6 馬子にも衣裳
「そろそろ建国記念式典の季節だけど」
いつになく真面目な表情のミュリエル様が、急にそんなことを言い出した。
「そうですね」
「パーティーには、当然ロナルド様がエスコートしてくれるのよね?」
「あー、どうなんでしょう?」
曖昧に返事をすると、ミュリエル様はすぐさま非難めいた声を上げる。
「え、ロナルド様から何も言われてないの?」
「はい、特には」
「なんなの、あの人。ようやく少しは心を入れ替えたのかと思っていたのに」
「そうですよね」
軽い気持ちで頷く私に、ミュリエル様は何やら不満げな目つきをする。
「あれだけの女たらしが、この超重大イベントに気づいていないわけがないでしょう? 建国記念式典の日程に合わせて、学園でもパーティーが開かれるのは毎年のことじゃないの」
「いつものお相手の誰かをエスコートするつもりなんじゃないですか?」
「あなたたちの婚約は王命なのよ? そんなふざけたまねをしたら、陛下の顔に泥を塗ることになると思うのだけど」
「確かに、そうですね」
「それに、最近はあの令嬢たちと一緒にいるところをほとんど見かけないじゃない。お昼時になると、必ず談話室に顔を出すし」
ミュリエル様の言う通り、最近のロナルド様はあのきれいな令嬢たちを侍らすことがなくなっていた。
その代わり、ランチの時間になると私たちのいる王族専用談話室に現れる。なんなら、エルランド殿下と一緒に来ることもある。
「ほかの令嬢とのいちゃいちゃを見せつけて、カレンの気を引こうなんて子どもじみた作戦が無意味だと気づいたところは褒めてあげてもいいけどね。でも肝心のパーティーのエスコートを忘れるようじゃ、まだまだ及第点とは言えないわ」
「ミュリエル様は、ロナルド様にとことん厳しいですよね」
「当たり前じゃない。あなたとロナルド様の婚約を仕組んだのは私たちなんだし、何よりロナルド様には私の大事な親友を預けるに足る男になってもらわないと困るのよ」
いつのまにか、私はミュリエル様の「大事な親友」になっていた。畏れ多いことである。でもちょっと、うれしい。
建国記念のパーティーが近づいてくると、学園全体の雰囲気もなんだかそわそわと落ち着かなくなってくる。
そんな、ある日。
「カレン様。ブランディル公爵家から贈り物が届いておりますが」
学園から帰宅してすぐに執事に言われた私は、自室に置かれた大きめの箱を見て首を傾げた。ブランディル公爵家からの贈り物なんて、思い当たる節が全然ない。え、何? ちょっと怖いんだけど。
びくびくしながらも思い切って箱を開けた途端、私は目を見開く。
「これって……」
それは、上品なラズベリーレッド色に繊細な銀色の刺繍の施された、華やかなドレスだった。
一緒に贈られた小さめの箱には、ドレスと同じ色味のアクセサリーがいくつも収められている。
そして、添えられていたカードには――――
『当日は、これを身につけて待っているように。迎えに行く。
ロナルド』
……ちょっと、声が出なかった。びっくりしすぎて。
パーティーのことちゃんと考えてくれてたんだ、とか、こんな素敵なドレスをわざわざ用意してくれたんだ、とか、だったら言ってくれればよかったのに、とかいろんな感情が一気に押し寄せて、なんだか頭がクラクラする。
でも、うれしい。
信じられないくらい、内心はしゃいでしまっている自分がいる。
だって、まったくと言っていいほど期待してなかったんだもの。ロナルド様は、学園でミュリエル様にパーティーのことで突っ込まれたときにも「さあな」とか何とか言ってはぐらかしていたし。だからてっきり、パーティーにはいつものお相手の誰かと行くつもりなんだと思っていた。
明日学園に行ったら、すぐミュリエル様にこのことを話さなくては。そうすればきっと、ロナルド様も及第点をもらえるのでは? と思ったら、なんだかとても、楽しくなった。
◇・◇・◇
パーティー当日。
朝早くから、ブランディル公爵家の侍女が何人も派遣されてきた。
今日の準備の助っ人として、ロナルド様が気を利かせてくれたらしい。
隅々まで磨き上げられ、あれよあれよという間にパーティー仕様の髪型と化粧が仕上がっていき、終わって鏡を見た瞬間、度肝を抜かれた。だって、見たこともない絶世の美女がいるんだもの。いや、言い過ぎか。でももう自分で言っちゃうくらい、完璧すぎた。これは素材がどうこうというより、完全にプロの仕事のおかげである。
準備を整えて玄関に向かうと、ロナルド様の到着を待ちわびるレイフの姿が視界に入る。
レイフは私を一目見た瞬間、パッと顔を輝かせた。
「あねうえ! おひめさまみたい!」
「そ、そう……?」
弟とはいえ、褒められたらそりゃうれしい。しかも子どもの褒め言葉って、ストレートだから。恥ずかしいやら照れるやら、いろいろ忙しい。
「化けたもんだな」
ちょうど到着したらしいロナルド様の声が聞こえて、振り返った私は息を呑んだ。
パーティー仕様の正装に身を包み、端正な笑みを浮かべるロナルド様のキラキラと輝くオーラがすごい。筆舌に尽くし難いとはこのことである。まぶしすぎて、ちょっと直視できない。
でも自身の髪色に似たシルバーを基調とした装いに、薄い空色のハンカチとか耳飾りとかを合わせていることに気づいて思わずドキリとしてしまう。だってあれは、私の瞳の色――――。
「あにうえも、おうじさまみたい!」
「そうか?」
まんざらでもないといった様子のロナルド様は、興奮状態のレイフの前にしゃがみ込む。
「レイフ、今日はお前の姉上を借りるけどいいか?」
「うん。今日のあねうえ、とってもきれいだよね? おひめさまみたいで」
「ああ。カレンは俺にとっても大事なお姫様だからな」
――――そ、そ、そ、そんなこと、いきなり言う!?
も、もうパニックである。顔が火を噴いたみたいに熱い。絶対真っ赤になってると確信できるから、つい二人に背を向けてしまう。
でもほんと、こういうところがモテる理由なんだろうな。と思ったら、急にすん、と冷静になった。そうだ。こんなこと、きっと誰にでも言っているに違いない。まるで息をするように、軽い調子で甘い言葉を吐くのがロナルド様の得意技なんだから。その殺し文句に、いったい何人の女性が堕ちてきたことか。やばいやばい。危うく勘違いするところだったわ。
「髪、上げたのか?」
立ち上がったロナルド様が、私の真後ろでぴたりと止まる気配がした。
「は、はい。おかしいですか?」
といっても、すべては公爵家の侍女たちの仕事である。「首からデコルテのラインがおきれいだわ」とか「せっかくだから髪はアップにしちゃいましょう」とか、数人でこそこそ話し合っていたけど。
刺すような視線に不安を覚えてロナルド様を見返すと、なぜか私をじっと見つめたまま「いや」とだけ答える。
そのラズベリーレッドの瞳に、思いもよらない甘い熱が宿っていたことを、このときの私はまだ知らない。