七話
何故。
何故。
何故。
揺さぶられながら俺は頭の片隅で考える。でも、この問いが一体何を問うているのかも分からない。
「…マック、マック、マック…ああ…」
かつて心から尊敬していた男が、俺の名前を何度も何度も呼び俺の顔中に狂ったように口付けている。
「もう私から離れてはいけないよ」
「諜報部にさんざん邪魔されてしまって」
「お前を探すのに3年近くもかかってしまうなんて」
「生きていてくれて本当に良かった」
「王にはちゃんと釘を刺しておいたからね」
「浮気はしていなかっただろうね」
「こんなに傷跡を残して」
「命令違反をしたお前を私は責めないよ」
「お前に去られて私がどれだけ苦しんだか」
「次に邪魔をされたら王といえど容赦しないからね」
そして繰り返す。
「マック、愛してる、愛してる、私にはお前だけ」
嵐のような時間が過ぎて、男はソファの上で力なく横たわる俺の頭を撫でている。
ここはどこだっただろう。
ああ、教会の応接室だった。
「マック、今日は罰だから痛くしてしまった。すまなかったね。
ソファを汚してしまった」
俺はゆるゆると起き上がり自分の身の始末をする。
「いえ、お気になさらず…」
男は周りを見渡しながら
「ここはいい所だね」
「………」
「寄付金を置いていこう。子供達を飢えさせてはいけないからね」
ああ、やはり。
この御方はすでに何もかもご存知なのだ。
大会当日。
「お前ら3年は最後の大会だ、悔いのない勝負をしなさい」
「「「ありがとうございます!」」」
「2年と1年も先輩方を送り出せる勝負をしろ。試合に参加しない者達もそういうつもりで応援をするように」
「「「はい!」」」
みんな緊張と高揚が入り混じった、初々しくも惚れ惚れする顔をしている。
そんな中で、高橋だけが顔色が暗い。
主将だから………という事だけではないのだろう。
でもそれは高橋の問題だ、俺が気安く立ち入る部分ではない。
相談してきたら訊くけど、相談してない事柄に大人が無神経な善意でズカズカ踏み入るのをこの年代の子達はひどく嫌がる。
難しいのよね。それが思春期。
「おい高橋どうした」
「いえ…」
「お前もなかなかに口が堅いなー。似たようなヤツを一人知ってるぞ。今俺と一緒に住んでるヤツなんだけどな」
「あんな人と一緒にしないでください」
「お前あいつと仲いいの?」
「いいえ」
それにしては心理的な距離が近いよね?どうしたの君達。
お前ら前世で喧嘩別れしたホモダチだったとか?
あ、言えない。俺の胸に巨大なブーメランが現在進行形で刺さるわ。
いや俺はホモじゃない。少なくともホモじゃなかった。全部あの男のせいです。
「先生、今日僕試合がんばります。頑張りますから」
「おお」
「僕の手をギュッと握手してください」
「あ?いつもやってるじゃないか」
「それは試合の後みんなにじゃないですか。今して欲しいです」
「分かった。ほら」
俺は高橋の手を握ってやった。
「ギュッてしてください」
ぎゅっと握りこんでやる。
「もう一度」
もう一度してやって、見たら高橋はボロボロ泣いていた。
「おい………」
「行ってきます」
なんだかよく分からんが、もしかしたら前世の何かの儀式なのだろうか。
しかしそれからの高橋は凄かった。
今までのが猫かぶってたと誰もが分かる圧倒的な強さを見せつけた。
最初のぶつかり合いだけで吹っ飛んだヤツもいた位だ。
お前、これ県大会レベルだぞ………
あっという間に個人戦優勝。
2位の子との実力差が凄すぎてもう相手の子達が見てて可哀想だった。
もちろん部員生達は高橋の優勝という思わぬ功績に大興奮している。
俺ももちろん嬉しい。うれしいが、
何故高橋本人は全然嬉しそうじゃないんだ?
「よーし、お前ら頑張ったし、先生奮発しちゃうぞー」
「うおおおおおお!」
「よっしゃー!!!!!」
「先生あざーす!ゴチになります!」
「よ!先生男前!」
「もっと言え、正直者は好きだぞ」
帰りにファミレスで好きなだけ食わしてやり、夕方には解散させてやった。
ああ、次の給料日が待ち遠しい………
「よし、じゃあ行こうか。どこがいい?」
「誰にも邪魔されない所がいいです」
「うーん。じゃあカラオケでも行くか?」
「そういう所はちょっと」
「お前なかなかに気難しいな」
じゃあ俺んちに行こうかと提案したら「あの人が絶対来ます」と猛反対され、仕方ないのですぐ近くの人気のない公園にした。
ベンチに座って自販機で買ったコーヒーを差し出してやると高橋がペコリと頭を下げて受け取る。
高橋は知らないかもしれないが、松永は俺にGPS持たせてるし監視もつけてるから、駆けつけようと思えばどこでも駆けつけられるんだけどな。
しかしあの男だけは本当に病気だと思う。俺への妄執の規模がもはや漫画だ。
あ、でも俺と高橋の会話盗聴してて次の日いきない高橋に直接接触かましたサイコ野郎だから、高橋も松永のヤバさは分かってるかもしれない。
「今日はおめでとう」
「ありがとうございます」
「なんか全然嬉しそうじゃないなー」
「そんなことないですよ」
「お前嘘下手だって言われないか?」
「あまり」
どうした高橋、お前そういうキャラだったか?
