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八話





 15時に本部を退出した俺は一人の女性の元を訪れていた。

 大切な人のたった一人の肉親。

 俺を置いて先に逝ってしまった、大切な人の。


 オリヴィエが住むのは、彼らの両親が生前残した資産を整理して購入した、郊外の小さな屋敷。

 本来なら貴族階級の子女であるオリヴィエならとうに結婚しておかしくはなかった。

 しかしオリヴィエは30をとうに過ぎた今もここで一人で住んでいる。

 そして彼女は、彼女の両親が生前残した資産と彼女の兄が10年前に戦病死扱いになった時に軍から支給された多額の弔慰金によって、働く必要もない額の資産を持ちながら、本部の厨房で今も平民として働き続けている。


「ジェイムズ中佐、この度はご多忙のところわざわざご足労いただきありがとうございました」

「いや、問題ない」

「本来であればこちらから伺うべきかと思ったんですが…」

「気にしないで欲しい」

「中佐に連絡を取らせていただく方法が分からず、サミュエルさんにご相談したんです」

「諜報部の者から聞いた。サミュエルは今も諜報部とパイプがある」


 かつてサミー、ジェイと呼び合っていた親友とも。もうその呼び名で呼び合うことはない。


「それで話とは」

「………はい。先日、兄の墓前を訪ねて行ってまいりました」


 私はオリヴィエが話すのをただ待つ。


「御案内くださったあちらのお屋敷の方にこれをお預かりいたしました」


 それは俺宛の故人からの遺贈物の目録。

 何故管財人が直接うちに来ないのか、それもおそらくは故人の意志だろう。

 あの御方らしい。


「………私にも少なくない額の贈与金をいただきました。いただく理由がございませんでしたので、すべて軍に寄付させていただきましたが」

「そうか」

「お屋敷の方からは、兄の遺体からだについて気遣うお言葉をいただきましたが、故人様のご遺言通りにしてくださるようにとお伝えいたしました」

「そうか」

「………ジェイムズ中佐は………兄のことを知っておられましたか?」

「知っていた」

「13年前のことも………?」

「すべて知っていた」

「じゃあ何故!?」


 はじめてオリヴィエが私に激高する。

 彼女は忍耐強い女性だ。これまでよく耐えたのだろう。


「すべては私の罪だ」


 その瞬間オリヴィエは大きな声をあげて泣いた。

 彼の兄の死を伝えた時にもこのようなオリヴィエの悲しみの声を聞いたことはなかった。

 しばらく待ち、これ以上オリヴィエからの会話の意志がないことを様子から認める。

 私は席を立ちオリヴィエの屋敷を後にした。

 待たせていた馬車に乗り、出発させて、わずかに揺れる車内で目録の入った箱を開く。


 《アドルフ・フォン・ミューゼスの所有するすべての書物・知的財産権をジェイムズ・ポートランドに贈与する》


 具体的には様々な貴重な書物類や知的財産権の対象が大量に箇条書で記されていた。

 おそらくこの中の1つであっても正しく使えば大きな力になり、また使い道を間違えば大きな欲望と奪い合いの泥沼を生むだろう。

 私がこれを受け取ったという事は、数日以内に故人の管財人から連絡が来るだろう。

 受け取るにしろ固辞するにしろ、それが管財人の仕事なのだから。

 目録書の中にネックレスが同封されていた。

 このネックレストップのメダルは、王立図書館地下にある、一部の者しかその存在を知らない『禁書の間』の鍵。

 これを持つことは国内における知的階級における最高位に立つことを意味する。

 国内でこれを持つものは3人しかいない。

 一人は司法長官、もう一人は国王。

 この鍵を持つ者は『禁書の間』の中に個室を持っている。

 司法長官と国王以外のメダルは『その所持者が認める者に継承される』事となっている。知らない者も多いが。

 そもそもこのメダルの存在自体が近年までその存在を固く秘匿されていた。

 彼はこれを持つが故に『千里眼』『神の眼』とも呼ばれる超人的洞察力を持つに至った。他の二人は、彼ほど『真なる知』を体得できなかったのだろう。


 巨万の富と繁栄を生む多くの書物と知的財産の権限と、国内もしくは大陸における最高知の扉の鍵。

 俺はこんなもの欲しくはなかった。

 本当に欲しかったのは一つだった。



















 また夜が来る。



 こんな真新しいものの何もない辺境の町の教会に、突然定期的に訪れるようになった富豪の篤志家。その正体があの軍神アドルフで、その目的が俺だという事を、もうシスターも地元の警備隊も気付いている。

 いくら肩書きや外見を偽っていても、彼と彼の馬車周りを一定の距離を保ちつつ守る護衛達の多さと、傭兵にはないそのよく訓練され研ぎ澄まされた立ち振る舞いと身のこなし。彼らはどこからどう見ても使用人の服を纏ったプロの上級軍人達だ。

