通っていた高校には文芸部があって、校舎一階のはじっこにあった小さな図書室を部室にしていた。
部活動への所属が強制だった学校ということもあり、十余名というただでさえ少ない部員の半数ほどが幽霊部員だったのを覚えている。
その活動内容も数か月に一回の部誌の発行程度だったため、活動日は一応決まっているものの、原稿だけ出してほとんど部活に顔を出さない人間なんてのもいたようだ。
伝聞調なのは私がその部活に兼部という形で所属していたからであり、基本的に放課後向かう先といえば、メインで活動していた軽音楽部のほうだった。
そんなだったから、タグが〝私〟と初めて邂逅して、渡された原稿の著者名を見るまで、その顔と名前が一致しなかったのも当然と言えば当然のことである。
「はい、そうっすけど……」
「うーわ、肌めっちゃきれい」
「はい? なんか言いました……?」
「ああ、いやなんでも。つい魂のほうの本音が……」
「はあ」
私は〝夢〟の中でタグと〝私〟の初めての出会いを追体験していた。
私からすると、意外にもあっさりした出会いだったように思うけど、こうしてその心を知るとタグにとっては衝撃的なものだったのかもしれない。
何せ、自分で言うのもこっ恥ずかしいが、当時の〝私〟がかつての彼に与えた影響というのは計り知れないものであったらしいから。
資料探しでうろついていた書架の前に立ったまま、目の前の少女をまじまじと見つめる。
この時の〝私〟の特筆すべき点といえば、その首元の痣を微塵も隠そうとしていなかったところである。
髪の長さ自体は今より少しだけ長いくらいだが、変に校則に引っかかるのも面倒だという理由で、当時の私は髪を首の後ろで結んでいた。
そうすると、痣がよく目立っていた。だというのに、当時の〝私〟はそれを意に介する様子もない。
「じゃあ、すいませんけど、原稿お願いしますね。なんか手伝うことあれば軽音部のほうにいるんでテキトーに声かけてください」
「ま、待って……!」
「……なんですか、新部長さん。さっそく内容に不備でもありました?」
「えっとその……」
「……?」
首をかしげる様子が、いかにも粗暴な女であった。
可愛らしく上目遣いにでもやって見せればいいものを、なんでそんな顎を上げるような高圧的な仕草を選択するのか。
まあ、たぶん根拠のない自信の表れというやつだったのだろう。
そういう人間だった。当時の〝私〟は。
「俺、君のファンです」
タグの胸中に合わせてのことだったが、当然、こんな台詞を吐くのは複雑な思いだった。
「へえ、ありがとう」
ところが、そんなことを言わせておいて〝私〟はそのまま背中を向けて入口のほうへ向かって行ってしまう。
なんて薄情なやつだろう、と思った。
「――よっくらせ」
――が、しかし、予想に反して彼女はそのまま入り口横の貸し出しカウンターの椅子に腰かけた。
そして、足と腕を組んだふんぞり返ったような態度で言った。
「聞かせてよ、感想」
……前言撤回。
なんて王様みたいなやつだろう、と私は思った。
「……ええっと」
喉から出るタグの声は未来の彼に比べて少し低く抑揚もない。
内気でおカタい不器用人間――そんな第一印象だったことが私の記憶の中にまだ残っている。
〝私〟のところに向かって歩くと、普段より高い視点が少し怖かった。
足元に視線をやるとスラックスの丈が足りていないのか、よく見えるぴんと伸びた紺色のソックスが妙に面白い。
読書用の席を適当に拾い上げて、カウンターを挟んだ反対側に座る。
「感想……感想か……」
手渡された数十枚の原稿用紙を眺めると、達筆なのか汚いだけなのかいまいち判別しづらい文字が羅列されている。
その時、たくさんの言葉がお腹の中から込み上げてきた。
あまりにも言いたいことが多すぎて、どれを選んでいいか分からなくなったタグの口から、混乱する私自身の言葉が真っ先に飛び出る。
「なんなんですか、この私小説ともエンタメ小説とも取れない内容は。脚本力を磨きなさい、脚本力を。あと新しい原稿はデータで渡しなさいよ」
