二話
松永のいない夜は何度も経験してきた。
あいつが仕事の出張で居なかったり、あいつの実家の用事に駆り出されてたり。
でもあいつから出て行くなんてなかった。
なんか昨日は始めての事だらけだったな………。
前世とやらだけでも腹いっぱいなのに、松永から初めて怒鳴られたし、本気でショックを受けた顔も初めて見たし、あいつが俺の前で思い切り物に当たるなんて事もこれまで無かった。
朝焼けの空を見つめていたら、タイマーが鳴る。
そうか、今日も仕事だった。
考えたら昨夜は夕食も食べてなかった。
でもこれから何かを胃に入れる気もしない。
とりあえずシャワーを浴びて髭を剃って着替えた。
「先生おはようございます」
「おはよう」
「勇ちゃんおはよー」
「殺すぞ」
「先生今日もカッコイイね」
「あと10年したら俺達結婚しようか」
「きもいー」
やはり学校はいい。
子供達と居ると元気をもらえる。
朝のHRで気付く
高橋がいない。
「おい、高橋から何か聞いてるか?」
「分かりませーん」
「知らなーい」
「あいつ何気にボッチじゃね」
「そういう事を言うな。どこで教育委員会が聞き耳立ててるか分からんから。俺を定年まで無事のんびり勤めさせてくれ」
「先生大変だねー」
「いつかハゲると思うよ」
「その時は育毛剤を極めるから問題ない」
高橋はどうしたんだろう。
昨日の会話の時は元気だったが。
職員室に確認しても、高橋の家族から連絡はないとのこと。
じゃあサボりか?
高橋のような優等生が珍しい。
放課後、剣道部の部室に行くと、他の部員生徒達にも高橋からの連絡はないという。
ここまでくるとさすがに少し心配になる。あいつボッチじゃないよな?
明日連絡がなければご家族に連絡を取ってみるか。
いや、でもそうすると高橋が親御さんからガミガミ言われるかもしれんな。
どうしたもんか。
そこでようやく俺は剣道部内の緊急連絡先の生徒個人携帯電話の電話番号名簿の存在を思い出した。
どんくせぇ…。
高橋が俺の番号を登録してるかどうか分からないが、とりあえず電話を掛けてみる。
出たッ!
「高橋か?」
『あれ?新倉先生?』
「そう。お前今日どうした」
『うん。ちょっと野暮用で』
「野暮用?サボりか?」
『うーん………』
「言いたくない事は言わなくていい。だが一つだけ教えてくれ。お前の身の安全は大丈夫なのか?もしも本当は今危険に晒されたりしてるなら、今ウンと2回言え」
『大丈夫、それはないよ』
「そうか。なら分かった。俺はお前を信じてるから」
『先生、ありがとう。明日か明後日には学校に行けると思う』
「待ってるからな」
『うん』
「そうだ。あの前世の話詳しく聞かせろよ。なかなか面白い事実が分かったぞ」
『そうなんだ』
「ああ、だから明日来いよ」
『しんどくなければ行くよ』
「待ってるからな高橋」
『うん。ありがとう先生』
「じゃあな」
電話を切ってポケットに戻す。
「元気そうだったか?」
「うん。松永さんは帰らなくていいの?」
今朝、登校中の僕に松永さんから声をかけてきた。
「高橋君かな?」
「…そうですけど」
「僕は勇の知り合いの松永って言うんだけど。
キミ、マックの事どれだけ知ってるの?」
その時の僕の感情をどうやって表したらいいんだろう。
いきなり頭を棍棒で思い切り殴られたなんてものじゃない。
嬉しいとか悲しいとか、怒りとか戸惑いとか不安とか、良くも悪くも色んな感情が全部一緒くたになって頭の中で凝縮して、一気に破裂した感覚だった。
泣きたいような絶叫したいような哄笑したいような。
僕という人格の構成要素がバラバラになりそうだった。
そんな僕の様子で松永さんは何かを察したのだろう。
「…場所を変えようか?」
松永さんは僕に車に乗るように合図を送る。
