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樫の木(仮題)  作者: 山田奇え


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第十一話「隣町のスーパーで具材を買って味噌汁を作る」③

「――真矢、ごめんね」

 第一部演劇研究会。私が大学の頃に代表を務めていたサークルの名前である。

 やはり、この場面はいつか〝夢〟に出てくるだろうと覚悟していた。

 それと、その時、私がいったい『誰』になるのかも分かっていた。

 両目にかかる、ゆるくカールした薄いカーテンみたいな前髪。かき上げると肩口より少し長いくらいの黒髪にするすると指が通った。

 私は、当時の親友――守屋(もりや)鈴花(りんか)になっていた。

「大丈夫だよ」

 そんなふうに感情のこもらない声で返すのは、部室の机に座ってPCに何やら文章を打ち込んでいるらしい〝私〟だった。

 こうして見ると、母親は着座時あんなに折り目正しく背筋を伸ばしていたのに、その娘は姿勢悪く足なんか組んで猫背気味に画面へのめり込んでいる。

 わざわざ守屋自身にならずとも、私はその時の彼女が〝私〟にどんな感情を向けていたのか知っていた。

『――怖い。〝真矢〟が何を考えているのか、分からない』

 他人に興味のない人間、というのはタグの評だったか。

 自己開示をせず、何かが起こっても顔色一つ変えない。

 だというのに、責任ばっかり背負い込む気質から、周囲の推薦でサークル代表になって以来、日に日に目元の隈ばかりが濃くなっていく。

 誰にも話さなかったけれど、最後の学園祭を前にしたあの時期の私は『夜尿症』なんてものに罹っていた。

 曲がりなりにも花も恥じらう乙女である。まあそれは誰にも言えないワケだ。二十歳も越えて〝お漏らし〟する病気になったなんて。

 しかし、そんな事情など周囲は知る由もなく、かといって、その頑固者の胸中を普段の様子から読み取ることも到底出来ず、舞台スタッフ側のまとめ役だった守屋はただ心を曇らせていた。

 思えば、あの時、〝私〟を巻き込んでいた一連の出来事も、あるいはそんな『分からなさ』が尾を引いた形だったのではないだろうか。

「その……これはあれだよね。サナに謝ったあとだよね」

「は? 何言ってんのアンタ、今の今で記憶でもなくしたの」

「ああ、いやなんでもなくて、その……」

 もちろん、私の記憶にこんな会話は存在しない。

 だけど、そんなとぼけた言葉で間を繋ぐしかなかった。そもそもが、この時の具体的な流れを私は覚えていなかったから。

(たしかに、こうして見ると分からないよな。〝()()()()()()()()()()()()()()()()なんて……)

 よくよく考えれば奇妙な状況だ。私が〝私〟に対してこうもおずおずと話をしている。

「怒ってる……よね」

「どう思うの、守屋は」

 見た目だけはそこいらの、いつも黒いパーカーにジーンズばっかり穿いてる地味な女子大生のクセに、その表情筋がどうにも発達していないせいで、年齢離れした気迫が〝私〟にはあった。

「……ひどい話だと思う。自分のホンも書かなきゃいけないのに、インターンがうんたらで黒木から予定外の台本押し付けられた上に、学祭委員との会議やら練習場所の調整やらもしないといけない。果てには部室に呼び出されて、当たり屋めいた相手に謝らせられる。そんなの理不尽だったよね」

「……台本のこと話したっけ? よくそんなこと知ってるね」

「えっ? う、うん。まあ、忙しそうだし、なんとなくそうなのかなって……」

「――なんだっけか、『前の舞台の音響準備の時に、私が担当で近くにいたのに、別の担当の子を呼んだ』とかだっけ。私がここ数か月みんなに腫れ物扱いされ続けてきた理由って」

「…………」

「凄いよね、サナって。周りに愛されててさ。私じゃ()()()()()にはならなかったと思うよ。黒木と付き合ってたのも意外だったし。てか、今日一緒に来るのが分かってたんなら言ってくれればよかったのに。インターンって毎日あるわけじゃなかったんだね」

「……ごめん」

「なんで守屋が謝るの? 別にみんながみんな私を嫌ってたとは思ってない。しょうがないよ、あんな状況になったら、私の味方なんて誰も出来なかった。アンタも含めてね」

 画面から少し視線上げて〝私〟が言う。

「だから、むしろ、守屋にも迷惑かけてごめん。学祭までに仲を取り持つために、()()()()()()()()()()()()まで用意してくれて、すごく気を遣ったでしょう」

