六話
いつの間に大戦が終結していたのかも分からないほど俺は必死だったんだと思う。
聞けば、俺が王都から出奔した年の末に大戦は終わっていた。
俺が出奔した年から2年が経っていた。
でももう俺にそのことは必要ない。
俺は子供達を食わせ、子供達を少しでも守らないといけないのだから。
ヒューイの死後、教会と孤児院の責任者は正式に俺になった。
ヒューイが死んでからもうすぐ1年、俺は37になっていた。
俺は真似事の神父業をしながら、毎日奔走する。
朝になれば冷たくなっている子供達を抱き上げ、シスター達と埋葬する。
冬は特に亡くなる子が多い。
昨日は2人、一昨日は1人。
毎日子供が死んでいき、子供達はそれに気づいても表向きには何も言わない。
明日は我が身と分かっているからだ。
死んだ子と仲の良かった子達は涙を流している。
年長者の子が目を真っ赤にしながら、泣く子等の口にむりやりスープでふやかした黒パンをねじこみ、食わせている。
生きるということは食べるということだ。泣きながら食う。それが生きるということ。
俺の仕事は、この子達を一人でも多く生かすこと。
今日もまた門口に赤子が残されていた。
昨日の朝門口に残されていた5歳位の子供は、昨夜のうちに置き去りにされていたのだろう、今朝見つけた時にはうずくまったまま冷たくなっていた。
もっと早く見つけていればとは思わない。運命は変えられないこともある。早く見つけてやっても死ぬ子は死ぬ。ここでは力不足の自分を責める事に費やす時間すらない。
「ほら!いつまでも泣くな!お前らはあの子達の分まで生きるんだぞ!早く食べろ!午後からもすることはいっぱいだからな!」
「「「はい」」」
「今日の昼の年長者達の読み書き教室は俺がするからな、覚悟しろよ。居眠りしたり成績が悪かっったら拳で教えてやるからな」
「マック先生もっと優しくしてよー」
「優しくしてたらサボるだろうが」
俺はなるべく子供達に自分のことを『神父様』とは呼ばせないようにしていた。それは俺の肩書きじゃない。俺に神の使いは似合わない。
聖典の解説もするし祈りの導師もする。神父の真似事はできる。でも神の前で神父という偽りの立場を名乗ることには内心抵抗があった。
だからなるべくせめて子供達には神父とは呼ばせたくなかった。
ああ、俺も『神の前で』という言葉が出るようになったのか。
「だって読み書きって難しいもん」
「なんであんなの覚えなきゃいけないの~?」
「お前らが騙されない為に必要なんだ。大人の世界は怖いんだぞ」
「僕はマック先生の方が怖いよ」
「これは愛のムチなの。ほら、早く食え。今日は3班が食堂の掃除担当だな、遅れるなよ」
「ヒューイ先生の方が優しかった…」
女の子から悲しそうにボソッと言われた言葉。
おれは一瞬だけ止まる。でも聞かなかったフリをする。
この子達は14になったらここを出ていかなければならない。
その時に少しでも大人達から搾取されないように。少しでもいい待遇を受けられるように。
読み書きができない孤児の行く先は大体3つ。
娼館か傭兵か奴隷だ。
だからそうならないように、いや、もしそうなったとしても、
なるべく自分の力で少しでもいい未来を切り開けるように。
「この値段じゃ何も買えない。買い叩きすぎだ」
「そんなこと言われてもねぇ。うちの買取先はここだけじゃないんだ」
野菜や芋と一緒に子供達に育てさせている薬草で作った万能傷薬。
現在のうちの教会の貴重な現金収入源の一つだ。
「分かった。じゃあお宅じゃなくていい。別の商会を探すよ」
「あっ……。チッ分かった分かった、どの位欲しいんだ」
「はじめからそう言え」
「全く…あんた本当に神父らしくねぇな」
「神に仕える者に施しをすればお前さんみたいながめつい商人にも天の扉は開いてるよ」
先の大戦のせいでどこもかしこも苦しいとはいえ、商人共のこの欲深さたるや全く恐れ入る。
孤児達をたくさん抱え、食うや食わずやの教会からまで買い叩こうとするとは。
この傷薬の効果は俺が1番よく分かってる。おそらく倍どころかケタ1つ、下手したらケタ2つ増やしても飛ぶように売れているはずだ。
あのまだ知られていない薬草の効果を最大限に引き出す独自製法は、かつてヒューイが作り上げた秘伝のレシピ。
だからうちの教会のこの驚異的な回復力を持つ傷薬は、おそらく今どの商人も喉から手が出るほど欲しいだろう。
それでもこちらも取引先が限られている以上、あまり強くは出られないのが苦しい所ではあったが。
あまり取引先を広げすぎると余計な争いを生む。だからうちは取引先を一つの商会のみに絞っていた。
