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8 一難去ってまた一難

「え、ちょっ……! なんで!?」


 驚いて声を上げると、ロナルド様はちらりと私に目を向ける。


 その顔は、安堵したような納得がいかないような、なんとも言えないものだった。


「だ、大丈夫ですか?」

「……(つめ)てえ」

「これ使ってください」


 すぐさまバッグからハンカチを取り出して手渡すと、黙って受け取るロナルド様。なぜかハンカチを凝視して、それから濡れた顔を拭き始める。


「ロナルド……!」


 何が起こったのかをようやく理解したリースベット様は、これ以上ないほど蒼ざめていた。私の言葉に逆上し、手にしていた果実水をぶちまけたのはいいけれど、どこからか滑り込んできたロナルド様に阻止されてしまったのだから。


 立ちはだかったロナルド様は私の代わりに果実水を浴びることになり、銀髪をすべる水がぽたぽたと床に落ちる。


「ご、ごめんなさい! 私……」

「……次は容赦しないって言ったよな?」


 ぞわりとするほど低い声に、リースベット様がびくりと後ずさる。


「ロ、ロナルド……?」

「いい加減にするのはリースベット、お前のほうだ」


 有無を言わさぬ厳しい口調は、一瞬にしてリースベット様を威圧する。


「カレンに何かあったらただじゃおかないって言ったの忘れたか? カレンは俺の婚約者だ。手を出したら取り返しのつかないことになるとは思わなかったのか?」

「で、でも、その人との婚約は王命で無理やり結ばれたものでしょう? あなただって、最初はあんなに嫌がってたじゃない」

「……気が変わったんだよ。言っただろ」

「そんなの、話が違うじゃない! じゃあ私はどうなるの? 私たち、今まであんなに愛し合って――」

「俺はお前を愛した覚えはない」


 ぴしゃりと言い切るロナルド様の表情は、硬い。そしてどこか、気まずそう。


「え、何言って……」

「お前だって、本気で俺を好きだったわけじゃないだろ。打算で近づいてきたくせに、偉そうなこと言うなよ」

「は!? ちょっと待ってよ! 何よそれ!」

「お前が父親であるヴィカンデル侯爵に言われて、俺に近づいてきたのは知ってるんだ。金と権力欲しさにな」

「え……」

「現宰相家の跡取り息子と縁付けば、宰相に取り入って権勢を振るうことも王家との関係を深めて実権を握ることもできる。そう考えた侯爵にそそのかされて、お前は俺に近づいた。あの強欲な狸親父が考えそうなことだよ」

「そんな……! ち、違うわ!」


 思いがけず暴かれた事実に、リースベット様はわなわなと震えている。


「違うのよ! 確かに、はじめはお父様に言われてあなたに近づいたわ! でも私、いつのまにか本当にあなたのことを……」


 うるうると涙ぐみながら、必死で言い募るリースベット様。


 でもそれを見返すロナルド様の目は、氷のように冷たかった。


「悪いけど、お前の気持ちに応える気はない」


 そう言うと、ロナルド様は濡れた手でいきなり私の手を握る。


「行くぞ」

「え? ど、どこにですか?」

「休憩室だよ。とりあえず着替えたい」

「あ、そう、ですね……」


 ホールから程近い場所には、予め休憩室がいくつか設けられていた。パーティーの最中、万が一具合が悪くなったり何かあったりしたときのためである。


 呆然と立ち尽くすリースベット様を置き去りにして、ロナルド様はホールの出入り口に向かってさっさと歩き出す。


「……あの、リースベット様はあのままでいいんですか?」

「知るかよ」


 とても不機嫌である。そりゃそうだろう。せっかくの煌びやかな衣装が台無しだもの。


「あー、くっそ腹立つ」


 ぶつくさ言いながら、私の手を引くロナルド様。これは相当ご立腹らしい。


 そうして足早に廊下に出て、休憩室に向かおうとしたときだった。




「ロナルド……!」


 信じられないことだけど、今度は廊下の先のほうからまったく見覚えのない令嬢が走り寄ってくる。


「は?」

「会いたかった……!」

「な、なんでお前、こんなとこに――!」


 感極まった令嬢は、ロナルド様のそばまで駆け寄ると私の存在に気づいてわかりやすく眉を顰める。


「あなた……」


 私を睨みつけるその顔をよく見ると、令嬢じゃなかった。


 というか、この人、多分学園の生徒じゃない。華奢で小柄な体つきだから学園生の中に紛れ込めば気づかれないだろうけど、よく見ると、もうちょっとお年を召しているような……。


