2.『物語』のない世界
その日の夕食時。俺は見慣れぬ家族と食卓を囲んでいた。
「今日ね、ライフったら川で溺れかけたらしいの。ベールも何か言ってやって」
「そうかそうか。昔の俺に似てやんちゃボウズだな。はっはっは」
長い茶髪をポニーテールに結ったカミラ母さんの横で、からからと笑う男性。彼が俺の父親で、ベールというらしい。
俺と同じく金髪碧眼で、俺も成長したらあんな顔になるんだろうと思わざるを得なかった。
貴族になる前は騎士団にいたらしく、腕っぷしも強そうだ。
「ベールさん、そうではなく……カミラさんは叱ってほしかったんだと思いますよ」
そんなベール……父さんを挟んで反対側に、青髪のショートヘアの女性が座っている。
彼女はルーナさん。ライフの記憶によると『もう一人の母さん』らしい。
一瞬わけがわからなかったが、どうやらこの世界は一夫多妻制のようだ。
「そうだったのか。いいかライフ、次は溺れないように、しっかり泳ぎの練習をするんだぞ!」
「う、うん」
どこか的はずれなことを言っているのが気になったが、俺はうなずいておく。
俺の目的のためには、険悪なムードになるわけにはいかなかった。
……その後、和やかに食事が進む中、俺は話を切り出す。
「……父さん、僕、本が読みたいんだけど」
「本?」
俺の問いかけに、目の前の父は首をかしげた。
「本かぁ……書斎に何冊かあるが、ライフにはまだ早いんじゃないか」
「お願いだよ。僕、将来は小説家になりたいんだ」
多少は興味を持ってくれたらしい父に、俺は懇願する。
将来の夢を今のうちから伝えておくことは、とても大事だ。今後の教育方針に多大な影響をもたらす可能性があるからな。
「……ショウセツカ?」
ところが、俺の言葉を聞いたベールは眉をひそめる。
まるで、その単語を初めて聞いたような口ぶりだった。
「ショウセツカ……それって、どんなお仕事なの?」
おずおずといった様子で、カミラ母さんも訊いてくる。
「自分の書いた物語を、本にして読んでもらうんだけど……母さんたち、知らないの?」
そう説明したあと、思わず問いかけるも……二人の母親は顔を見合わせた。
「よ、よくわからないが、夢を持つことはいいことだ。なぁカミラ」
「そ、そうね。応援しているわ。頑張ってね」
そしてすぐ、三人の両親は微笑ましいものを見るような顔で俺を見てくる。
それこそ、子どもが『大きくなったらヒーローになりたい』そう言った時のように。
「エマ、お兄ちゃんはショウセツカになりたいんだって」
ルーナ母さんが隣に座らせた俺の妹に食事を与えながら、そう口にする。
本来なら心温まる光景だが、今の俺はそれどころじゃなかった。
……ちょっと待ってくれ。まさか。
俺は食事の手を止めると、そのまま父の書斎へと駆け込む。
そこに並ぶ本を手に取り、中を見てみる。
ライフの年齢的に読めない文字もあったが、ある程度の意味は理解することができた。
古ぼけた魔術教本に植物図鑑、剣術の指南書……俗に言う『実用書』ばかり。
この世界の神の教えを説いた本も見つけたが、日々の暮らしに感謝しなさいとか、食事の前はお祈りしなさいとか、決まり事を箇条書きにしただけ。いわゆる『神話』ではなかった。
「ない……! ない! ない!」
背が届く範囲の本は全て調べてみたが、そこには一切の小説が……『物語』がなかった。
……まさか、この世界には物語が存在しないのか?
熱く胸踊る勇者の冒険譚も、身分を超えた愛の物語も、迷宮を旅する魔法使いの伝説も、ここの世界には存在しないのか?
両親が読書嫌い……という線も考えたが、先ほどの反応を見る限り、それはなさそうだ。
「そういう、ことか……」
全てを悟った俺は、力なく床に座り込む。
そんな俺を、両親が少し離れた場所から心配そうに見ていた。
……小説家志望の俺が降り立ったのは、まさかの物語が存在しない世界だった。