 当時の〝私〟の心中を紐解けば、それはもう複雑な思いでいっぱいだったように思う。

 ――真面目過ぎたのだ。

 ()()()()()()()()をされて、誰も手を差し伸べてくれない状況の中で病気にまでなって、しかし、私は本当にサナに申し訳ないと思っていたし、守屋にも、些細な行き違いの板挟みにさせてしまった罪悪感があった。

 だからこそ、痛々しかった。こうして見る〝あの時の私〟は。

「ねえ、真矢」

 やがて、私は考えた。

 かえって、あの時、絶対になされなかっただろう会話をもししたら、〝私〟はどんな反応をするのだろう。

 この〝夢〟とやらがどこまでの懐の深さを持ったものなのかも気になる。

 私は私自身のアドリブで、思ったことを『守屋鈴花』に言わせてみることにした。

「なんか、もしかして調子悪い? もし私が出来る仕事があるなら代わろうか? それこそ、練習場所取る手続きなんて誰でも出来るわけだし……」

「え、今更――……ああ、いや、ええと、別に構わないよ。こないだゼミのレポートもやっと終わったし、これから体は全然空くから」

 〝私〟の口から『今更』という言葉が一瞬出たのを聞き逃さなかった。

 当時の〝私〟の状況を私は思い出す。

 たしか、いくつかあったタスクのうちで地味に()()()のがその『練習場所の確保』だった。

 大学の規定上、【空いている教室があれば、申請を行った上で各サークルが活動場所として利用できる】というのがあり、大きな教室ほど早い者勝ちで先に埋まってしまいがちだった。

 第一部演劇研究会は演者だけでもそれなりの人数を擁するマンモスサークルだったから、大教室の予約可能時刻になると私は授業を途中で抜け出してまで、学生課に申請をしに行っていたのを覚えている。

 物理的な負担もそうだが、それ以上にそれは心理的な負荷のかかる対応でもあった。

 元々、私は他薦で代表になった人間だった。サークル以外にもちょっとした個人的な活動をしていたために時間的余裕がなく、そもそも代表決めに立候補をしていなかったのである。

 それでも他にリーダーを務められる人間がおらず、『一応……』と自分の名前を半ば無理やり含められた多数決の結果、他に立候補していた部員を押しのけて、私が責任ある立場へと就くことになった。

 引き受けた以上、やり遂げる気持ちはあった。だけど、その時私が出した条件を覚えていた人間はどのくらいいたのだろうか。

『私、サークル以外にもやっていることがあって、丸ごと引き受けることは多分出来ない。誰でも出来るような申請とかはみんなで分担して手伝ってくれるなら、どうにかやれると思う』

 そして、いざ蓋を開けてみれば、グループチャットに依頼をしても、誰からも反応のないような、そんな状況ばかりがあった。

 私の頼み方も、社会人となった今ではまずかったと思う。『誰かがやるだろう』という空気感は誰の足も動かさないのだ。

 本当は、具体的に誰かを指名するとか、個人チャットで頼むとか、希求度の高くなるやり方をするべきだった。

 でも、私には『工夫をする』という発想そのものがなかった。……思えば、それは私にとっての確認だったのだ。

 『ほら、結局誰もやらないじゃない』って――。

 そんな……くだらないことを知るための。

 〝私〟を孤立した人間に追い込んだのは、他ならぬ私自身だったのかもしれない。

 だからこそ、私はそこに一石を投じてみたかった。

「いや、いいって。私がやるからさ。去年、多めに単位取ったから、今年全然動ける時間もあるし」

「そう? なら、まあお願いしたい時があれば言うわ。ありがとね」

 しかし、〝私〟の反応は予想外にそっけない。

 もう少し、意表を突かれたような反応をすると思っていたけれど。

 感謝を口にしながらも、相変わらず表情を変えず、〝私〟は目の前のタスクに淡々と打ち込んだままだった。

(こういうことでは……ないのか?)

 私は〝私〟が分からなくなる。

 これは〝夢〟の中だからこそ、影響を及ぼせなかったとか、そういう話なのだろうか。

「……真矢さ」

 突然。

 守屋鈴花(わたし)の中に湧き上がってくる感情があった。


「……そんなふうに――自分一人で生きていけるみたいな顔なんかすんなよ」


 気付けばそんな言葉が口をついて出た。

 ……覚えている。

 それは〝私〟と守屋の間に、その後ずっと続く亀裂を作ることになった台詞だった。

 そして、直後、〝私〟は扉を乱暴に開けて部室を飛び出ていく守屋の背中を見送ることとなった。

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