20 小敵と見て侮るなかれ
「現状、リースベット様の身のまわりの世話は、二人の侍女だけに任されているようなの。それ以外の使用人はリースベット様の自室に入ることはおろか、部屋に近づくことすらも禁じられているらしくて」
「ずいぶん厳重なんだな」
「そうなの。食事もその侍女たちが部屋に運び込んでいるそうよ。悪阻がひどくてあまり食べられないということもあって、料理人が消化にいいものとかさっぱりしたものとかを用意するそうなのだけど、それすら口にしている様子がないとかで」
「え、悪阻ってそんな感じになるのですか?」
一番年下、しかもまだ十四歳になったばかりというリーンが目を丸くする。
「そうよ。個人差もあるけれど、吐き気や嘔吐があったり、だるかったり眠かったり匂いに敏感になったりして、食欲が落ちる人が多いのよ」
「逆に、食べてないとかえって気持ちが悪くなる人もいるみたいだけどね」
訳知り顔で話すステファン様に、みんなが一瞬「え……?」という顔をする。「なんでそんなこと知ってるんだ?」とでも言いたげな、みんなの微妙な雰囲気に気づいたステファン様はすぐさま言い訳をする。
「あ、実は、僕には三つ年上の姉がいるんですけど、その姉も少し前に妊娠がわかったばかりなんですよ。姉はどちらかというと、食べてないと気持ちが悪いほうの悪阻のようで……」
「なんだ、そういうことか」
みんな一様に、胸をなでおろす。
ステファン様にお姉様がいるとは知らなかったけど。
「とにかく、クリスティーナ様も話していた通り、今リースベット様がどうされているのか、どんな状態でいるのかを知る者は限られるようなの。でも、ここまで厳重に隔離される前に、リースベット様から身ごもった話を直接聞いたという使用人が実はいたのよ」
「え、直接、ですか?」
「そう。なんでもリースベット様は、『学園を卒業してすぐに、この身を捧げたの』とか『一晩中愛し合ったのよ』とか『私たちの愛は、王命などに負けない真実の愛』とか言って――」
「はあ!?」
殴りかかりそうな勢いで立ち上がったロナルド様に、エルランド殿下が面倒くさそうに声をかける。
「リースベット嬢の言葉が真実でないことくらい、ここにいる全員わかってるから。いちいち目くじらを立てるなよ」
「そんなこと言ったって……!」
「いや、でも、よくそんな妄言が吐けますよね」
「逆に、リースベット様大丈夫かなって思っちゃいますね」
ステファン様もリーンもリースベット様の言葉を真に受けていないとわかって、ロナルド様は少しだけ留飲を下げたらしい。
なんとか落ち着きを取り戻しつつも、どことなく不安そうに私の顔を覗き込む。
「……あんなの、嘘だからな」
「わかってますよ」
「俺が一晩中愛し合いたいのは、お前だからな」
「……それは今言わなくていいです……」
急にだだ漏れの圧倒的色気にさらされて、身の置き場がない。
でもふと、先程のミュリエル様の言葉に引っかかりを覚える。
――――『学園を卒業してすぐに、この身を捧げたの』
「……あ」
小さく叫び声を上げた私を見返して、ロナルド様が尋ねる。
「どうした?」
「……リースベット様のお相手はロナルド様ではないということが、証明できるかもしれません」
◇・◇・◇
それから、必要な情報を集めるまでさらに数日を要した。
ステファン様はわざわざお姉様の嫁ぎ先に出向いていって、妊娠後の基礎知識について話を聞いてきてくれた。
「すみません、男性のステファン様にそんなことをさせてしまって……」
「そんなことないよ。妊娠・出産は女性だけじゃなく、男の僕たちにとっても大事なことだからさ」
「それは、そうですけど……」
「妊娠期間は長いんだし、自分の子どもと大事な奥さんを守るためには正しい知識が必要不可欠だと思わない?」
ステファン様の言葉を聞いて、殿下もロナルド様も感心したように頷いていた。
リーンはなぜか、少し頬を赤らめてぽーっとしながら話を聞いていたけど。
「悪阻というのは妊娠初期に現れる症状で、だいたい五週目から六週目くらいから始まり、十二週目くらいには収まる人が多いらしい。まあ、個人差があるみたいだけどね」
「なるほど」
「つまり、出現期間がある程度絞られるということか」
「そういうことです。そして、症状がひどくなるのは八週目から十週目頃、つまり妊娠三ヵ月頃が多いとされています」
「ほう」
「じゃあ、リースベット様はちょうど今その頃ということ?」
「その可能性は高いと思うよ」
ヴィカンデル侯爵家では、ミュリエル様が送り込んだ腕利きの使用人とクリスティーナ様とがリーンの仲介でタッグを組み、連携して情報収集に当たってくれた。
よくよく話を聞いてみると、リースベット様は予想外にたくさんの使用人たちに対して『ロナルド様との夜』について吹聴していたことがわかった。
しかも、話の内容が微妙に異なっていて、時間が経つにつれどんどん妄想を拗らせて話が大きくなっていったことが想像できてしまった。なんというか、ちょっと何と言っていいかわからない。コメントしづらい。
「でも、学園を『卒業してすぐ』という部分は一致しているようです。『卒業式の三日後』なんて具体的な話もあったようですし」
クリスティーナ様から報告を受けたリーンが、呆れたような口調で説明する。
「細かいところは違っているのですが、概ね『卒業を機に、これで最後と改めて気持ちを打ち明けたら、ロナルド様も本当はずっとこうしたかったと受け入れてくれた』という筋書きですね」
「……ほんと、キモいんだけど」
ロナルド様が、げんなりした様子で私の肩にもたれかかる。
「そんな嘘八百を堂々と並べるなんて、いったいどういう神経してるんだ?」
「さあな。リースベット嬢については、お前が一番詳しいだろ」
「……うるさいな」
気まずそうな顔をするロナルド様を、エルランド殿下が楽しげに揶揄う。最近よく見られる光景である。
「それとですね、結構重要と思われる情報がもう一つあるのですが」
「なんだ?」
「執事がですね、『お生まれになるのは雪の月になるらしい』と話していたそうなんです」
「雪の月? 冬のはじめということか?」
殿下がふと視線を上に向けて、それから「七か月後か……」とつぶやく。頭の中で数えていたらしい。
「そうです。リースベット様の現状を知る者は少なく、直接会えるのは二人の侍女とヴィカンデル侯爵、それに医者だけですからね。執事でさえも、今どんな状況にあるのか詳しいことはわからないと困っているらしいのですが、それでも産み月については医者に直接尋ねて確認したようです」
「なるほどな」
どこか嘲笑うような笑みを浮かべるエルランド殿下。
どうやら、勝機が見えたらしい。
「リースベット嬢の妊娠が真実にしろでそうでないにしろ、ロナルドには一切関係ないということがこれで証明できそうだな」
殿下の言葉に、みんなが勝利を確信する。
「では、そろそろ反撃の狼煙を上げるとしよう」
次回はロナルド視点です。
ぎゃふんと言わされるのは、果たして誰なのか……?