五話
次の日の朝稽古はもう死ぬかと思った。
この俺がもう文明の利器でありかつ多くの日本人を救ってこられた偉大なるご存在・栄養ドリンク様に頼ったからな!
松永マジで許さねぇ。1度フルスイングで殴りたい。
おのれ俺。力さえ入れば。
高橋が心配して声をかけてきてくれる。
「………先生、大丈夫ですか………」
「おお、昨日ほんの少し夜ふかししてな。俺のことは気にせずどんどん打ち込んでこいホラ」
「いや、ちょっと………」
「うるせーよ。なんでお前に手加減されないといけないんだよ」
「あっ………」
「お前いつも半分手ぇ抜いてるの分かってるんだからな」
「………」
「お前のポリシーがどこにあるのか分からんが、振り切った方がお前が楽だぞ」
「………守る目的じゃない暴力はちょっと………」
「はぁ?」
「あ、いや、いいです………」
「よし、じゃあお前さっきのよりまともな打ち込みしてこなかったら、スマホのブクマと履歴と画像データ見せろ」
「それだけはいやです。頑張ります」
「エロガキめ」
俺が神官服を託されてから、みるみるヒューイは弱っていった。
もしかしたら、随分前からヒューイは限界だったのかもしれない。
ある日、俺が院長室(と言っても名前だけのただの飾り気のない狭い居室だが)に入ると、ベッドの上でヒューイは横たわったまま激しく咳き込んでいた。
サイドテーブルに老シスターが作ってくれたパン粥を置く。
ヒューイは無言で首を横に振る。
「食べなきゃダメだ」
「わしの体はわしが1番よく分かってる。もう時間の問題じゃ。これ以上長らえる必要はない」
「死に急ぐ必要はない。まだここにはあなたが必要だ」
ヒューイは俺を見上げた。その瞳からはかつてあった力強さが驚くほど削ぎ落ちていた。
ああ、命はこうやって小さくしぼんでいくのか、と思った。
「夢を見るんだ」
唐突にヒューイは語りはじめた。抑揚がない妙に平坦な口調だった。
「俺は上流貴族の嫡男として生まれて、多くの義務を背負って育った。
でも親父が権力闘争に負けて、親父とお袋は処刑され、俺と姉は晒し者としてあえて処刑されず奴隷にされた。
昨日までの大貴族のボンボンが、今日奴隷になって、平民の使用人連中がすることは一つだ。
俺はクソも食ったしケツも舐めた。それでもかつて親父が助けてやってた他の貴族共が、いつか俺を必ず助けにきてくれると信じてた。
でも、いつまで待っても、そいつらは来なかった。
せめてもの復讐で、俺を見せしめに飼ってた親父を陥れた大元の家の坊ちゃんをぶっ殺してみれば、その家から坊ちゃんは元からいなかったことにされた。
坊ちゃんが出てくるんだ。
坊ちゃんは使用人達に強いられてロバとヤラされて笑われてたような俺に、焼きたてのパンをくれたんだ。
その坊ちゃんをぶっ殺した時の、坊ちゃんの白くなってく顔が、出てくるんだ。
ずっと、ずっと、
消えないんだ
なぁ、俺はどうしたら許されるんだ?
俺はどうしたら俺を許せるんだ?
もういやだ
もういやだ
お父様、
お母様、
お姉様、
どこ?
お父様………
なんで………
どこにいるの?
みんなどこにいるの?
