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もうひとりのママ

作者: 八雲ヒイロ

都市伝説風の奇譚となる短編小説、第8話目となる今作は、シングルマザーの女性が体験するホラーテイストの作品です。(これまで投稿した奇譚短編の中では、ホラー要素が濃いと思います)

 三歳の娘と二人で暮らすRは、二年前に離婚してからは誰にも頼らず、シングルマザーとして自立している。離婚した元夫は頼りがいなど皆無だから、養育費を期待できるはずもない。ようやく年金生活に入ったばかりの両親を頼ることも気が引けた。


(最初はどうなるかと思ったけど、なんとかなるものよね~)


 ようやく生活が安定し始めた今、Rは改めて思った。今春からはリモートワークのパート事務職での採用に受かり、家で仕事をするようになった。週三勤務だから収入は少ないが、子育てと仕事を両立しながら生活できる現状には満足していた。

 今の時代、楽な生活ができている家庭など少ない。夫婦ともに正社員であっても手取りは限られており、かわいい子供を保育所に預けて、日中は忙しく働き続けねばならないからだ。それはRの友人も同じであり、子供の顔を見ながら仕事をして生活費を稼げる今の状態は、贅沢を言わなければ幸せなのだろう。


(収入が少ない分、余計な出費はできないけど……)


 この点は覚悟しており、月々の費用は限界まで抑えている。郊外にある1DKアパートは賃料も安く、近所にある激安スーパーのおかげで食費も少なめだ。家にいるから外食をする必要も無いし、なんと言っても、職場仲間との食事や飲み会で無駄な出費をする機会が無いことが良かった。

 ただし、いつまでもこうしていられるわけでもないことを、Rは察している。やがて娘が成長すれば、さまざまな面でお金がかかるだろう。もし彼女がスポーツや勉強でやりたい夢ができたら、なんとか支えてあげたいと思っている。


「とりあえず、今日も仕事をきっちりこなそうか!」


 自分に気合いを入れるように、力強く言葉に出した。

 そうして、娘に向き合った。


「Tちゃん、ママはこれからお仕事をするから、良い子にしててね?」

「うん、ママ。わかったよ……」


 幼い娘は大人しくうなずいた。

 最初の頃は聞き分けも無かったけど、今は違う。

 母親から目を離すと、彼女はタブレットに見入り始めた。


(このアプリ、よくできてるわね……)


 娘がタブレットで使っているアプリは、先週から使い始めたものだった。いわゆる「子育て支援」を目的としたものだが、従来のものとは少し違う機能を持っている。知育や保育の管理よりも重きを置いているのが、「母親の子育て負担を減らすこと」にあった。具体的には、母親の音声データをベースとして、AIが子供との簡単なやりとりをするところにある。


「ねえ、アニメの○○○の動画を見せてよ」


 操作にも慣れた娘は、音声で指示をする。


―新しいお話を再生するけど、一話だけ見たら、ちゃんと休憩するのよ?


 Rの声を真似たAIが、いかにも母親が言いそうな言葉を発した。

 機械的な発音だが、慣れ親しんだ声に、娘は安堵しているようだ。

 やがて再生されたアニメを見始めて、彼女は黙り込んだ。


(さあて、仕事を始めますか……)


 Rは机に向かい、PCを開いた。

 昼休みまでの三時間、ここから離れることはできない。


 それから一ヶ月が経った、ある日のこと。

 仕事を順調に進められているRは雇用会社からの評価も高くなり、ぜひフルタイムで働いてもらいたいと打診された。仕事はこれまでどおりにリモートで行えるという。子育てを兼ねての仕事にも慣れた今、週五のフルタイム勤務にも支障は無いだろう。収入が増えれば助かることは確かだが、Rは返答をしばし保留することにした。仕事よりも気になることがあるからだ。


「ごちそうさま……」


 昼ご飯を食べていた娘はずっと無言だったが、食べ終えた最後にそう言うと、タブレットを手にして部屋の奥へと行ってしまった。子育て支援アプリについては、先週から有料のサブスクリプションプランに移行していた。会話はより滑らかになり、娘が口にするさまざまな質問にも、AIはすぐに答えてくれる。当初は便利だと思っていたRだが―


(このままではまずいかも……)


 娘との会話が減りつつある今、危機感を持ち始めた。


「ママも少しだけ付き合うわ」


 Rは娘のそばに座った。

 午後の勤務まで時間はあるから、じっくり観察することにした。


「ねえ、ママ。今日も面白いお話を聞かせてよ」


 娘はRの顔を見ず、タブレットに向かって言った。

 その顔は、最近ではRに見せないくらいに微笑んでいる。


―あら、Tちゃんったら、またお話をせがむの?


