8.宮廷魔術師
「……いったい、何があったんです?」
俺たちから少し離れた場所に横たわるガーゴイルの亡骸を見ながら、ベールは困惑顔でルミア先生に尋ねる。
「突然ガーゴイルが襲ってきたのです。おそらく、北の森から来たのでしょう」
同じように亡骸を一瞥し、ルミア先生が言う。シェリアはまだ、彼女に抱きついたままだ。
「……さすがルミア先生。子どもたちを守っていただき、ありがとうございます」
「いえ……ここはライフ君を褒めてあげてください」
ベールは頭を下げるも……ルミア先生は俺を見ながらそう口にする。
「ライフ君が時間を稼いでくれなければ、私も間に合わなかったかもしれません。シェリアちゃんが無事なのは、間違いなく彼のおかげです」
「時間を稼いだって……ライフ、あなた、魔物と戦ったの?」
カミラ母さんが信じられないといった様子で俺を見る。
「そうです。彼はシェリアちゃんを守りながら、今日教えたばかりの魔術を使いこなし、ガーゴイルに立ち向かったのです。私も信じられません」
そこまで言って、ルミア先生は何か考える仕草をした。
まぁ、俺のような子どもが魔物と互角に戦うなんて、本来ありえないだろうし。
俺自身、かなり驚いている。
「……お二人に、率直に申し上げます。ライフ君は魔術の才能があります。それも、宮廷魔術師にもなれる逸材です」
「きゅ、宮廷魔術師!?」
続くルミア先生の言葉を聞いた両親が、目を見開きながら声を重ねた。
宮廷魔術師とは、王家お抱えの魔術師のことだ。
才能に秀でた上級魔術師の中でも、真の精鋭だけが目指すことができる職業らしい。
「はい。私が推薦すれば、特例で王都の魔術学校にも入学可能かと……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! ルミア先生、俺は小説家になりたいんだ!」
「ショウセツカ……?」
話が変な方向に向かいそうで、俺は慌てて三人の会話に割り込むも……先生は首をかしげた。
どうやらエルフたちの世界にも、物語を書く仕事は存在しないようだ。
「またそんなことを言って……ライフ、こんな機会、またとないぞ。騎士ならともかく、グランフォード家から魔術師が出るなんてな!」
ベールは興奮冷めやらぬ様子で、俺の体を軽々と持ち上げる。ものすごい力だった。
「ルミア先生、どうかよろしくお願いします。入学金は……まぁ、なんとかしましょう」
父はかつて、魔術剣士に憧れていたというし、息子に魔術の素質があるとわかった以上、喜ぶのも無理はない。
だけど、俺は……。
「ベール、ちょっと待ちなさいな」
その時、明らかに浮かれていた父さんを、カミラ母さんが止める。
「いきなり宮廷魔術師だとか言われても、ライフも困ると思うわ。少し、考える時間をあげたら?」
「お、おお……そうか。そうだな」
その一言で我に返ったのか、ベールは俺を地面におろす。
このまま話が決まってしまうのではないかと内心ヒヤヒヤしたが、一旦保留になったようで何よりだ。
「……ライフ、王都に行っちゃうの……?」
思わず胸を撫で下ろしていると、いつしか落ち着いていたシェリアが不安げな表情で俺を見ていた。
……そんな顔しないでくれ。俺は絶対、宮廷魔術師なんかにはならないから。
◇
……そんな出来事から数日後。
「ライフ、宮廷魔術師はいいぞぉ」
朝食の席につくなり、朝の挨拶よりも早くベールが言う。
ルミア先生から推薦の話が出てからというもの、父はずっとこうだった。
一方で、二人の母さんは俺の意思を尊重してくれているらしく、特に何も言わない。
「ライフ、きゅーてーまじゅつしになるの?」
隣の席にやってきたエマが小首をかしげる。これは、宮廷魔術師が何かもわかっていないな。
「ならないぞ。兄ちゃんは小説家になるんだ」
その頭を撫でてあげながら、満面の笑みで言う。ベールは聞こえないふりをしていた。
父の必死さはわかるが、俺は宮廷魔術師なんぞになる気はまったくない。
俺の夢は小説家だ。親が敷いたレールを進むなんて、まっぴらごめんだ。
……俺は手早く朝食を済ませると、そのまま庭に出て、日課の筋トレを行う。
体力づくりは大事だ。小説ばかり書いていると、どうしても筋力が落ちるからな。
トレーニングの基本はベールに教えてもらった。その辺りは、さすが元騎士団だった。
なかなかハードな筋トレを終えると自室に戻り、昼食まで執筆活動に勤しむ。
羽根ペンの先をインク壺にひたし、数文字書く。すると、すぐにインクが切れる。
また羽根ペンをインクにひたし、数文字書く。またインクが切れる。またひたす……これを何度も繰り返す。
執筆は間違いなく楽しいのだが……とにもかくにも筆が進まない。
もし書き間違えてしまったら、ナイフで羊皮紙を削ってインクを落とすという作業が加わるし、そのたびに集中力が切れる。
「今になって思えば、パソコンで文字を入力して紙に即印刷! なんて技術のほうが、この世界からすればよっぽどファンタジーだよなぁ……」
目の前の使い古された羊皮紙を見つめながら、思わずつぶやく。
「かといって、この世界に印刷技術を普及させる……?」
そんな言葉が口をついて出るも、とても現実的じゃなかった。
それこそ魔術があるのだから、紙くらい生み出せないものか……なんて考えるも、魔術教本にも羊皮紙が使われているあたり、そんな魔術は存在しないのだろう。
「くっそぉ、せめて安価な紙があればぁぁ……!」
俺は椅子の背もたれに体を預け、大声を出して頭を抱える。
「……何事ですか。外まで聞こえていますよ?」
「え?」
その時、窓から知った声が聞こえた。
思わず顔を向けると、窓の外にルミア先生がいた。
正確には……自前の杖に腰かけて、空中に浮かんでいた。