3.異世界小説家
……それから三年の月日が流れ、俺は10歳になった。
前世の記憶が戻ってからというもの、俺はひたすらこの世界について学んだ。
この街はアゼレアという名前で、聖王国領の南端にあるらしい。
また、街には図書館もなく、俺は貴族の息子という立場を最大限に利用し、様々な専門家と会うことで知識を得た。
それでわかったことは、この世界は俗に言う、剣と魔法のファンタジー世界だということ。
その上、やはり物語というものは存在せず、本は高級品だった。
紙もいわゆる羊皮紙というやつで、たとえ裕福な家でもおいそれと買うことなんてできない代物だった。
◇
そんな『紙』を、俺がようやく手に入れたのは、今から半年ほど前だ。
父親宛に届いた貴族からの手紙を、頼みまくって譲ってもらったのだ。
それから湧き上がる気持ちを抑えつつ、俺は小説を書き始めたのだが……。
「くそっ……書きにくいったらありゃしない……」
羽根ペンを羊皮紙の上に走らせながら、俺は作業効率の悪さに悶えていた。
羊皮紙には裏と表があり、皮の内側になる部分が表面だ。脂が乗って書きやすいからな。
そちらはすでに手紙の文面が書かれているので、俺が使っているのは裏面だ。
裏面は皮の外側になるので脂が少なく、インクがめちゃくちゃ乗りにくい。
「ライフ、またショーセツ書いてるの?」
せめてボールペンがほしい……なんて考えていると、妹のエマがひょっこりと顔を覗かせた。
「ああ、もう少しで完成だぞ」
「すごーい! がんばってね!」
5歳になったばかりでまだ字も読めないだろうが、エマは俺の机の周りをぴょこぴょこ飛び跳ねて応援してくれる。なんだ、この可愛い生き物は。
「ありがとな。兄ちゃん、頑張るぞ」
お礼を言いながらその頭を撫でてやると、エマはとろけるような笑みを返してくれた。
前世では執筆活動を応援してくれる人なんて皆無だったし、相手が5歳の妹とはいえ、嬉しすぎた。
そんな妹の声援に背中を押され、俺の……いや、おそらくこの世界で最初の小説がついに完成した。
俺はできあがった作品を手にすると、一番に両親のもとへと向かう。
手紙サイズの羊皮紙に書ける文量なんてたかが知れているし、この世界の文字でおそらく2000文字もない。物語としても、ほんの冒頭部分だ。
それでも、まずは身近な人に読んでもらい、『物語』というものに触れてもらう。全てはそこからだ。
「おお、ついにできたのか。どれどれ」
こういうものは、まずは父親からだろうと、ベールに原稿を見せてみる。
彼が読みふけっている間に、カミラ母さんとルーナ母さんもやってきて、左右から覗きこんでいた。
「10歳でこんな文章が書けるのか……すごいな」
「ホント、頑張ったわねぇ」
やがて羊皮紙から顔を上げた三人は、口々に褒めてくれるものの……なんか違う。
……これは、明らかに身内フィルターがかかっている。
やはり、こういうのは他人に見てもらってこそだ。
明日にでも、友人たちに見てもらうことにしよう。
俺はそう心に決めつつ、作品を投稿したらすぐに感想がもらえていた小説投稿サイトを懐かしく思ったのだった。
◇
その翌日。俺はシェリアとヨハンに屋敷に来てもらった。
「よー、来てやったぜ」
「ライフ、お邪魔しまーす」
三年経ったことで、二人もかなり成長している。
特にシェリアはヤバい。大きな藍色の瞳に、ウェーブのかかった赤髪。まだ10歳だというのに、可愛さに磨きがかかっている。
商家として有名なヴォハール家の一人娘で、頭脳明晰で明るく、気配り上手。
まったく非の打ち所がなく、街の人気者だ。
そんな娘が俺の許嫁というのが、いまだに信じられない。
そして、その隣にいる目つきの悪いガキ……失礼。少年がヨハン。
代々騎士を輩出しているバレッツ家の生まれで、こいつもゆくゆくは騎士になるそうだ。
日頃から鍛えているそうで、力も強い。能力値を執筆スキルに全振りしている俺では、まったく相手にならないのだ。
「ショウセツ、できたの? 見せて見せて」
「これだよ。まだ始まりの部分だけど」
自室に入ってすぐ、天使のような笑顔を向けてくれるシェリアに羊皮紙を渡す。悪いがヨハンはあとだ。
「……これ、ライフが書いたの? 吟遊詩人の語り歌みたいだけど、何か違うね」
シェリアは興味津々といった様子で言い、俺から受け取った羊皮紙に視線を走らせていく。
……俺が書いたのは、とある魔術師が伝説の魔術書を探して旅をする物語の、ほんの序章だ。
師匠のもとで魔術を学ぶ主人公が魔物に襲われ、それを期に独り立ち。次第に才能を開花させていく……というストーリーだ。
俺ですら、これくらい書けるのだが。この世界ではどうして誰も物語を書こうとしないのだろうか。
……まぁ実際のところ、金と時間がかかりすぎるのかもしれないが。
俺もこれだけの文字数を書くだけで、何ヶ月もかかったんだ。
仮に羊皮紙100枚の長編小説を思いついたとして、一冊の本にまとめるまでにどれだけかかるかわからない。まして、それを量産するとなると、不可能に近い。
それなら、シェリアの言うように吟遊詩人に歌い継いでもらったほうが楽だろう。
今後、自分の小説を本にするとしても、書きやすい羽根ペンと安価な紙は必須だな。
「……ねぇ、ここに書かれてるファイアボルトって、火の魔術なの?」
そんなことを考えていた矢先、シェリアがおずおずと訊いてきた。
「え?」
「呪文もぜんぜん違うし……こっちの回復魔術も違うよ。あと、このマホージンってなに?」
「えっと、それは……」
さも当然のように言われ、俺は言葉に詰まる。
……そうだった。この世界には本物の魔術が存在するのだし、俺の想像で書いちゃ駄目なんだ。
シェリアは光魔術の素質があるらしく、魔術の先生を雇って勉強している。
そんな彼女にしてみれば、さぞ現実感のない作品に見えたことだろう。
元いた世界で言うなら、医学の基本も知らずに書いた医療小説のようなものだ。
「そっか……そうだよな。リアリティのある小説を書くためには、この世界の魔術についてもっと真剣に学ばないと。シェリア、気づかせてくれてありがとう」
「え? う、うん……なんかよくわからないけど、どういたしまして」
彼女が戸惑うのも気に留めず、俺はその手を握りしめる。
……よし、そうとわかれば、さっそく行動だ!