「光の玉に…」
「は?」
「頭おかしいと思われるかもしれませんが」
「いやいいよ、続けて」
「前世で死んだ時に、光の玉を見まして」
「うん」
「『お前が選択するべき道を今度は間違うな』と言われたんです」
「カッコいいなそれ」
「だから考えたんです」
「うん」
「それで…先生に、僕が知ってる先生の前世の話をしようと思ったんです」
ああ、まただ。
手が震える。
俺は缶コーヒーを置いて、さりげなく腕を組むことで震えを誤魔化した。
先生になんと伝えたらいいのか。
いざその場になって、言いたいことがたくさんありすぎて。
言葉にならない。
最初は卒業まで伝えないままでお別れしようと思ってた。
こんな事、誰が信じるというのか。
でも覚悟を決めて伝えてみたら、
先生にはすでに松永という男がそばにいて。
彼のおかげで僕の伝えた話が本当だと証明された。
新倉先生はマック先生とは全く顔も形も違うし
マック先生の時ほどガミガミうるさくなかった。
でもそれは当時の孤児院の子供達が小さい子ばかりだったからで、
それでも、ふとした時に見せる新倉先生の表情が
マック先生とあまりにも似ていて。
だから。
もう、我慢できなかった。
僕を思い出して欲しかった。
僕を覚えて欲しかった。
高橋翔一という人間を。
ローという人間がいたことを。
新倉先生は本当は最初は僕を現代の孤児院で性的虐待した加害者でしたとか、
でも次の人生で、僕という人間を救ってくれましたとか、
マック先生のおかげで、最初の人生で覚えてしまった自分のエゴで弱者から奪うだけの暴力を、大切な何かを守る為に使えるようになったんですとか、
マック先生が僕に託してくれた教会と孤児院を守ることが、僕のあの時の人生の生きがいでしたとか、
ずっとずっと死ぬまであなたのことを教会の礼拝堂で神様に祈ってましたとか、
だから神様があなたとこの時代に出会わせてくれたんだと信じてますとか、
本当はマック先生あなたをあの時守りたかったとか、
あの日から本当はずっとマック先生のことが好きだったとか、
あの将軍と死んだ時本当は何があったんですかとか、
あのジェイムズという男のことを本当はどう思ってたんですかとか、
先生には言いたいことも、訊きたいことも、たくさんあって、
でもそこで気づく。
ああ、俺は新倉先生とマック先生を同じに見ている。
新倉先生は覚えていない。マック先生だけど、マック先生とは違う人格。
でも、新倉先生がマック先生で、その時代のことが今もここにあって、
それはあの松永って男が証明している。
俺も松永…ジェイムズも、マック先生が好きだった。それぞれに好きという言葉では足りない位に愛していた。なのにマック先生を救えなかった。
マック先生に守られ、マック先生を守れなかった。
その後悔と、その後悔によって冷凍保存された狂おしいまでの恋慕の思いを未だに引きずってる。
マック先生はもう覚えてないのに。
今ここにいるのは新倉先生なのに。
でも新倉先生はマック先生で。
先生が、僕達の為にあの将軍の相手をしなきゃいけなかったのを見て、少しでも先生の力になりたいと思って、だから、
俺達への寄付を盾にして先生を玩具のようにしていたあの将軍みたいになりたくなかったから、俺はその前の前世のように弱者を一方的に暴力で支配しようとすることをやめることができたんです。
自分の持つ力で一方的に善良な相手をねじ伏せたら、それはあの夜マック先生にあの将軍がしてたことと一緒だから。
だから先生、先生、マック先生、
俺を褒めてください。
俺はもう1度目の人生で俺を繰り返し性的虐待したあなたを恨んでません。
あなたは人生の、いや、魂の恩人だから。
だから、先生に褒めてもらえる為に、俺頑張ったんです。
頑張って教会を守って、孤児院を守りました。
先生、先生、あなたが好きです。
マック先生。マック先生。
あの時守れなくてごめんなさい。
ああ、でもこれも全部俺の自己満足でしかなくて、
それはあの男が言う通りで。
ああ、あの光の玉なら
こんな時俺に何て言うだろう。
『お前が選択するべき道を今度は間違うな』
だ。
俺が選択するべき道。
最良の道。
「先生、松永さんについてなんです」