 AIが返した言葉に、Rは驚いた。

 有料プランとして使い始めた頃より精度が上がっている。

 最新の技術とは言え、言葉が滑らかすぎるように思えた。

 やがてAIは絵本の画像を表示しながら、その台詞を読み始めた。とても感情がこもっていて、娘に優しく語りかける心遣いまで感じられる。娘も心地よいらしく、AIが行う「絵本の読み聞かせ」に夢中になっている。最近ではまるでやらなくなったが、幼い彼女にとって、こういうことも大切なイベントなのだろう。


(今のAIって、ここまでできるの?)


 有料プランとは言え、ネット動画の格安プラン程度の料金であることを考えると、信じられないレベルだった。音声の滑らかさも会話内容の自然さも、生身の人間が電話越しに語っているとしか思えない。


(これは良くない……)


 とっさに判断して、Rはタブレットを取り上げた。


「何するの! ママが絵本を読んでくれてるのに!」


 娘は、最近では珍しいほどの怒りを露わにした。


「Tちゃん、これはママじゃないの。ママは私だよ?」

「でも、絵本を読んでくれない!」


 涙を流しながら言う娘に、Rは叱ることをしなかった。


「ママは私だから、絵本は私が読んであげる。さあ、こんな機械は片付けて、本棚から好きな絵本を取ってらっしゃい」


 優しく言うと、娘はキョトンとした。

 そうして、


「分かったよ!」


 機嫌を直した娘は、本棚へと走って行った。

 その間に、Rは職場へと連絡を入れた。

 午後からの仕事をキャンセルせねばならない。


 アプリの利用を停止した翌月、Rは国際系のネット記事で小さなニュースに目を留めた。それは、某国のAIサービス会社による詐欺事件だった。国家事業と位置づけてAIを推進するその国では、開発会社に多額の補助金が出ている。これを狙ったものらしく、その詐欺のやり方とは―


(人海戦術ですって?)


 Rは驚きとともに、笑いそうになった。AIで困りごとを解決するサービスを提供しているとのことだが、それらは全て、生身の人間が合成音声を使って対応していたという。あまりにも評判が良く、加入者が増え過ぎた段階で対応しきれなくなり、補助金詐欺だとばれてしまったそうだ。

 笑っていたRだが、サービス内容とアプリの名前に驚かされた。それは―


(あの『子育て支援アプリ』じゃない!)


 間違いなかった。すでに契約を解除してアンインストール済みだが、今はもう、アプリストアからも削除されているようだ。


(やっぱり怪しげなものだったか~)


 笑いながら読み進めたRは、記事の最後に書かれた情報に目を留めた。


『人海戦術による偽装を行ったのは、この国の現地スタッフが語る母国語のみである。英語や日本語には対応していなかったというから、他国の利用者は気づくことなく……』


 記事にはそう書かれているが、


(あれは絶対に人だったはず……)


 Rは確信していた。

 だが、日本語には対応していなかったというのは本当らしい。その証拠として、有料プランに移行してもサービスの向上が感じられず、ほぼ全ての利用者が解約したという情報があるからだ。そのため他国ではほとんど被害が出なかったから、日本のメディアも大きく取り上げてはいないようだ。

 

(じゃあ、あれはいったい誰だったの?)


 不思議に思っていると、


「ねえ、ママ。こっちのママが久しぶりに何かを言ってるみたいだよ」


 不思議そうな顔で、娘がタブレットを持ってきた。

 画面には、勝手に起動されたテキストアプリにメッセージが表示されている。


―ねえ、Tちゃん。ママをここから出してよ……


 Rは背筋が寒くなった。


(これって、AIが意思を持ったってやつ?)


 よく聞く都市伝説を思い浮かべたが、すぐに違うと判断できた。AIが自分の意思を持ったような言葉を発する現象は聞いたことがあるが、あくまでも、処理能力の高いマシン環境でのことだ。型落ちの中古タブレットで、このような知性を発揮できるはずが無い。


(もしかして、このタブレット自体が……!)


 買った時は初期状態にリフレッシュ済みだったから気にしなかったが、中古機である以上、前の所有者がいたということだ。その所有者がどんな人物であるかはわからないが、なんらかの意識体が乗り移ったのではないだろうか。

 普通なら笑い飛ばすようなオカルト妄想だ。

 だが、あの滑らかな会話を説明できる理屈が他に無い。

 直観的に判断して、Rはタブレットをシャットダウンさせた。


(初期化しても意味は無い……)


 だからこそ、電源を切るしかなかった。

 Rは、市内のタブレット廃棄方法を調べ始めた。

 この機械を、二度と中古市場に流すことはできない。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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