「はい? な、何急に……アンタ私のファンなのよね?」
「あ、すみません……」
「あのね、ここ最近たしかに文芸とライトノベルの違いはーみたいなガワの議論ばかりよく聞くけどさ、面白かったらそれでいいでしょう? まあ、面白くなかったなら諸々考え直すけど」
「いや、その……」
さすがにここばかりはタグの思いが勝った。
「すごく面白かったです。今まで部誌に載ってた文章全部……。なんていうかこう、テーマ性とかメッセージ性とか、伝えたいものの軸がはっきりしていて、主人公の葛藤みたいなものも平易な文章で書かれてる分、感情移入がしやすい……」
これと似たような批評を最近どこかの喫茶店でしたな、と私は思った。
「はは、そうだろうそうだろう。……あ、ただ、データの件に関してはマジでごめん。自分用のPCとか持ってないもんで」
「ああ、そりゃそうか。高校生だもんな……こっちこそごめん……」
少しだけ沈黙が流れた。
いいタイミングだと思って、私は私の意志で〝私〟に問いかけてみる。
「あの、普段どんなこと考えてたらこういう文章が書けるんですか?」
「ん? んー」
田口公平のことを何か見積もるような視線で見たあと、〝私〟は言った。
「私、たぶん人と違う性質を持ってるの」
「…………」
今の私からすると、その言葉は胸に痛かった。
「でも、それでいいの。その代わりに私は人と違うことをできる人間になれるんだと思うから」
「人とは違うって、どういう意味ですか……?」
「私の中には無視できない言葉や光景がずっと渦巻いている。そのせいで現実が疎かになることもあるけれど、それが私にはっきりした芯みたいなものを持たせてくれていて、それなら多少の大変なこともあったっていいと思える」
「……えっと、例えば、それはあなたが他人を傷つけてしまうようなことであっても?」
「ええ、そうよ。だって、そういう生き方をしたいと思ったから。突き抜けた人間に、私はなりたい」
「……そうですか」
返す言葉は存外にそっけない。
そこには、私の中にあるもどかしさだけではなく、何か怒りのようなものも込められていたから。
これこそ〝私〟と初めて出会った時、タグが最も強く抱いた感情だったのかもしれない。
「正直……少し幻滅しています。あなたはすごく独り善がりで、頑固者みたいだ」
「何よ、訊いてきたのはあなたじゃない。あなたがどんな羨望を持っていたって、どんな期待をしていたって――これが〝私〟なのよ」
「それでも――」
私は申し訳なさと怖さで胸がぎゅっとなる。
どうして当時の〝私〟はそんな気持ちをぶつけられても平気だったのだろう。
どうして今の私はそんな気持ちを汲んで心が痛んでしまうのだろう。
そして、タグの思いはこの言葉と以降に続く台詞へと結ばれていく。
「――俺はあなたとは違います」
それは私への怒りを表すための言葉だった。
「――俺はあなたが嫌いです。その生き方を俺は肯定しません」
それは私への軽蔑を示す言葉だった。
「――俺は……あなたにはできなかったことをやる。作れなかったものを作る。あなたと対等になりたいから」
それは私への嫉妬心がありありと映し出された言葉だった。
「――よければこれからも追い続けさせてください。あなたのことを」
それは、私への恋慕でも、友愛でも、尊敬でもなく。
ただ、彼自身の決意を打ち出した言葉だった。
「……はは、いいぜ」
私が笑っていた。
「………………」
私の罪とはなんなのだろう。
このような『夢を見る』という罰を受けなければならなかった理由はなんだろう。
どうして、私は――私自身に壊されてしまったのだろう。
その全容はいまだに見えない。
だけど、私はタグの手に引かれてやってきた〝夢〟の中で、少なくとも、その彼自身――田口公平に対して犯してしまった罪のことなら思い出した。
――なんつーかこう、見たい文章があったんだよ。でも、それに出会うことがもうできなそうだったから、自分で書くことにしたんだ。
…………。
ああ、私はなんて――。
「――馬鹿なやつだな、本当に」
場面がそこで幕を引いた。




