10 後悔先に立たず①(sideロナルド)
驚くカレンの手を無理やり引っ張って図書室から連れ出すと、俺は学園の裏庭へと向かった。
突然の事態にカレンは戸惑い、困惑の表情を浮かべている。それだけでもう、否応なしに苛立ちが増していく。ただただ、腹立たしさが募っていく。
「どういうつもりだよ」
「え……? 何がですか……?」
「婚約者以外の男といちゃつくなんて、いったい何考えてんだ?」
「え?」
言われた言葉の意味がわかった瞬間、カレンは目を見開いた。そしてすぐさま、反論する。
「違います! あれはただ、グループ学習の一環で一緒に調べ物をしていただけで……」
「二人だけでだろ?」
「でも図書室には、ほかも人が――」
「大勢の人がいる前で婚約者以外の男と一緒にいて、どう思われるかわからないのか? しかもあんなにベタベタとくっつきやがって」
「は? ベタベタなんかしてませんけど」
「してただろ? おまけにちょっと褒められただけで、浮かれてのぼせやがって恥ずかしいやつ」
棘と悪意しかない非難の言葉が止まらない。
カレンの表情はどんどん強張って、俺を睨みつけるが何も言わない。
ただ悔しそうに、唇を噛んでいる。
傷つけたくないのに、泣かせたくないのに、好きだと言って抱きしめてあんな男によそ見なんかするなと言いたいのに、口をついて出たのはまるで真逆の言葉だった。
「お前がその気なら、もういいよ」
突き放すように吐き捨てると、カレンは「え……?」と言ったまま凍りつく。
「あいつのほうがいいんだろ? いちゃいちゃしたいなら勝手にしろよ。俺は俺で、勝手にやるからさ」
それだけ言って、踵を返す。
別に、女はカレンだけじゃない。今までだって何もしなくても女は勝手に寄ってきたし、選り取り見取りで選び放題だったじゃないか。カレンがほかの男を選ぶなら俺だって別の女と遊ぶだけ、あんなやつに執着する理由なんかない。
嫉妬と怒りと悔しさでどうしようもなくなった俺は、完全に自分を失っていた。
◆・◆・◆
翌日。
「はあ……」
「お前、今日だけで何回ため息をつくつもりなんだ?」
隣に座る幼馴染が、呆れたように苦笑する。
「……うるさいな、エル」
「そこで死にそうな顔でうだうだしてるくらいなら、早退でもしてカレン嬢に謝ってくればいいだろう?」
「……それができたら苦労しねえんだよ」
また一つ大きなため息をつくと、幼馴染でありこの国の王太子でもあるエルランドは「ほんとにロナルドは馬鹿だよな」なんて容赦がない。
巷では品行方正で非の打ち所がない王太子と言われているエルランドだけど、実は結構毒舌で、辛辣で、腹黒である。温厚な微笑みの裏側には冷徹な為政者の顔を隠し持つ、王の器たる男。そんな裏の顔を知るのは、王族以外では俺と俺の父親であり宰相でもあるブランディル公爵、そしてエルランドの婚約者のミュリエルくらいである。
そのミュリエルから、「今日はカレンが学園を休んでる」と聞いたのはついさっきのこと。
カレンの欠席の理由に心当たりしかない俺は、さっきからずっと、いや本当はこのところずっと、激しい後悔に苛まれている。
カレンと初めて話をしたあの日。
自分の家を守るためにこの無茶苦茶な婚約を受け入れたカレンは、平然となんの不満もないと言い切った。
それどころか「何を『犠牲』と感じるかは、私が決めることですから」と事もなげに言ったカレンを、俺は不覚にも格好いいと思ったのだ。
そして、カレンがほしいと、思ってしまった。
そんな感情を抱いたのは、生まれて初めてだった。
でも、カレンの気を引きたくてその辺の令嬢たちとの親密さを見せつけようと目論んだ結果、すぐにエルランドから手厳しいダメ出しを食らう。
「お前さ、それは悪手中の悪手でしかないよ?」
「は?」
「そんなことをしても、カレン嬢の気持ちはますます離れていくだけだから」
「じゃ、じゃあ、どうしたらいいんだよ?」
「お前は彼女の正式な婚約者だろう? だったら婚約者としての義務を果たせよ」
「婚約者としての義務?」
「取り決めがあっただろ、いろいろとさ」
そう指摘され、カレンとの交流を深めるために二週間に一度のお茶会が設定されていたことを思い出す。
早速、翌週ルイネ伯爵邸を訪れた俺だったが、それまでずっとすっぽかしていたせいで伯爵邸は大騒ぎになってしまった。
慌てふためいて走り回る大人たちを尻目に、とことこと近づいてきたのは小さな男の子だった。
「お兄ちゃん、だれ?」
透き通るターコイズブルーの瞳に邪気はなく、ただ不思議そうに首を傾げる。
この子がカレンの大事な弟だということに気づいた俺は、ちょっと偉そうに上から目線でこう言った。
「俺か? 俺はお前の姉ちゃんの婚約者だ」
「こんやくしゃ?」
「将来結婚する人のことだよ」
自分で言っておきながら、「結婚」の二文字に一瞬酔いしれる。そうだ。俺たち、いずれは結婚するんだ。何もしなくても、このままいけばカレンは確実に手に入る。俺は俄然気が大きくなって、得意満面になる。
「俺はお前の姉ちゃんと結婚するから、いずれお前の兄ちゃんになるんだよ」
「兄ちゃん? ほんと?」
「ああ。だから今日からお前は俺のことを『兄上』と呼べ」
「うん!」
弟のレイフは、すぐに俺に懐いた。お茶会に行けば遊ぼう遊ぼうとまとわりついて、でもそんな純粋な好意に俺自身が癒された。本当はもっとカレンと話したかったけど、レイフと遊んでやるとカレンがうれしそうにするから、あの笑顔が見たくて俺はレイフと走り回った。
そうこうしているうちに、建国記念パーティーが近づいてくる。
年に一度、学園で開かれる大規模なパーティーである。ここは絶対に外せないと気合を入れた俺は、恥を忍んでエルランドに相談した。
「……カレンにドレスを贈りたいんだが」
「贈ればいいだろ」
「……ドレスなんか誰にも贈ったことがないから、何をどうすればいいのかよくわからないんだよ」
「……は?」
珍しく間抜け顔をして驚くエルランドを、直視できない。気まずすぎて、格好がつかない。
「お前……、それ、ほんとか?」
「こんなときに嘘なんか言うかよ」
「今までつきあってた女性たちにせがまれたことはなかったのか?」
「あったけど、全部適当にはぐらかしてきたんだよ。面倒くせえし」
もごもごと言い訳しながら目を逸らす。エルランドが面白そうに笑っているのが、気配でわかる。
「……まあ、そういうことなら、協力してやってもいいよ」
嫌味なくらい晴れやかな笑顔でそう言ったエルランドは、すぐさま王族御用達のドレスメーカーを紹介してくれた。
俺の髪と目の色だけを使い、独占欲を存分に発揮してこだわり抜いた渾身の一着は、カレンによく似合った。いや、似合いすぎた。この光り輝く絶世の女神は俺のものだと、全世界に叫びたくなった。きれいすぎて可愛すぎて、今すぐ抱きしめたい衝動に駆られる。
しかも髪をアップにしていたから、カレンの白くて滑らかなうなじが露わになっていた。あの細い首筋に己の印をつけたい邪な欲望が暴れ出して、いなすのに苦労した。
ところが、である。
肝心のパーティーは、散々だったのだ。