18.ダンジョンの存在
騎士団の訓練に参加するようになると、その実戦的な指導のおかげで、俺の剣術はメキメキと上達した。
それこそ、ある程度はミゲル兄さんと渡り合えるくらいに。こればかりは血筋に感謝だった。
もちろん、魔術と剣術の鍛錬の合間を縫って、小説も書き進めていた。
……そろそろ羊皮紙の空きスペースも少なくなってきたし、また父さん宛に貴族から手紙が来ないかな。
……そんなある日の夕食時。
普段は騎士団の宿舎で食事をするはずのミゲル兄さんが、珍しく家にやってきた。
「父さん、ライフは本当にすごいぞ。騎士団長殿もお褒めになっていたし、俺も鼻が高い!」
ミゲル兄さんは食事もそこそこに、熱く語っていた。
「成人した暁には、ぜひとも騎士団へ入隊させてほしいと仰っていた!」
「そうかそうか。やっぱり俺の血が濃く出ちまったかな」
「そんなわけないでしょ。それなら、どうして魔術の才能があるの」
少しお酒も入っているのか、めちゃくちゃ嬉しそうな顔をするベールをカミラ母さんがたしなめる。
「あー、そう言われればそうか。カミラ、先祖に魔術師とかいなかったのか」
「んー、聞いたことないわねぇ。ルミア先生は突然変異のようなものだって言っていたけど」
家族のそんな会話に、俺はあえて入らずにいた。
どちらかというと、嬉しさより恥ずかしさが勝るし。もくもくとパンをかじる。
「ライフ、きゅーてーまじゅつしじゃなくて、きしになるのー?」
隣に座った妹のエマが、小首をかしげながら訊いてくる。そのほっぺにはシチューがついていた。
「ならないぞー。兄ちゃんは小説家になるんだ」
「やっぱりそうだよねー。がんばってねー」
その頬をナプキンでぬぐってやりながら、俺は言う。
……父さんとミゲル兄さんが盛大にため息をついていたけど、俺は聞こえないふりをした。
「それより父さん、最近、よその貴族様から手紙は来ないの?」
「んー、来てないなぁ。イグリア伯爵は半年に一度は手紙をくれるはずだから、そろそろ来そうなもんだが」
「その手紙、読み終わったらもらっていい?」
「そうだなぁ……騎士団の訓練に休まず顔を出すなら、考えてやらんこともない」
顔の前で両手を合わせる俺を見ながら、ベールはニヤリと笑う。
くっ……羊皮紙を交渉材料にするとは。我が父ながら許すまじ。
「ライフ、おてがみすきなのー?」
「違うのよ。ライフ君は羊皮紙が好きなの。小説を書けるからね」
再び小首をかしげるエマに、ルーナ母さんが言う。
ちなみに、母親二人は俺が小説家を目指すことを応援してくれている。
ベールはまぁ……相変わらずだ。
「それで、どうする? イグリア伯爵が送ってくる羊皮紙は上物だぞぉ」
「ぐぐぐ……!」
「ベール、意地悪しないであげなさいな。ライフ、十分頑張ってるでしょ」
俺が悶えていると、カミラ母さんが助け舟を出してくれた。
「わ、わかってるよ。冗談だ。冗談」
愛妻にひと睨みされたベールは縮こまり、すごすごと引き下がった。
今回はなんとかなりそうだけど、それこそ羊皮紙の問題は本当にどうにかしないとな。
◇
それから数日後。自宅にヨハンとシェリアが遊びに来た。
ルーナ母さんが大量にクッキーを焼いたので、友人たちでお茶会をしよう……という話になったのだ。
ちょうど小説の修正が終わったところだし、読んでもらう良い機会だった。
「どうだ。今度は剣術の描写も完璧だぞ」
「そうかー? この立ち回りとか、ちょっと変じゃね?」
もふもふとクッキーを頬張りながら、ヨハンが言う。
「あとここ、誤字がある」
「何っ、どこだよ」
ヨハンに小説を読んでもらっていると、そんな言葉が飛んできた。
書くのに時間がかかるぶん、誤字脱字チェックはしっかりしているつもりだったのに。
もし間違いがあれば、インクを羊皮紙の表面ごとナイフで削り取らなければならない。
消しゴムをかけたり、パソコンのバックスペースキーを押すより、はるかに労力がかかるのだ。
「ほら、ここだよ。三行目の……」
俺が身を乗り出すと、ヨハンはほとんどくっつくようにして修正箇所を指摘してきた。
「お、おう……」
本人は無意識なのだろうけど、この状況はまずい。
騎士団宿舎での一件以後、俺は時々、ヨハンのことを女の子として見てしまっていた。
彼の……いや、彼女のためにも、これまでと同じように接するべきなのだが、意識してしまうものはどうしようもなかった。
「あとは、ここと……おいライフ、聞いてんのか?」
「え? ああ、悪い。聞いてる。聞いてるよ」
俺の心境を知ってか知らずか、ヨハンはますます体をくっつけてくる。
そんな俺たちのやり取りを、シェリアは紅茶を手に、ニコニコ顔で見ていたのだった。
「……どうも、こんにちは」
その時、窓からルミア先生が顔を覗かせる。
「クッキーと紅茶のいい匂いがしていますね」
「あの……ルミア先生、来るのはいいんですけど、玄関から入ってきてくれません?」
「ちゃんとルーナさんから許可はもらっていますよ」
言いながら、ルミア先生は当然のように窓から入ってくる。
「……おや、もしかして小説の続きが書けたんですか?」
それからクッキーに手を伸ばしかけるも……俺の手にある羊皮紙を見て、その目が輝く。
今回は修正が主だが、実はほんの少しだけ、続きを書き加えてある。
主人公たちがパーティーを組み、未知なるダンジョンに挑む場面だ。
「ちょっとだけですけど、書いてますよ」
「ほうほう。では、拝読します」
言うが早いか、ルミア先生は俺の手から羊皮紙をひったくる。
元の世界の紙に比べて破れにくいとはいえ、あまり手荒に扱ってほしくないんだが。
「……ふむふむ。仲間も増えて賑やかになってきましたね」
それから羊皮紙に目を走らせたルミア先生は声を弾ませる。
ご満足いただけたようで何よりだ。
「ところで、このダンジョン……というのは、迷宮のことでしょうか」
「え? まぁ、そんな感じですかね」
「だとしたら、少し違和感があります。実際の迷宮はもっとこう、おどろおどろしいというか」
「先生、ダンジョンに潜ったことがあるのか!?」
ルミア先生のまさかの発言に、俺はつい声が大きくなる。
「ええ。この街からそう遠くない場所に地下迷宮があります。といっても、ほとんど調べ尽くされていますが」
……地下迷宮。まさか、こんな街の近くにダンジョンが存在していたなんて。
足を運ぶことができれば、間違いなく小説の参考になる。
「先生、俺をダンジョンに連れて行ってください!」
「えぇ!?」
土下座する勢いで頼み込むと、ルミア先生は驚嘆の声を上げる。
「だ、駄目です。調査はほぼ終わっていますが、魔物も出ますし。危ないんですよ」
「少し潜るだけでいいんです! せめて雰囲気だけでも! お願いします!」
「駄目ったら駄目です。ライフ君の才能は理解していますが、もっと魔術を使いこなせるようにならないと。魔物に襲われた時に対処できませんよ!」
「そこをなんとか! 小説の続きを書くのに必要なんです!」
「小説をだしに使っても駄目です!」
……その後も押し問答を繰り返すも、ルミア先生はひたすら首を横に振るだけ。
俺はがっくりとうなだれ、その場は引き下がったのだった。