「ユリア、お前どうやってここに来た?」

「今日は建国記念パーティーの日でしょう? パーティーの準備で学園の中もバタバタしているだろうから、どさくさに紛れて忍び込んだのよ。そうすればあなたに会えると思って……!」


 その言葉で、この人が誰なのかわかってしまった。



 ――――ユリア・シェルマン伯爵夫人。



 ロナルド様のお相手の一人、それも学園生ではない。噂されていた「どこかの未亡人」である。



 それにしても。なんというかまあ。



 こんな立て続けに突撃されることってある!?



「わざわざ学園にまで押しかけてくるなんて、どういうつもりだ?」


 冷静ながらもどこか咎めるような声で、ロナルド様が面倒くさそうに尋ねる。


 でもシェルマン伯爵夫人はまったく意に介さず、うすら寒いほど無邪気に答える。


「だからあなたに会いに来たのよ。最近全然来てくれないんだもの」

「もう会うことはないって言ったよな? 伯爵邸にも金輪際行くことはないって――」

「どうしてよ? その小娘と婚約したから? 私はそんなの気にしないわよ?」


 伯爵夫人は試すような目で私を一瞥してからロナルド様に視線を移し、思わせぶりに口角を上げる。


「あなたが婚約しようが結婚しようが、私は一向に構わないの。今まで通りうちに来て、私を楽しませてくれたらそれでいいのよ。私にはあなたが必要なの。わかるでしょう?」


 鼻にかかった媚びるような声に、悪寒が走る。


 なんだか急に吐き気がしてきて、私はロナルド様につかまれていた手を振りほどく。


「お、おい!」


 そのまま今来た道を戻るつもりで向きを変えると、切羽詰まった顔のロナルド様にまた手をつかまれる。


「どこ行くんだよ?」

「いや、お話し合いの邪魔になるかと……」

「は? んなわけないだろ」

「でも……」

「いいからここにいろ」


 まるで懇願するかのような余裕のない目で言われたら、私だって何も言えない。


「ロナルド、あなた……」


 何か言いかけた伯爵夫人の言葉を遮って、ロナルド様は「お前さあ」と呆れたような顔をした。


「伯爵邸に呼びつけてんのは俺だけじゃないんだろ?」

「え?」

「俺以外に何人もの若い男を誘い込んでんの、バレてないとでも思ったか?」

「え」


 こっそりと隠していたつもりの不埒な所業を指摘され、伯爵夫人はあからさまに狼狽える。


「一回り以上年上の旦那が死んですぐ、お前が若くて扱いやすい男を何人も伯爵邸に誘い込んでたのはとっくにバレバレなんだよ。それに執事とか庭師とかともデキてんだろ? お前が世間の目を盗んで好き放題していたことは、領地でのんびり暮らしてるはずの(ぜん)シェルマン伯爵夫妻にも当然知らせが行ってるはずだが」

「は!?」


 無情なまでの痛烈な宣告に、伯爵夫人は驚きすぎて言葉を失っている。


「知らせを受け取った前伯爵夫妻は、すでに領地を発ったそうだぞ。お前、こんなところでのんびりしててもいいのか? 伯爵邸を追い出されたら、行くとこなんかないんだろ?」


 畳みかけるように煽られて、みるみる顔を紅潮させていく伯爵夫人。


 そして、「な、なんなのよ、もう!」とか「覚えてなさいよ……!」とか捨て台詞を吐きながら慌てた様子で走り去る。


「はあ……」


 シェルマン伯爵夫人の姿が見えなくなると、ロナルド様は盛大なため息をついた。


「なんなんだよ、いったい……」


 疲れたようにつぶやいて、再び休憩室に向かおうとしたロナルド様はどういうわけか息を呑む。


「カレン、なんで泣いてんだよ……?」

「……え?」






 


 




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