僕はそれに従う。
松永さんは黙って車を走らせ、やがて着いたのはどこかの大きなホテルだった。
応接室つきの部屋に通され、ソファに座るように合図された僕は、言う通りにした。
「ここならゆっくり話せるよね?」
「そうですね」
「で、率直に訊きたい。マックの事をどれだけ知ってるのかな?」
「………松永さんはそれを知ってどうするんですか?」
「お前、今、目つきが変わったな。今なら人も殺せそうだぞ」
「………僕は前世でマック先生の孤児院で育った孤児でした」
「それだけじゃないだろう。ただマックを慕うだけの孤児院のガキがそんな目をすると思うか?」
松永さんこそ、最初の優しい紳士的な大人の雰囲気はもうどこにもなかった。
どこまで手の内を明かすか。それにはまずこの松永という人間の目的を知らないといけない。
「俺だけが話すのはフェアじゃないと思うな。松永さんもご自分の事話してくださいよ」
「おお、どんどん地が出てきたな。お前普段どれだけ猫かぶってるんだ」
「松永さんこそ」
「そうだな」
松永さんは俺の前のソファにゆっくりした動作で腰をおろした。
あなたの方こそ今すぐ人を殺せそうな目なんだけど。
まるで氷のようだ。
「お前の返事次第では、俺はお前を排除しないといけない」
「それは脅しですか?」
「脅しに聞こえるか?」
思わずため息を吐く。
こいつ、俺以上にマック先生に夢中じゃないか。
あの将軍の関係者だろうか。もしくは………
「じゃあ、すべてをお話します。その上で納得できなかったらどうぞ俺の手足を落とすなり消すなりしてください」
「大した胆力だな」
「俺はマック先生からあの孤児院を託されたので」
松永さんがわずかに目を見開くのが分かった。
「俺はあなたが何者なのか知らない。でも俺が何者なのかは話せます。
俺は言った通り、当時マック先生が院長先生をしてくださってた時の孤児院の子供です。
そして19歳位の時にマック先生から孤児院の運営を託され、マック先生が将軍の迎えの馬車に乗るのを見送りました」
これは俺からの松永さんへのジャブだった。
これで反応があれば、松永さんは当時の軍の関係者か俺と同じ、マック先生の内情を知る人間。
でも………
それを伝えた瞬間、
松永さんはギュッと目を閉じて。
項垂れた。
「…そうか………」
松永さんは何も喋らなくなった。
右手で拳を握ってその拳を左手で握り締め、項垂れたまま。
重い沈黙。
これは………もしかしたら。
「………松永さん、あなたはあの将軍の側の人じゃないんですか?」
俺の言葉に顔をあげた松永さんは、どこまでも暗い目をしていた。
「ちがうよ。いや、同じか」
部活の顧問指導が終わり帰宅した頃にはは20時を過ぎていた。
地区大会が間近なので、多少指導時間が押すのは仕方がない。
松永はまだ帰宅していなかった。
普段なら遅くなる時には必ずSNS通信で連絡がある。
あいつは俺に対してだけは異常にマメだ。
連絡もないということは松永の身に何か起きたのだろうか。
ただあいつは俺と互角かそれ以上に強い。(松永に対してだけ力が抜ける妙な癖さえなければ互角だと思う。思いたい)
だから事件に巻き込まれるということはないはずだ。
ということは事故?
いや、あいつは丈夫だから、事故もないと思う…たぶん。
リビングに入ると、昨夜松永が衝動的に叩き壊したソファテーブルが目に入る。
松永、お前本当にどうしたんだよ。
もうなんだか頭がこんがらがってくる。
松永というヤツは俺に関してどこまでもおかしいのだが、でもすっかりあたおかな松永に染まってしまって、あんな松永との生活が日常になってる俺もいい加減ヤバいのだが。
それでも昨日部活終了後、高橋から前世とやらの話を聞いてから先、松永の行動は異常としか言えない。
………高橋?
