十三話
軍神からの迎えの馬車に乗り込み4日ほどかけて到着したあの御方の別邸では、
驚くほど俺は客人としての丁重な待遇を受けた。
正直、奴隷か男妾のように扱われるかと思っていただけに、この待遇はあまりに意外だった。
俺が別邸に到着して2日後にお会いしたあの御方は、まるで最初にお会いした頃のようだった。
「ここでの日々はどうだろうか。このような方法を取ってしまってすまなかったね。でもここではお前にはどのような制約もないことを約束しよう。あまり遠くに行かなければ外出もしていい。この地域の見物をしたいなら馬車も出すように言っておこう。どうかここではゆっくりと過ごして欲しい。何かあったら遠慮なく使用人に言いなさい。最大限お前の希望を聴くようにと伝えてるからね」
燦々と陽の入る客室は、おそらくは元は屋敷の主の居室だったのではないだろうか。
一客人としての私の客室の方が立派で、本を借りる為に入ったあの御方の居室の方が驚くほどに部屋の装いといい家具類といい簡素だった。
屋敷の主人の居室であるからには、決して貧弱なわけではなく、それなりの金額をかけていると分かるのだけれけれども、しかし客人である私の部屋に比べ、驚くほどに飾り気がない主人の居室。これではまるで立場が逆ではないのか。
それを伝えると
「私はあまり多くのものがあるのは好きではないんだよ」
と微笑んでいた。
私がこの別邸に来てから、彼が私に無体を強いる事はなかった。
軍神とはよく話をした。他愛もない話ばかりだった。
時には昔の話もあった。大戦時の話。また大戦終了後の戦後処理やその後の陸軍内部での様々なエピソード。
ただし、そこに『あの男』の名前は出てこない。
朝の挨拶をして、共に早めの朝食を摂り、その後彼は出かけていく。
私は日中を客室で過ごす。
彼は好きにしていいと言ったが、なんとなく外出する気持ちにはならなかった。
使用人達が気遣ってくれ、私の客室になるべく色んなものを持ってきてくれる。
珍しい果物、珍しい菓子、珍しい飲み物、珍しい本、珍しい花、珍しい動物や植物。珍しい情報。珍しい様々な舶来品。
そして使用人達が、それぞれの色んな珍しい話や面白おかしい昔話をしてくれる。
それも私の時間を長く取り私の負担にないようにと計算され配慮された時間帯のみの訪れ。
それらの気遣いも、多くは彼の指示であることは間違いない。
おそらく使用人達はすべて彼の部下か元部下なのだろう、同じ軍人の匂いがしたが、お互いにそれを言うことはなかった。
夕方から夜になると彼は帰宅する。
一緒に夕食を摂る。
また他愛もない話をする。
彼の男妾でありまた男娼であった頃のことには彼はふれず、懐かしい話にお互いに目を細め微笑み、また時には笑う。
そして、出てこない名前。
今はどうしているだろうか。
いや、それを考える資格は私にはない。
使用人から私が一切外出していないことを聞いたのだろう、ある日彼は私を朝食のあと外に連れ出した。
しばらく歩くと、視界の隅に真新しい小さな墓碑のようなものがあった。
私があれは何かと尋ねると、彼は微笑みながら答えた。
「私がそのうちお世話になるところだ」
近づいて見てみると、それは軍神の功績からすれば信じられないほどに質素なものだった。
隅に小さくラベンダーが彫られていて、別邸に来た当初、使用人との会話の中で私の好きな花がラベンダーであることを話していたことを思い出していた。
それが偶然であるかどうかは問題ではなかった。
私ははじめて、そこに軍神の孤独を見た気がした。
彼が眠る時、そこにずっと寄り添う花。
それから彼は度々私を連れ出した。
私達はただ歩いた。
別邸の敷地の外れには崖があり、そこまで歩いて、2人で海を眺める。
そこで何かを話す時もあれば、話さない時もある。
ある日、彼が咳き込んでいるのを見た。
使用人が彼にすぐに薬を飲ませていた。
私が体調を尋ねると、彼は笑って気にしないようにと答えた。
彼の咳は段々と頻度を増しているように見える。
以前より少し顔色が悪いのが気になっていた。
時折彼のそばに使用人が薬を持って待機しているようになった。
一度だけ彼のご家族の話を聞いた。
若い頃に家同士の政略結婚だった事。
結婚後奥方は男児を出産されたが、息子さんは5歳の頃流行病で他界。
その後奥様はご病気で長く伏せられたとのこと。
おそらくは神経的なものなのだろう。
20年以上前に奥様も他界され、それから婚姻の話はすべて断られてきたと。
「私が最後のミューゼスだ」
とまた微笑んでおられた。
使用人に彼が服用している薬を見せて欲しいと頼んだ。
使用人はそれを一瞬躊躇した。
それで答えが分かった。
彼が服用している薬は麻薬。
最後の日。
いつものように彼が私を外に連れ立った。
崖に着き、いつものように2人で海を眺める。
「マクスウェル、私はお前の教会と孤児院を焼こうと思う」
彼はなんでもないことのように話した。
「ここから帰宅したら屋敷の部下達に命令を下す。孤児院の子供達も残らず殺すようにと」
ああ。
この人は。
「だから、今ここでお前の手で私を殺しておくれ」
彼は微笑んでいた。
私は返した。
「アドルフ様。せめてお供させてください」
彼は、微笑みながら涙を落としていた。
「馬鹿だねお前は」
孤独な軍神を抱きしめ、そのまま身を投げた。
ジェイ。
ジェイ。
すまない。
愛している。
これからもずっと。




