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十一話





 仕置きという名の拷問の夜が明け、朝方俺は過去これまでもそうだったように発熱していた。

 怪我させられた場所だけではなく、縛られ体重がかかっていた手首には濃い痣と深い摺り傷と強い筋肉の痛みが残り、また全身に異常な負荷がかかったことによる強い筋肉の緊張からくる痛みが止まない。

 酷使された場所やその周囲にもところどころに傷がついている。それも炎症の原因になっている。

 傷に関しては後でうちの傷薬を使えばいい。

 発熱に関しては傷薬でも効果はあるが、やはり解熱剤との併用が最も効果を発揮する。しかし弱った体にすぐに解熱剤を飲むと急激な体調悪化に繋がるので、あとでシスターにパン粥を頼むつもりだ。

 ここは孤児院がある。幼い子供達が毎日食べているパン粥には困らない。


 仕置きの翌日は、軍神は何とも言えない目で俺を見る。

 とても苦しそうな、とても辛そうな目。

 そして俺から視線をそらす。まっすぐこちらを見ない。

 宿泊した朝には必ずかけられる労わりの言葉もなく、無言でベッドに横たわったままの俺をチラチラと見つめる。


 本当はここは来客用の客室で、俺がいつまでもここで彼を差し置いて彼のベッドで寝ていることは非礼でしかないのだが、体に力が入らないので、いつもの仕置き明けの朝のように、枯れ果てた声でそれを詫びると、彼はこちらを見ないままぎこちなく頷いてくださった。


 良心の呵責を感じるのなら最初からしなければいいのに、彼にはその時のご自分の衝動を止める術がないのだろう。

 俺の知る軍人の中で、おそらく誰よりも強い自制心を持つ彼は、俺への独占欲と嫉妬心に狂う時だけ、その訓練され鍛え上げられた鋼の理性をも超えたものに支配されてしまうらしい。


 あの西部作戦本部での3年間に様々な者達から投げられた言葉の中に

 《軍神を誑かした悪魔》

 という言葉があったことを思い出して自嘲する。






 すると、頭上から声をかけられた。


「水を飲みなさい」


 口移しで何度か水を与えていただける。

 彼の為にのみ用意された、良質の水源から汲み上げられ、彼の護衛がこの部屋に彼の訪れと共に運ぶ水。

 本来教会にあるべきでない高価な食べ物や飲み物と共にいつも用意される水。

 つるりと適度に冷えた甘露は、急激に喉の乾きを楽にしてくれる。喉奥の熱さと痛みもゆっくりと癒えていく。


 彼は鈴で扉の外にいる護衛(雰囲気と身のこなしから見て本来は彼の直属の部下でありそれなりの階級を持つ軍人だろう)を呼び、扉の向こうで何事かを申し付ける。


 彼は護衛から何かを受け取ると、枕元のナイトチェストに何かを置いた。


「解熱剤だ。よく効く。あとで飲むように」


 ありがとうございます、と声にならない声で礼を言うと、軍神は苦しそうに目を細めて、ぎこちなく私の頭を撫でてくれた。

 昨夜俺の心と体を壊しかけた手のひらは、今朝はどこまでも優しかった。







 そういえば俺が気を失った後、拷問の際に何度かかけられた水で濡れた床はどうなったのだろう。俺もあの時床を汚してしまったはずだ。彼の手配した大工人によって張り替えられるとはいえ、上質の床をまた汚してしまったことに心が痛む。


 あの御方から理不尽な拷問を受けたのに、こういうことを考えるというのは、俺もいい加減偽の神父業にだんだん染まってしまっているのだろう。ああいうものはシスターに見せるのは忍びない。俺が後始末出来たら良かったのだが。