もしかして。
俺は急いで松永に電話をかけてみる。
何度目かのコールで松永が出た。
「おい!今どこにいるんだよ!」
「うん。連絡できなくてごめんね。今高橋君と一緒にいるよ」
「はぁ!?」
「勇のことでちょっとね」
全身に震えがくる。
松永の俺へのあの猛烈な執着は病気だ。
あいつはたぶん俺に関わる事なら犯罪でも平気でやりかねない。
「松永頼む!高橋には何もしないでくれ!」
「そんなんじゃないって」
松永は柔らかい笑みを含むいつもの優しい声で答えた。
普段ならお前のその言葉を信じるところだけど、ちょっと昨日からのお前はかなりアレだからその言葉も信用できない。
「じゃあ、俺も混ぜろよ」
「………」
「できないのか?俺の話なんだろ?」
「うーん………高橋君、どうするー?」
高橋に訊いてるんかーい!
俺は一気に脱力した。
高橋は安全だ。これで分かった。
あー良かった。
ならもういい。好きにしろ。二人が知ってる俺のトキメキ前世()の思い出話でも語り合って楽しんでくれ。
もしかしたらあの二人前世とやらで共通の知り合いじゃないか?
なんか疲れたわ。
高橋が安全だということが分かれば、俺の出番はない。
あとは二人の問題なので、意見の食い違いでもあれば双方納得できるまでガチンコして欲しい。
男の子同士は分かり合いたければ拳か竹刀で語ればいい。どっちも剣道してるしな。
ただ高橋はちょっと細いから心配だ。でも松永もそこは大人だ。手加減できるし大丈夫だろう。
「じゃあもういいや………」
「あ、高橋君がいいって。じゃあ今から家に連れてくよ」
マジかー!
なんだこの展開。
………とりあえず腹減ったからなんか腹に入れるわ。
俺は電話しながら冷凍庫を漁り始めた。
「松永、高橋に親御さんに連絡するように伝えてくれ」
「分かった。あ、大丈夫だって。親御さん単身赴任に付いてってるらしいから今高橋君一人なんだって」
「おおう。じゃあうちに来たらメシ食わせて送ってやらないとな。冷凍ものしかないけど」
「そうだね」
「じゃ、俺先に食べてるわ」
「分かった。あとでね勇」
電話の向こうで「口調が全然違う………」とこぼす高橋の声がうっすら聞こえた気がした。
俺は冷凍ピラフをレンチンして5分でかき込んだ後、ザッとシャワーを浴びて部屋着に着替えていた。
そういえば俺、昨日寝てないんだよな………。
寝てぇ………。
ブザーが鳴って玄関の鍵が開く。
「ただいま」
「………お邪魔します………」
そこにいたのはもういつもの松永。いつもの柔らかい笑みを俺に向けている。
その松永を、何故か信じられないものを見る目で若干引き気味に見てる高橋。
うぉぉ、職場の生徒がうちに居るって、改めて見たら違和感がすげぇ。
「おお、高橋、なんだかよく分からないけどとりあえず座れよ」
キッチンカウンター横のダイニングテーブルに案内して、とりあえずレンチンした冷凍パスタと冷凍惣菜とジャスミン茶を出してやると、松永が「僕の分は?」
「お前は大人だろ自分で作れ」
「冷たいなぁ」
「お前は高校生のお客様と同じ扱いをされたいのか」
「僕は勇の愛が欲しいだけだよ」
「ばっッ!!お前ッ………生徒の前でふざけんな!」
思わず松永の肩をグーで殴ると、高橋がフォークを使う手を止めてすごい目で俺と松永を見ている。
「あー、なんかすまん。こいつただの変態だからスルーしてくれ」
「あ、いえ………」
「………で、俺の事ってなんなわけ?」
松永と高橋が一息ついてから、本題に入る。
「うん、要は、高橋君と僕は前世の記憶持ちで、前世の勇のことをよく知ってたんだよ」
「いや、それはもう分かってるって。お前がおかしくなった理由だよ」
「…………」
ほら始まった。松永はこうなると貝になる。
すると高橋が困った表情を浮かべながら
「先生、なんか面倒な事になってしまってすみませんでした………」
「いや、別にいいよ。むしろ松永がな、昔からよく訳の分からない事を言ってたからさ。高橋の話を聞いたら繋がったんだよ。だからそういう意味では助かった」
「訳の分からない事?」
うーん。何て言えばいいんだ?
