第十九話「ママと〝あの曲〟を一緒に歌う」⑤
〝夢〟の中で景色がぐるりと回った。
こちらに背中を向けて、長い木の椅子に義父が座っていた。
「〝親と子〟という話をするんならね、そこにはあらかじめ定められた別離があると私は思うんだよ」
私は【秘密基地】の真横で立ち尽くしたまま話を聞く。
「『生を受ける』ということはすなわち、〝孤独〟になることだ。人は、母親の腹から切り離されて世界に生まれ落ちることで『子供』となり、家から切り離されて学校に通うことで『主体』となり、親の庇護から切り離されることで『大人』になる。そして、最後には自分自身からも切り離されて、人は『故人』となる」
「でも、みんなその中で人間関係ってものを築き上げていくわけでしょう。誰もが孤独だなんて私には到底思えないわ」
「ああ、だろうとも。そう思い込むことで、君は自分の〝孤独〟を形作ってきた。まるで彫刻のように、少しずつ外側を削り取って、その形を鮮明にさせてきた」
「……ええ、きっと知りたかったんだわ。誰も知らなかったことを」
「無邪気すぎたんだね。一握の人込みの中で、その誰よりも賢しらだった君は、しかし、『知る』という行為が『その存在を認める』行為だということを愚かにも知らなかった」
「気付いたわ。私が〝孤独の存在〟を見つめた時、〝孤独〟もまた私を見つめていた。視線を逸らせなくて、だから、私はいろんなことを見逃してきた。いいことも、悪いことも」
義父が肩を竦めていた。
「人生という旅は……試練というにはあまりにも意図が不明瞭で、何かそこに意味があることを想像しながら、人はただ歩みを進める他ない。それは――ちょうどあの紙片を手にした君のように」
「そうね。でも、私もう疲れちゃった」
その場にへたり込むように座る。
床に張り巡らされた木の板がぎしりと鳴った。
「私――生まれてすぐ細気管支炎って病気で集中治療室に運ばれたの。無事一命は取り留めたけど、医者からは『五分五分で将来脳に障害が残るだろう』って言われてたんだって。それは高校生の頃に母さんから聞いた話だったわ。その時の母さん、杞憂だったとでも思っていそうな顔をしてた。当時の私が抱えていた私自身への〝違和感〟に、母は気付いていなかった」
やり場のない気持ちを含んだため息がこぼれた。
「だから、自分で調べて〝あの病気〟のことを知った。細気管支炎自体の原因もその時一緒に見たんだったかな。断言はできないけれど、その中の一つにたしか『母親の妊娠時の喫煙』なんてのがあった」
数日前に、精神科医から受け取った封筒のことを思い出す。
証明書とはならずとも、私が抱えていた生きづらさが数値として表された紙の束。
それは、かつての母が私へと残した『呪い』だったのだろう。
「あの曲の歌詞……母さんはどんな気持ちで私に教えてくれたんだろうね。孤独の中で『愛情と勇気』にさえ見放されたまま、ただ自分が生きることの延長で〝母親〟になったあの人は、いったいどんな気持ちで――」
視線を上げかけて、結局落とした。
「…………」
「どうしたんだい?」
「……やっぱりいいわ。私もあの人の娘だもの。きっと同じ道をたどる運命だったんだ。私は――もう何もしたくない、考えたくない」
「そうか。それなら、君の旅路はここまでだね」
義父が立ち上がる。
私のほうへはちっとも目もくれないまま。
「その場所、その失意をずっと愛で続けるといい。そこに付けられた名前が『三船真矢』だったというわけだ」
「……はは」
乾いた心で笑う。
……こんな話をして。
私の痣は少しも傷まなかった。
「……最後に一つ教えて。この〝夢〟は私の想像の延長にあるものだって言ってたでしょ。でも、こんな出来事があったなんて私は知らない。私はどうやってこの光景を作り出したの? これが……自己批判のために生み出されただけの妄想なら――」
「いいや、これはたしかに事実だ。君はね、やはり賢すぎたんだよ。いくつかの断片的な記憶、他人の言動に見え隠れする本心、そんなものが統合され、帰納的推理によって客観的事実へと還元された結果がこれだ。よく聞くだろう、『夢が行っているのは記憶の整理だ』ってね。まあ、もっともその出力を最終的に後押しするきっかけとなったのは、あの封筒を受け取ったことだったのだろうが」
「……そう。それが聞けたなら十分だわ。もう行って」
「ああ」
別れも告げないまま、あの人はどこかへ去っていってしまった。
本当に冷たい人だと私は思った。
φ
どこかの病院のベッドで私は目覚めた。
隣には母と医者がいて何か話をしている。
「――娘さんは……おそらく『ナルコレプシー』だと思われます。入眠時の幻覚、感情が昂った直後の『情動脱力発作』という全身の筋肉の弛緩、それから酷くなると日中の失神まで引き起こす――一種の睡眠障害です」
「そんな……」
「何か普段の様子で変わったところはありませんでしたか?」
「えっと……数日前、あの子スーパーに出かけていって倒れたんです。でも、その時は普通に笑っていました。そんな症状なんて……」
「この病気は……過度なストレスによって引き起こされるとも言われています。段階的なものだったんでしょう。そちらについて何か思い至ることは?」
「マヤは三か月前に仕事を辞めました。上司の方からその……ハラスメントにあったと」
「そうですか。では、それが原因かもしれないですね」
「……私、そんな彼女に厳しく当たってしまっていました。何も知らないで馬鹿みたい」
「どうか気を落とされないでください。心境のことですから、傍から見ていただけでは分からないこともあります」
私は『たしかにそれはその通りだ』と思った。
だって、彼らが話していた『原因』とやらも全くもって的外れなものだったから。
私は何もかもが嫌になる。
目の前のことだけじゃない。こんなことを考えている自分自身にだって、私は吐き気がした。
(――ああ、目を瞑ろう。それが今の私にできる最大限の〝拒絶〟だ)
そして、私は覚醒したことを誰にも気取られないまま、再び眠りにつく。
痣は痛まない。
だけど、誰かが首を絞めるような、そんな感覚がした。




