1 背水の陣
――――それは私にとって、まさに青天の霹靂だった。
「……王命で婚約、ですか……?」
前触れもなく学園の王族専用談話室に呼び出された私は、やんごとない二人の唐突な言葉に耳を疑う。
「そうだよ。カレン・ルイネ伯爵令嬢」
目の前のソファに悠然と座りながら、得意げな笑みを見せるのはこの国の王太子エルランド・アラハイル殿下。
私より二つ年上の殿下は、夜の闇を溶かし込んだような漆黒の髪に凛としたサファイアブルーの瞳をした見目麗しい王太子。一見、近寄りがたい冷徹な印象のエルランド殿下だけど、その実とても気さくで愛情深い方だというのは誰もが知っている。
「ロナルドのことは、もちろん知っているだろう?」
「……はい」
「そろそろあいつの婚約を考えてやるべきじゃないか、と陛下がおっしゃってね。その候補者として、君の名前が挙がってるんだ」
王太子のこぼれるような笑顔とは対照的に、私の頭の中にはいくつもの「なぜ?」が忙しく飛び交う。
エルランド殿下のおっしゃる「ロナルド」とは、ロナルド・ブランディル公爵令息のことである。
殿下と同い年、つまりは私の二つ年上で、学園の最終学年に在籍する彼を知らない人などこの学園にはいない。
月光のように煌めく銀髪をなびかせ、ラズベリーレッドの魅惑的な瞳をした美貌の公爵令息は、とある理由で世間に悪名を轟かせている。
……人呼んで、「王国一のクズ男」。
その圧倒的美貌と公爵という高貴な地位、そして類まれなる知性を武器に、数多の女性と浮名を流す女たらし。お相手は学園に通う令嬢のみならず、未亡人やどこぞの人妻をも虜にしているという噂がまことしやかにささやかれている。とにかく一般女性が近づいてはいけない危険な男ナンバーワン、という超要注意人物。
そんな人と私が、王命で婚約……?
いや、待って。ほんと待って。なんで? どういうこと?
本当に突然すぎるうえに意味がわからなすぎて、目の前の王太子殿下が妙に胡散くさく見えてくる。もちろん話すのは初めてだしこうやって呼び出されること自体畏れ多いのだけど、なんかいろいろやばい。やばい匂いしかしない。
どうにかこうにか警戒心を制御しつつ、私はひとまず一番の疑問を口にしてみる。
「……なぜ、私なのでしょうか?」
おずおずと尋ねると、エルランド殿下は待ってましたとばかりに隣に座る愛らしい令嬢に目を向ける。
「それについては、ミリー、君から説明してくれるかい?」
「もちろんですわ、殿下」
「ミリー」と呼ばれてにこやかに微笑むのは、殿下の婚約者でもあるミュリエル・オルクリスト侯爵令嬢。
絹のように滑らかなハニーブロンドの髪に翡翠色の瞳をした可憐な印象のミュリエル様は、心なしか前のめりになりながら一気に話し出す。
「殿下が今おっしゃった通り、そろそろロナルド様にも婚約者を決めるべきだろうと陛下がご提案されたのです。ご存じかとは思いますが、ロナルド様は宰相ブランディル公爵のご嫡男。ですがその評判は決して良くはなく、と言いますか、はっきり言って最悪です。ふしだらで不誠実で女癖が悪く、軟派で軽薄で貞操観念が緩く女性関係がすこぶる派手――」
「ミリー、言い過ぎだ」
「あら、ごめんなさい」
とか言いつつ、ミュリエル様はあまり悪びれる様子がない。けろりとした顔をしながら、何事もなかったかのように話を続ける。
「とにかく、ロナルド様のただれた異性関係については残念ながら誰もが知るところです。父親であるブランディル公爵もそうした状況を長いこと嘆いていらっしゃったのですが、公爵と旧知の仲でもある陛下がここは思い切った荒療治が必要なのではとおっしゃって」
「荒療治……?」
「王命で婚約を決めてしまえば、ロナルド様も諦めて態度を改めるきっかけになるのではとお考えになったのです。陛下はエルランド殿下と私に、ロナルド様の婚約者として誰が相応しいと思うか尋ねられました。そこで私は真っ先に、迷うことなくカレン様のお名前を挙げたのです」
