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樫の木(仮題)  作者: 山田奇え


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第二話「紙片」②

 私、三船(みふね)真矢(まや)は――生まれた時、産声を上げなかったのだそうだ。

 細気管支炎という病気を患った状態でこの世に生を受けた哀れな赤ん坊は、母の腹から取り上げられると同時に集中治療室へと運ばれた。

 無事一命こそ取り留めたものの、その先天的な体質や、産後刻まれたのだろう後遺症は以降の人生に影を落とすこととなる。

 ともすると、私の抱える『生きづらさ』というのはこの生い立ちに由来するところも大きいのだろう。

 私の首元には痣がある――ちょうど四国の形を少し縦に引き延ばしたような五センチ大の赤いシミが、あごから喉元の中間左の辺りに貼り付いている。

 大人になるにつれて目立たなくなってきたものの、化粧で誤魔化すことだって出来なかった幼少の時分には、よく同世代の子供たちから後ろ指を立てられたものだ。

 わざわざあげつらうほどの不幸ではないものの、もし自分に宿業や運命のようなものが刻まれているとしたら、やはりこの痣こそがその象徴であったように思う。

 自分を呪いながら鏡を見る。そこには他の人にはない異色の模様が刻まれている。

 その繰り返しが、きっと無意識化で私に〝解釈〟を与えたのだ。

 だから、いつの間にか私には、嫌なことや耐え難いことがあったとき、左手でその痣を隠す癖がついていた。


「――よーっす、三船、息災か」


「おう、タグ。おひさおひさ」

 ひょこっとカウンターの奥から顔を出したモジャ毛の青年が、どこか人懐こい笑みを口の端に浮かべて、私の座る四人席に近寄ってくる。

 行きつけの喫茶店。平日の夕方ということもあって、店には私以外の客足もなくがらんとしていた。

「ほいこれ、ハムサンド」

「くるしゅうない」

 気安い友人の前でも雑な仕事をするわけではなく、そっと皿を配膳するあたり、この人の生真面目さのようなものが滲む。

 彼――田口(たぐち)公平(こうへい)はそのままカウンターでグラスを磨いている店主に目配せして、ちょっとの暇をもらうと、私の対面に腰かけた。

「で、どうよ最近は。例のパワハラ上司にはギャフンと言わしたんか」

「ああ、辞めてきた」

「は!?」

 厚ぼったい黒縁メガネの奥の目が丸くなる。

「……おいおい、結構続けてたろ。何年くらいだ?」

「あー、丸四年くらいかな」

「何があったんだよ」

「まあ、いろいろあったのさ」

 わざとらしく遠い目で窓の外を見やると、タグは大きくため息を吐いた。

「大学出て随分と人間らしくなったと思ったけどよ。キミ、そういうところは相変わらずだな。他人を踏み入らせないところというか」

「なんだ『人間らしい』って。人を怪物みたいに」

「怪物だったよ。(ただ)しくな」

「…………」

「なあ、三船――もうホンは書かないのか」

「書かないよ。アンタと違って私は度胸もないしね」

「そうか、もったいない」

 本当にがっかりしたような顔をして言う。

 大学の頃からそうだった。タッパばっかりデカいくせに、どこか純粋で、子供じみた反応をするところが面白い。

「でも、その茶化し癖みたいなのはよくないと思うぞ。まるで自分に嘘をついているみたいだ」

「いいじゃない、嘘くらいついたって。私が少し前まで社会人の(てい)を保てていたのだって、そのおかげなんだから」

「あのな……いいか、嘘ってのは薬みたいなもんだ。一時をしのぐだけならまだしも、根本の部分を治さない限り、体が慣れていって効かなくなっていく。キミは刹那的すぎるんだよ」

「まあ、それはそうかもね」

 出されたサンドイッチを一口かじる。ハムにレタス、飾らないマスタード。

 素朴で疲れない味だ。

 お手拭きで指先を綺麗にした後、私はカバンから分厚い紙の束を取り出して彼に渡した。

「はいコレ。しばらく忙しかったから。時間かかっちゃってごめんね」

「またそうやって話を逸らす。まあいいが――で、どうだった」

「面白いと思ったよ。でも、地の文がくどすぎるかな。もう少し会話とか情景描写でテンポよく読ませてもいいのかも」

「ふむ……」

「でも――これは前にも言ったかもだけど――伝えたいテーマに真摯なところがタグのいいところだね。登場人物に芯が通ってる。原付で高速に乗り込もうとするシーンなんて、私にやにやしながら見ちゃったもん」