「金はさっきのままでいいから、追加で布と綿と釘と螺子と蝶番と鍬が欲しい。シーツも服も足りないからな。補修しなきゃいかん所がまた出てきてる。鍬も痛みはじめてる。あとなるべく多く塩が欲しい」
「ふうん」
「今度の生誕祭に使う干し肉とワインももう少しあると助かる。そうそう、干し肉とワインをイロつけて入れてくれたら次回から薬の納入個数を増やしてやってもいい。どうせぼろく稼いでるんだろ?あの傷薬は軍やお貴族様方には大人気のはずだからな」
「なんであんたみたいなのが神父してるんだよ。神父なんざやめてこっち側に来いよ。いい待遇で雇ってやるぞ」
「お前さんみたいな強欲商人を地獄じゃない所に送るヤツが必要だからだよ」
「ひひひひひ。そりゃありがてぇ」
ヒューイは警戒していたが、俺はヒューイの死後、この傷薬をより積極的に商人達に売りつけることにした。
そのおかげで今まで買えなかったものが買えるようになった。
これのおかげで、死なずに年を越せる子供達が増えた。
それでも、孤児院を巣立った子供が半年も経たずに奉公先を追い出されたまま町の裏通りで冷たくなっているのを見つけたことも何度もある。
週末に広場で公開処刑された犯罪者達の中に、うちから巣立ってまだ1年も経たない子達を見つけたこともあった。
それでも立ち止まれない。
絶望するのは簡単だが、今の俺にそんな暇はない。
歩くしかない。一歩でも前に。
俺が子供達の最後の砦だ。
俺の心が折れることは許されていない。
昼食時間、近くの席の男子グループに声をかけられる。
「高橋君さぁ、誰か付き合ってる人とかいないの?」
「いないよ」
「モテるのになんで?」
それは今朝のことを言ってるんだろう。
2組の女子に呼び出され告白された。その内容がもうすでにあちこちで回ってるんだろう。
「木内さん、目ぇ真っ赤にして周りの女子達に慰められてたぞー」
「高橋お前これで振るの何人目だよ」
「あの子可愛いじゃん。ちょっと付き合ってみればいいのによ。そんで次俺に回してくれ」
「こっちが相手を大切にする気がないのに付き合うのは不純だよ」
男子達の表情が固まる。
「お前………昭和の化石ってお前のことだったのか………」
「すげぇ、なんか高橋カッケー………。今すぐ抱いてほしいわ」
ギャハハと笑う男子達の声を聞きながら、僕は機械的に箸と口を動かす。
平和とは素晴らしい。
誰も誰かを守るために手のひらを誰かの血で染める必要はない。自らの血を流す必要も。
光の玉は『今度は選択を間違うな』と言っていた。
僕にとっての最良の選択をする。
今年もようやく年を越すことができた。俺は38になった。
年末に老シスターが1人亡くなられた。
彼女は死の直前、若き日に引き裂かれた恋人の名前をずっと呼んでいた。
ある貴族の子女だったが、家同士の婚約式の直前に使用人と駆け落ちしようとして捕まり、使用人は彼女の目の前で処刑、彼女自身は多額の寄付金と共にこの教会に投げ込まれた。
当時腹にいた子は自失の時間の中で流れたという。
ヒューイがかつて元傭兵崩れの盗賊としてこの教会に押し入り、前任の神父を殺した時も、彼女はそこにいた。
彼女は決して多くを語らなかった。
皆で老シスターの霊を見送る。彼女の平安を神に祈る。
彼女はきっと天国に帰るだろう。誰よりも子供達に優しい女性だった。
いつもと同じ日常。
いつもと同じ生と死。
「神父様、お客様がいらしています」
シャツ1枚で蝶番を直していると、二番目に若いシスターが俺を呼びにきた。
少し怯えているようだ。
また元兵士あがりのゴロツキがタカリにでも来たか。
そういう連中は珍しくもない。
戦争で荒れ果てた心は、神の家を名乗る所からも平然と略奪しようとする。
神殿に神官兵が必要な理由が、自分が国境の小さな教会の神官を経験してみてよく分かった。
近くに金持ちの家があってもそういう連中は金持ちの家を狙うことはない。そういう家には雇われた警備の傭兵がいるからだ。
結果的に、自分達が安全にそしてのびのびと蹂躙できる、力の弱い老人や母子の家、教会などを好んで狙う。
そういう連中に対して俺はハリボテの神の使徒として神の愛を込めて半死半生の目に遭わせるようにしている。
片手が使えればなんとか生きていけるだろう。
弱者から搾取することの報いとはそういうものだ。俺はそう思っている。
脱いでいた神官服を纏い、いつものように通用口から入って応接室の扉を開く。
同時に応接室の古びたソファから立ち上がりこちらを向いたその姿。
時間が止まった。
「マック、やっと会えた…」