「なぜ、ですか……?」
つい反射的に聞き返してしまう。
だって、私とミュリエル様は同い年、それも同じクラスではあるけれど、それほど親しいというわけではない。ただのクラスメイトでしかない私を、腐っても公爵令息であるロナルド様の婚約者に推薦する理由なんてまったく思い当たらないんだけど。
そんな私の内なる疑問を察してか、ミュリエル様が訳知り顔で大きく頷く。
「確かに、私とカレン様にはこれまでさほど接点はございませんでした。でも今年初めて同じクラスになった際、あなたは最初から私に対しても分け隔てなく接してくださいましたよね?」
「そう、ですけど……。でもそれくらい、普通のことでは……?」
「いいえ、そんなことはありません。私は八歳の頃に殿下との婚約が決まり、それからずっと準王族と見做されてきたせいかどうしても同年代の方々には距離を置かれてしまいがちなのです。仕方がないこととはいえ、実はそこはかとないさびしさを感じておりました。でもあなたはそうした状況にも臆することなく、当たり前のように自然に接してくださったのです。それが私にとって、どんなにうれしかったことか」
「ミュリエル様……」
「それ以降、私は密かにカレン様という人物を観察し続けてまいりました。あなたは常に冷静かつ公平な目で物事を見極め、洞察力や判断力に優れているだけでなくちょっとやそっとでは動じない気丈さと芯の強さをお持ちです。加えて、あなたが学年でもトップクラスの成績優秀者であることは周知の事実。以上の点から、カレン様こそロナルド様の婚約者に相応しいお方であると判断いたしました」
「いやいや、ちょっと買い被り過ぎですって……」
これでもかと繰り出される怒涛の褒め言葉に気後れしても、ミュリエル様はにっこりと微笑んだまま。
そこまで褒められたら当然悪い気はしないし、むしろ未来の王妃に手放しで絶賛されてうれしくないわけはない。
でも、待って。ちょっと、落ち着こう。
だって、いくらべた褒めされたからって、結局は「そういう理由だから軽薄で女たらしのクズ野郎と婚約してちょうだい」ってことなんだからね?
そんなの、いくら褒められたっておだてられたって、引き受けたいわけないじゃない。
相手が王族とその婚約者とはいえ、ここはもう毅然とした態度で断固断ろうと背筋を伸ばした瞬間、殿下がすっと人差し指を立てる。
「もちろん、今の話だけでは君の側になんのメリットもないことは十分理解している。我々としても、ただであの不埒者を引き受けてもらおうとは思っていない」
……あ、殿下もロナルド様のことは「不埒者」認定しちゃってるんですね。なんて唖然としている暇もなく、目の前の二人は容赦なく切り札を切ってくる。
「ルイネ伯爵家は先代及び先々代が事業経営に失敗した結果、多額の負債を抱えていると聞き及んでいるが」
「え」
「現伯爵がなんとか爵位返上だけは免れたいと日々奔走しているようだが、思うような成果は得られず没落寸前だとか」
「あ……」
「しかも君には幼い弟がいるそうじゃないか? 四年前に流行り病で他界したルイネ伯爵夫人に代わって、君が幼い弟の面倒を見てきたと聞いている。その弟が成人しルイネ伯爵家を継ぐとなったとき、莫大な負債が残ったままでは先行き不安だろう?」
「あなたがロナルド様との婚約に同意してくれるのなら、ルイネ伯爵家の負債はブランディル公爵家がすべて肩代わりしてくれるそうなの。それに公爵家から事業経営に詳しい補佐役を派遣してくれると言っているし、幼い弟さんの教育にも最大限の協力を惜しまないと」
高貴な二人は会心の笑みを見せながら、次々と決め技をぶっ放す。
……ちょっと、これはもう。
どうやら最初から、断るという選択肢はなかったらしい。
今日から毎日投稿、全23話の予定です。
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