9.空を駆けるライフ
窓の外を見ると、そこには杖に乗って空中に浮遊するルミア先生の姿があった。
「……先生、なんでそんなところにいるんです? 俺の部屋、二階なんですけど」
「街の見回りをしていたんです。ちょうど近くを通りかかったら、馬鹿でかい声が聞こえてきまして」
先生は杖の柄を掴んだまま、左右に揺れる。ものすごい笑顔だった。
……聞かれていたのか。恥ずかしい。
「ところでその杖、なんで浮いてるんです? それも風魔術ですか?」
「いえ、これはこの杖の力です」
そう言うと、彼女は窓から俺の部屋に入ってくる。
そして杖から降り立つと、それを俺に見せてきた。
……年季は入っているが、立派な杖だ。
よく見ると、無数の文字が彫られている。全然読めないが。
「古代エルフ語で、周囲の風を操る力が込められています。それで浮かんでいられるんですよ」
ルミア先生は嬉々として言う。その様子は、どこか子どもっぽい印象を受ける。
「それで、ライフ君はさっきから何を悩んでいるんです?」
「ええ、小説の執筆が進まないんですよ」
「またそれですか。よくわかりませんが、ライフ君も好きですねぇ」
再びため息まじりに言うと、ルミア先生は呆れ顔をした。
……この世界の人々には、なぜか小説の良さがわかってもらえない。
小説が俺にとって、どれだけ大切か……それを熱く語る手もあったが、百聞は一見にしかず。俺は書きかけの小説を先生に差し出した。
「……せっかくですし、読んでみてくださいよ」
「えー、文字を読むのは苦手なのに……ちょっとだけですよ」
あからさまに嫌な顔をしたあと、先生は羊皮紙を受け取る。それからその大きな瞳で、文字を追い始めた。
「どうですか? 俺なりに、色々勉強して書いたつもりですが」
「……」
「……先生?」
たいした期待もせずに声をかけるも、羊皮紙を見るルミア先生の目は輝いていた。
……これは、がっつり読んでいる。というか、明らかに楽しんでいる。
「あの、先生?」
「ちょっと黙っていてください。今、いいところなんですから」
「あ、はい……」
立ったまま小説を読みふけるルミア先生を放置して、俺はベッドに腰を下ろす。
こうなったら、彼女が読み終わるまで待つしかない。
「……これ、続きはないんですか」
しばらくして、先生は羊皮紙から目を上げてそう言った。
「その続きを書くのが大変なんですよ。それこそ、紙を生み出す魔術とかありませんか?」
「紙を……? 知りませんね。地の魔術で粘土板を生み出して、そこに刻んだ文字を火の魔術で焼き付ける方法もありますが……」
一瞬、その手があったかとも思ったが……仮に100ページの長編小説を粘土板に書き記した場合、どれだけの重さになるかわからない。少なくとも、運ぶのに荷馬車は必須だ。
……まぁ、火の魔術が使えない俺には関係のない話か。
「……それにしても、いいものを読ませてもらいました。何かお礼がしたいですね」
俺に羊皮紙を返しながら、ルミア先生は上機嫌で言う。
「お礼と言われても……」
俺は視線を泳がせる。すると、彼女の隣で直立したまま、空中に浮き続ける杖が目についた。
「じゃあ、俺をこの杖の後ろに乗せて、空を飛んでくれませんか」
「え?」
「小説の次の場面のヒントになるかもしれないんですよ。お願いします」
「そういえば、風の魔術師が出てきていましたね……わかりました。いいですよ」
先生は一瞬考えるような仕草をしたあと、杖に腰を下ろす。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
彼女の横にスペースを見つけ、俺は腰を落ち着ける。
……その直後、杖は俺たちを乗せたまま、窓から飛び出した。
「おおお、すげぇ」
元の世界でジップラインに乗ったことがあるが、スピード感や浮遊感はあれに近い。
杖がぐんぐん上昇していく中、全身に風を感じる。そして眼下を見ると、そこにはファンタジー感溢れる建物や広大な畑が広がっていた。これは感動するなというほうが無理だ。
「え、ルミア先生と……ライフ!?」
「なんであいつ、ルミアさんと一緒に空飛んでるんだ?」
「いいなぁ。わたしも乗せてもらったことないよ」
その時、地上から声がした。見ると、シェリアとヨハンが羨ましそうな視線を俺に向けている。
せっかくだし、手でも振ってやろうとしたその時、杖が急に方向転換した。
「おわぁ!?」
俺はその動きについていけず、杖から振り落とされた。
「あ、しまった」
どこか間の抜けたような声のあと、頭上のルミア先生が高速で動く。
彼女は一瞬で俺の真下へと移動すると、風のクッションを生み出して受け止めてくれた。
「……大丈夫ですか」
「また死ぬかと思いました」
「混乱しているのはわかりますが、落ち着いてください。ほい」
ルミア先生は呆れ顔のまま、俺を再び杖に乗せてくれた。
「私とこの杖は一心同体なので、振り落とされることなんてありませんが……ライフ君はそうはいかないみたいですね。今度は振り落とされないよう、しっかり掴まってください」
「は、はい」
俺は冷や汗を拭ったあと、ルミア先生の腰に手を回す。
「……ちょっと、どこ触っているんですか」
すると、ルミア先生がジト目で睨んできた。
……俺なんかやっちゃいましたか?
「私ではなく、杖を掴んでください。レディの体に触れるなんて、もってのほかです」
「す、すみません」
俺は謝ってから、杖の柄をしっかりと握る。今度は落ちませんように。
……その後はルミア先生も考えてくれたのか、先ほどより若干スピードが落ちた気がした。
それでも空を飛ぶ爽快感に変わりはなく、俺はひとときの空の旅を楽しんだのだった。
◇
……やがて楽しい時間は終りを迎え、杖は俺の家の前に着陸した。
「少しは小説の参考になりましたか?」
「ええ、すっごく」
「それはよかったです。執筆、頑張ってください。そして完成したら、また見せてくださいね」
地面に降り立った俺に、ルミア先生はわずかに声を弾ませながら言った。
この人、明らかに俺の小説のファンになってくれている。やったぜ。
内心喜びを爆発させながら、俺は去っていく先生を見送る。
「あ、ルミア先生!」
「……はい?」
その背を見ていて、あることを思い出した。俺は慌てて彼女を呼び止める。
「昼からの授業なんですが、無詠唱魔術を教えてください!」