おいていかないで………
怖いよ
お父様………」
そのままヒューイは眠りについた。
俺はヒューイの濡れた目をそっと拭ってやり、部屋を出た。
神はどこにいるのだろう。
それから1ヶ月後、ヒューイは静かに逝った。
朝稽古が終わって解散後、俺はいつも行く本屋に寄るのを止め、ふと足を伸ばして俺の生まれ育った場所に行ってみた。
一年に1度か2度、気が向いたらふらっと行く場所だ。
電車に揺られること2時間。
「あら、勇くんじゃないの~!元気にしてた?」
「はい。ご無沙汰しております安西先生」
老シスターが俺を出迎えてくれた。
安西先生、また老けたなぁ。絶対口には出さないけど。
「嬉しいわぁ。こうしてここを巣立った子達が大人になって顔を見せてくれるのが1番の楽しみなのよ」
「なかなかこれなくてすみません」
「いいのよ~。勇くんはちょこちょこ来てくれるからね。いつもお土産ありがとうね~」
ここはいつまでも変わらない。
聖マリア修道会いとしごの家。
俺も孤児だ。
だから前世というのはあながち本人に関係ないとは言えないのかもしれない。
「勇くんがここを出てもう何年かしらねぇ~」
「十何年、ですよ。先生」
俺は笑いながら話した。
正確には、14の時に俺は養父母…今の両親に引き取られたので14年前だ。
俺はここで14歳まで育った。
ここにはいい思い出もそうでない思い出もあるが、すべて過ぎ去ってしまえば懐かしい。
14の時に思い出にジャングルジムに自分の身長の印をつけた。
その後急激に身長が伸びた俺は、大学入学の時に両親と挨拶に来た際に見てみたら、ジャングルジムそのものが小さくなっていて驚いた。
子供の時にふれてたものを大人になって久々に見たらあまりの感覚の違いに驚愕する。
子供の目線がいかに低いかだ。
俺は俺を救ってくれた人の為に教師を目指した。
まだ幼かった俺を人生の被害者意識から脱却させてくれたその恩師は、今はもういない。
「じゃあ、ちょっと行ってきます」
「ええ」
俺はここにくると必ず寄ることにしている。
隣にある小さな教会。
ここではキリスト教の教えを散々聞いて育った。
でもすでにほとんど覚えていない不心得者だ。
でもそんな俺に『神様はいる』ということを教えてくれたのが、南先生だった。
南先生はあの当時ですでに見た目は余裕で60を超えてるように見えた。
南先生は俺が園内で年長者から性的虐待を受けていた時に、いち早く発見して助けてくれた。
それからできる限り俺を年長者から守ってくれた。
それだけではなく、すっかり人生を悲観していた当時12歳の俺に、繰り返しこう教えてくれた。
「人生の不幸を神様のせいにしてはいけない。我々人間の不幸を最も悲しんでいるのが神様なのだから」
「だから人生の不幸に自分を委ねるな。委ねるなら神様の愛に自分を委ねなさい」
南先生は俺に繰り返しくり返しそれを叩き込んでくれた。
正直、南先生が言ってたことの内容はまだ俺にはよく分からない。
神様がどういう存在かもまだ分からない。
でも、あの南先生が神様を信じているのなら、俺も信じていいかと思った。
南先生は俺が高校3年の時に、地元のチンピラに説教をしようとして刺されて死んだ。
俺は南先生みたいな、人生を悲観する子供を救える大人になりたかった。
だから教師を目指した。
南先生が亡くなってはじめて、南先生は昔は大金持ちの経営者で、時代を作り上げていたようなすごい成功者だったと知った。ただのおじいちゃん先生じゃなかったのだ。
そんな南先生が突然何故すべての富と栄誉を捨てて、この田舎町の小さな孤児院『いとしごの家』の一職員をしていたのか、それは誰にも分からない。
でも大人になった今分かる事がある。
南先生みたいに生きるのは本当に難しいということだ。
だから、俺は南先生に出会えて本当に良かった。
南先生、俺今体育の教師してるよ。
南先生が人生に悲観するなって教えてくれたから、もう悲観してないよ。
人生の不幸を神のせいにするなって教えてくれたから、もうしてないよ。
俺もいつか南先生みたいになれるかな。
南先生がよくこもって祈っていた礼拝堂で、俺も祈りの真似事をする。
それが、俺なりの南先生への墓参りだ。
南先生の遺骨は死後沸いて出た相続争いでどこに行ったかも分からない。
でも、俺にはここがあればいい。
ここにはいつも南先生がいる。
神様、南先生をそちらでよろしくお願いします。
たぶん南先生がいるのは天国でしょうから。
どうか俺に力を。
南先生のように、一人でも多くの子供達の希望になれますように。
安西先生に別れの挨拶をして門の外に出たら、
目の前に見慣れた車が止まっていた。
お前、本当に俺のストーカーだよな…
仕事はどうした仕事は。
お前が否定してなかったら、本気でお前が前世の将軍じゃねえかと思う所だわ。
口に出したらマジギレされるから絶対言わないけど。
「勇、帰ろうか」
「うん。あ、本屋寄ってくれ。今週号の『ヤンジャン』買わないと」
「どうだった?」
「みんな順調に老けてるなー」
「ということは勇もそうなんだよ?」
「あーヤダヤダ。今のうちにホルモン打っておかないと」
「どんな姿になっても勇はカッコイイよ」
「いやそれどうだろう」
松永とのやりとりに『現在に戻った』と実感した。
色んな前世とやらや色んな過去があるけど
みんな前に進めるといいよな。
松永と高橋の為に俺ができることはなんだろうか。