ちょっとあれをストレートに言の葉に乗せると、俺が羞恥心で昇天できるからな………。
「あー………
『逃げるな』
とか
『思い出すのが義務』
とか?」
よし、この辺が限界だ。
《もう逃げちゃダメだ》とか《キミは罪を犯した》とか《僕だけに記憶を残してひどい人だ》とか《もう僕から離れていかないで》とか《もう誰にも奪われないで》とか《これからは僕だけのものでいて》とか口に出す位なら、俺は舌を噛んで死ぬ。男には譲れないものがある。
高橋は今度は何故か松永を冷たい目で睨みつけている。
お前ら今日一日で一体何があったんだ………。
高橋、お前が今睨んでる男は一応日本人なら皆知ってるスーパー大企業の幹部だぞ?一族経営だけどな!
「なんて言えばいいのかな………僕も松永さんも前世で先生にはすごくすごーくお世話になったんですけど………
ちょっと、一言で言うのが色々難しい感じなんですよ…」
「ああ、そう。でもお前はあれだろ?俺がしてた孤児院?の子供だったんだろ?」
「そうです!そうです!」
高橋は嬉しそうにニッコリ笑って何度も頷く。こうして見るとまだ高校生ってうぶなガキなんだよな。
「じゃあ松永は?」
「…………」
「…………」
え?何この沈黙。
おいどうした。
「もしかしてこいつ殺し屋とかだったの?」
「あ、それ僕の方です」
「マジか!」
「すみません………」
「ま、まぁ過去はみんな色々あるさ………」
なんだこの空気。
うん。
なんかよく分からん事がよく分かった。
よし、今日は諦めた。
「………じゃ、続きはまた部室で聞こうかな。高橋、今日はよく分からんけど松永がすまんな。今からお前んちまで送っていくわ」
「え?え?」
「先生は疲れてるんだよ。分かる?」
「あ、はい、すみません………」
「答えの出ないやりとりをする不毛な時間を睡眠に当てさせてくれ。俺あいつのあれのせいで昨日寝てないの」
昨夜松永が破壊したかつて頑丈であったであろうソファテーブルを指したら、高橋がまたドン引きしていた。
松永はずっと俺の前での標準的微笑みを浮かべたまま俯いてたが、
「…僕が高橋君を送るよ」
「あ、じゃあ任せた。俺先に寝るわ。じゃあな高橋。気をつけて帰れよ。松永、高橋をよろしくな」
「うん。おやすみ勇。ちょっと行ってくるね」
玄関で高橋を見送ったあと、俺はそのままベッドにダイブした。
「さっきのアレ、
『逃げるな』
とか
『思い出すのが義務』
とか、ひどくないですか?」
「…………」
「あんな目に遭ったマック先生にあなたがそれを言うんですか」
「…………」
「………俺、言わなきゃ良かったです………思い出す方が辛いかもしれないのに………」
「………俺もお前も、自己満足にあいつを巻き込んでるんだろうな」
「そうかもしれませんね」
「なんで覚えてるんだろうな俺とお前は」
「………松永さんは、光の玉を見ませんでしたか?」
「いいや。なんだそれは」
「いや、いいです………」
それきり会話はなかった。
夢うつつの中、寝てる俺を後ろから抱きしめるいつもの松永の腕の感覚。
いつものぬくもり。
でも、遠くにいつもと違う言葉が聞こえた気がした。
「………勇………ごめんね………勇………」