 また篤志家を名乗る彼自身のあの纏う異様かつ圧倒的な空気。数十万の将兵の上に立ち、まるでわたぼこの花を手持ち無沙汰に指先で弄ぶかのように、感情の籠らない指先の動き1つで幾千幾万の命を分け、それに眉一つ動かすこともない、絶対的な支配者のオーラ。

 彼はあの3年間と全く変わらない。

 いや、ある部分ではあの頃よりも歪んでしまっていた。


「………ああ、アドルフ様、お許しください………」

「ダメだ、お前は昼他の男に色目を使っていただろう」

「あれはただ大工に礼拝堂の屋根の補修箇所の説明を─ッッ」

「お前の潔白を証明したければ行動で示すんだ。さぁ」


 俺は震える膝を叱咤して彼の望むとおりにする。強いられた暴虐の時間をただ耐える。

 なのにそれでも、彼は俺を追い詰める。そんな事過去の彼はしなかった。


「…ッ……!!…ッッ……ーーーー!!!」

「お前のここは昔とちっとも変わらないな、相変わらず弱い」


 もう耐えられない。涙が止まらない。

 俺はとうとう正気を失い、子供のように泣きながら髪を振り乱しひたすら彼に許しを乞う。


「…お許しください…ッアドルフさま………お許し…お許しくださいッ………どうか…許しッッ…」

「そう。すべてお前が悪いんだ、マック。お前が逃げたから。他の男に色目など使うから。私以外を見てはいけないとあれほど言ったのに!!」

「ああ゛ー!!!!アドルフ様ッ!!アドルフッー!助けてッ…アドル…ッーあああああ゛ー!!」

「マック!ああ、私だけのマック!マック!愛してる!私にはお前だけ……」


 俺が3年前彼の元から去った事実は、彼の心に深い傷を残していた。

 俺はどうすれば良かったんだろう。

 どれだけ考えても答えは見えない。


 ジェイ。

 ジェイ。

 ジェイ。

 俺は。












「悪かったねマック。昨夜はひどくしてしまったね。辛くはないかい?」


 朝になると彼はまるで人が変わったかのように、大切なものを慈しむかのように俺を労ろうとする。

 彼の大きな手のひらが私の古傷だらけの背中を優しく撫で続けている。

 二人きりの時に俺を異常に溺愛する彼と、裏切られた悲しみと怒りに狂い俺への嫉妬と支配欲に染まった彼は、でもそのどちらも彼の一側面でしかないのだろう。


「………大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません………」

「ああ、そんな言葉が聞きたかったわけじゃないんだ。マックすまない。どうかこの後ゆっくり休んでおくれ」

「ありがとうございます………このあと休ませて頂くことに致します………」

「ああ、そうして欲しい。お前はこの教会にとって無くてはならない存在だ。次は体力を効果的に回復させる良い薬を持ってこよう。良く効くからね」

「………ありがとうございます………」


 扉の向こうからシスターの一人が気遣わしげにが小さく声を掛けてきた。

 彼が帰る時間が来たのだ。

 彼の為だけに特別に用意された部屋。彼の部下の指示で王都からの上級大工人の手が入った、彼と俺の為だけの部屋。

 教会に本来あるべきではないものが数多くある部屋。

 彼がここで飲食するものは水の1滴もすべて彼の従僕が用意してくる。

 本来ここにいてはいけない人が、俺との一夜の為だけに来る。

 彼はこの部屋で飲食をし、風呂に入り、俺に無体を強いて帰る。

 俺は彼に一夜の慰めを捧げ、対価として多くの寄付金をもらう。


 この寄付金で、これから多くの子供達の命が救われる。金は力だ。金で時間と効率が買える。

 もう今までのように必死に走り回る必要もない。







 いつものように俺は馬車に乗り込む彼を見送る為に教会の門口まで付きそう。

 この部屋を一歩出たら俺は神父に戻る。

 通用口までは無理をさせた私の体を労わりそっと触れてきた彼も、外に出たら富豪の篤志家に戻る。

 門口ではシスター達に連れられた孤児院の子供達が群がり、教会と孤児院に寄付をくださった親切な初老の篤志家に口々に御礼を伝えている。


 この時間が俺にとって最も辛い時間だった。


 彼は馬車に乗り込む前、いつものように篤志家の顔で神官服を纏った神父に頭をさげる。


「マック神父様、この度もまことにお世話になりました。また参ります。主なる神に心よりの感謝を」


 神父は富豪の篤志家に返す。


「どうぞお気をつけてお帰りください。あなたに神のご加護がありますように」







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