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樫の木(仮題)  作者: 山田奇え


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第二十一話「好きな人とハンマーヘッドシャークを見に行く」②

「体調って、こないだ電話で話してた〝睡眠障害〟ってやつか? 検査入院がうんたらって言ってたやつ」

「まあ、そんなとこ」

 その車からはタグの匂いがした。

 物も少なく、飾り気のない車内。

 ルームミラーに交通安全祈願のお守りだけぽつんと吊り下げられているシュールさがいかにも彼らしい。

「ごめんね、タグ。付き合わせちゃって」

「いや、いいんだ。――言ったろ? 元々予定のない日だったから、それ届けたらその辺適当に走らせるつもりだったし」

 彼は顎でドリンクホルダーに置かれたコーヒーを示す。

 私はそのプラスチック容器を取り上げて、ストローから一口含んだ。

 常温のカフェラテがすっと舌に沁みた。

「んま」

「そいつはよかった」

 タグはからからと笑った。

「――で、今回はどうしたんだ?」

「ん? んー、ありがと。でも、アンタに気を遣わせるのは悪いわ」

「ふむ……なるほど、最終段階ってとこか」

「何が?」

「一段階目、笑いながら話す。二段階目、適当にはぐらかす。最終段階、こっちに配慮してるような感じではぐらかす」

「…………」

「キミの鬱憤ゲージの測り方、ってとこだ」

 久々にコーヒーを飲んだからか、気持ちまで妙に苦い。

「……はあ、敵わないね。分かったよ、話す」

 私は観念して、スマホカバーから一枚の紙片を取り出した。

 元々タグには話してもいいと思っていた内容だ。

 私はつらつらとここ最近の自分にまつわる話を彼に語った。

「どうにも、体調的によくない時期と重なったみたいだね。これは……昔大事な人とした約束みたいもの。ここに書いてあることをすると、私はその……私じゃない誰かになって、私に絡んだ〝過去〟を見るんだ」

「過去を?」

「うん。最初はすごく不思議で戸惑ったけど――思えば、あれは病気が陰で進行してたってことだったんだろうね。ナルコレプシーって、そういう明晰夢を見る病気らしい」

「へえ、ナルコレプシーねえ。そういや題材にしたことはなかったな」

「はは、今度どんな感じか教えたげる。――まあ、そんな中で私はなんて言うかこう……自分自身で見ないフリをしていたようなことに無理やり向き合わされてきた。もしかすると、それ自体も病状を悪化させる原因(ストレス)になってたのかもな。その内容は少しずつ私の心のより根深い部分を露わにさせるようなものになっていって、最終的に私はお医者さんの世話にまでなっちゃったってわけ」

「その中にお母さんについてのことも?」

「……分かるの?」

「なんとなくな。キミってやけにお母さんとの距離感が近かったろ。なのに、さっき見た光景はまるで、余所の家庭で見るような反抗期の娘と母親みたいだった」

「反抗期の娘、ね」

「人一倍大人びていた人間が――大人になって初めて反抗期を迎える、か。その()()はいかにも三船らしいな」

「褒めてんの、それ」

「どうかな。興味深いとは思うけど」

「面白がりやがって」

 不貞腐れたフリをして外を見る。

 そんな私の様子をタグはミラー越しに確認して、やはり笑っていた。

 随分とよく笑う人だ。

 初めて会ったのは高校の頃だったか。当時は現在ほど仲がよかったわけでもなく、もっと気難しくて無口な人だと思っていたけれど、いつの間にか彼は〝こんなふう〟になっていた。

 私が社会人になって変わったように、彼も彼で心境の変化する機会がどこかであったのだろうか。

「その紙片、どんな内容が書いてあるんだ」

「うーんとね、これはたぶん『子供の頃の私ができなかったこと』だと思う」

「ふうん?」

「もしかすると〝あの人〟は『大人になってできないことをできるようになったね』みたいなことを未来の私に伝えたかったのかな。まあ、だからなんだったのかってハナシではあったけど」

「〝あの人〟ってのは……亡くなった親父さんか?」

「違うよ。……あれ? たしかにちゃんと話したことはなかったっけか。実のお父さんは私が生まれる前にはもう死んでた。〝あの人〟っていうのは昔私がお世話になってた人。まあ、なんでか私はその人を母さんの再婚相手だと勘違いしてたんだけど……」

「ほほう、そうだったんか」

 …………。

 ……確信はない。

 ただ、今となってはそう勘違いしていた理由にもなんとなく察しは付いていた。

 よくよく考えてみれば、気付けるタイミングなんかいくらでもあったはずなのに、一度そうだと思い込むとなかなか認識を修正できないのは昔から続く私の悪癖である。

「――で、その約束ってのはもう実行しないのか? 聞くに、まだいくつか残ってる感じなんだろ?」

「あのね……さっきの話聞いてた? これのせいで私はこんなことになっているのに、これ以上付き合わされるつもりなんかないよ」

「そうか、それはもったいない」

「もったいないって何よ、不謹慎だな」

「はは、いやでも、キミそういうのに喜んで足を突っ込んでいくタイプだと思っていたからさ。家庭環境もそれなりに厳しかったろうから、どこか保守的な部分もあるにはあるんだけど、だからこそ、そういう〝変わったこと〟をするのに何か救いを求めてるようなフシが昔からあった」

「……図星とは言っておこう」

「ちなみに、次はどんなことをするかもしれなかったんだ?」

「えっと、全部で五個あって、次が四つ目なんだけど、『好きな人とハンマーヘッドシャークを見に行く』だね」

「……いるのか? 好きなやつ」

「アンタ」

 自分でも不思議なくらい、自然に答えていた。

 ちらりと彼の顔を見やると、思いのほか反応は薄かった。

 私はそれが……少しだけショックだった。

 そんな内心を隠して、取り繕うように言う。

「何よ、泣いて喜ぶと思ってたのに」

「……ああ、そりゃ嬉しいよ。けどさ、なんていうか、失恋中の女性にでも告白されたような気分だ」

「なんじゃそら……誰かにフラれたから、こんなことを言ったわけじゃないよ」

「じゃあ、どんな理由で言ったんだ? 訊いといてアレだけど、俺がそれを言える時まで待ってくれてるもんだと思ってたのに」

「…………」

「『待つ』ってのは〝未来〟があってこそのものだ。そうか、つまりキミはもう未来ソレを失くしたとまで考えてしまっていたんだな」

 怒るでもなく、どこか思いを馳せるようにタグは呟く。

 そして、何を思ったか、それからほどなくして――彼はこんなことを言ってのけた。


「――それじゃあよ。ここは一つ行ってみることにしようぜ。水族館へさ」

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