「なるほど、そうするとやっぱ全体的に読みづらいのが課題点かな」

「そうだね。ただ……正直、地の文のくどさも後半は結構クセになってくるし、悪い面ばっかりじゃないと思うんだけど……だから、どちらかというと前半部分の引き込みの話なのかも」

「うーむ、しょっぱなから飛ばしすぎたって感じか。ありがとう、参考になるよ」

「でもまあ、思い切って大学の頃から方針変えたのはかなりいいと思う。昔はなんかこう……頑固で独善的な割に突き抜けてない文章だったというか。今はのびのび書けてるのが伝わってくるし、純文よりエンタメよりの方が合ってたのかもね」

「……そんなに変わったか、俺の文章?」

「うん、かなり。何か心機一転するようなことでもあったの?」

「あー、それはまあ」

 せわしなく私と窓の外を交互に見やりながら、タグは気まずそうにしている。

「なんつーかこう、見たい文章があったんだよ。でも、それに出会うことがもう出来なそうだったから、自分で書くことにしたんだ」

「ふーん」

 私は面白くなって、じっと彼を覗き込んだ。

「この主人公、性別は男だけど……この口が悪い感じとかタバコばっか吸ってるとことか、なんか覚えがあるんだよなあ」

「おい、からかうな」

 耳まで真っ赤にして、タグは立ち上がると、トレンチを掴んでそそくさと仕事に戻ろうとする。

 しかし、思い直したように立ち止まると、半身でこちらを振り返りながら行った。

「……この間、守屋の結婚式に呼ばれたよ。みんなも呼ばれてて、その……元気そうだった」

「そう、よかったじゃん。私は仕事で行けなかったんだよね」

「……キミ、もう連絡取り合う気はないのか」

「あんな終わり方しちゃったんだもん。どの(ツラ)下げてってハナシよ」

「俺は……みんな気にしてないと思う。まるっきり元の人間関係に戻れってことは言わない。せめて、守屋とくらいは……」

 どこか苦い表情を浮かべるタグは私の顔を見てハッとした。

 慌てて駆け寄って、ハンカチを取り出す様を見て、私は首をかしげる。

「え、なに――」

 その時、腿のあたりに冷たい感覚があった。

 見下ろすと少し濡れていて、それは私のあご先から滴り落ちたものなのだと気づいた。

「うわ、これ……」

「ごめん、本当にごめん」

 この不器用な青年は心から申し訳なさそうに、私の頬を拭っていた。

 元々人との距離感が遠いタイプのクセに、こうして遠慮なく異性の顔に触れてくるあたり、それだけ取り乱していたということだったのかもしれない。

 さて、私は泣いていた。それに気付いた途端、整理しきれない感情と一緒に、堰を切ったように大粒の涙が流れてきてしまった。

 とても。

 とても――恥ずかしかった。

「悪い、私行くわ」

 私はポケットから小銭を取り出して机に置くと、タグを振り払うように立ち上がって、店の出口に向かう。

「おい待てよ、三船。どこへ……」

「――あ、言い忘れてた」

 私は出ていく直前、吐き捨てるように言った。

「――アンタの小説、そういえば、若者像がちょっと古い。今時大学でパソコン使うのなんかほぼマストなんだから、スマホしか使えない若者なんて一昔前の話だと思うよ」

 そして、私は喫茶店を後にした。

 扉に括りつけられた錆びた鈴の音と一緒に「言ってる場合かよ」と呆気に取られたタグの声が聞こえた。


 ……気付いたことがあった。

 左手の指先で触れた化粧の下の痣が奇妙に熱を持っていた。

 これは……ただの〝マーク〟にすぎないものだったはずだ。今までこんなことは一度もなかった。

 目元を陰にするようにパーカーのフードを深くかぶる。

『――ねえ、真矢。私たち、友達だよね』

 いつか親友にかけられた言葉が脳裏をよぎる。

 渦巻く感情と今そこに起こっている出来事に挟まれて、ここではないどこかへと向かおうとする私の足が――ただ速くなっていくばかりだった。

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