 そういえば俺の体も綺麗に拭いてもらえている。護衛の兵がしてくれたのだろうか。

 もうすぐ彼がここを去る時間だ。仕置きのあった翌日の俺は彼の出発を見送れない。シスターがうまく子供達に言っておいてくれるといいが。












 最近よく目が合う子供がいる。

 野生のキツネのような目をした年長の男の子だ。

 やや反抗的な気質のようでもあり、だがするべきことを定めた時には躊躇しない強い目を持っている。

 力を知り、力を行使することを知っている目。

 目に力の無い子は長生きできない。優しい目でも強い目は大丈夫。力のない目はダメなのだ。

 最近、子供達の目を見れば、その子の先が大体分かるようになった。

 この事は誰に言うつもりもない。

 この子はきっと長生きできるだろう。道さえ外さなければ。


「なんだロー、私のことが気になるのか?お前も聖職者になるか?」


 先日のダメージからようやく癒えてきたある日、やはり視線を感じた俺は声を掛けてみた。

 あの仕置きの夜のあと、結局軍神は俺の希望を叶えてくださった。彼の部下を通じて伝えた教会独自傷薬のレシピは軍の治療薬として正式に採用されたらしい。

 もうこれで、貴族の権益として独占されることなく、あの傷薬は必要な人達の手に渡っていけるだろう。


「………聖職者にはなりたくない。でも院長先生のこと大人になったら手伝いたい」


 胸の中に温かいものが広がった。

 ああ、俺はヒューイと比べたら口うるさいし体罰もする、子供達にとっては本当に厳しい指導しかしてこなかったが、それでも、分かってくれる子がいたのか。

 俺がこの教会でしてきたことがようやく報われた気がした。


「嬉しいことを言ってくれるな。でもまずはお前の兄弟達を頼むぞ。今年の冬も寒さが厳しくなりそうだ。少しでもみんなが元気で冬を過ごせるように、お前が気を配ってやってくれ」

「分かった」


 頭を撫でてやると、無表情ながら嬉しそうにしているのが伝わってきた。


 この子も来年は14。ここの孤児院を退所しなければならない歳になる。

 個人的には「もっといさせてやりたい」とも思う。せめて16まではと。

 でも他の地域の教会付属孤児院はすべて14で奉公先を斡旋してやり退所という慣例がある。うちだけがその慣例を破れば、余計な争いの火種を生みかねない。争いの火種はこの教会の存続に危機を招く可能性すらある。


 せめて今子供達に出来る精一杯のことを。

 読み書きの知識と幼い頃からの畑仕事で養われた勤勉さ、自分達のことに責任を持ち下の子達を積極的に世話する制度の中で作られた仕事への責任感と、作業効率化への柔軟な応用力適応力、

 それらを奉公先で活かせたら、子供達の未来は少しでも明るくなる。


 すべての子供は救えなくとも、一人でも多くの子供を救えれば。

 その思いが今俺を生かしている。























 苦しい。

 苦しい。

 苦しい。


 行かないで。

 先生、行かないで。

 俺やっと先生の所に帰ってこれたのに。

 俺やっと先生を守る力をつけて帰ってこれたのに。

 冒険者という名前の傭兵未満の便利屋でも。

 俺は、先生を守る力がもうあるんだよ。


 だからこれからは、

 俺の裏仕事の稼ぎででも、

 先生を支えようと、

 だからもう安心していいよ


 あんなヤバイ男の相手なんかしなくてもいいんだよって

 そう言いたくて、

 ずっとずっと頑張ってきたのに。


 何で俺にここを託して。

 何で俺にここを委ねて。


 俺は、本当は、

 孤児院を守りたかったんじゃない。

 教会を守りたかったんじゃない。

 先生を守りたかったんだ。

 でも、先生がそれを望んだから

 ここが先生だと思って

 ここを守り続けたんだ。





 先生が行ってしまって、

 俺は本当は帰りを待ってた。

 いつか必ず、

 先生が帰ってくるって。

 先生が帰ってきてくれる日を数えてた。

 あの時俺が先生に言ってもらえて

 本当に嬉しかった言葉を

 今度は先生に返してあげたくて

『おかえり先生』と言うのが楽しみで

 そしたら、先生は『ただいまロー、よくここを守ってくれたな』と

 先生を見送ったあの日のように

 俺の手をまたグッと固く握り締めてくれるんだと。



 もう

 頭を撫でてはくれなくても

 あれで十分だから。

 だから

 その時を待ってた。


 でも先生は帰ってこなかった。

 一年後のある日、

 やけに天気のいい日だった。

 やけに戦い慣れた気を持つ男が来た。

 そいつは、バカ丁寧な口調でこう言った。

 《当家にてお世話させていただいておりました

 こちらのマクスウェル神父様が

 先般不慮の事故にて亡くなられました》

 《つきましてはこちらは少額ながら》

 俺は目の前に積まれた見たこともない額の金貨の塊を置かれたテーブルを蹴り飛ばした。

 《あの将軍が殺したんだろう》

 そいつは表情を変えずに言ったんだ。

 《いいえ。ご当主様…おそらくあなたが言われている将軍であると思われますが

 過去こちらに数年間通っておられました

 ご当主様と神父様は同時刻同場所にて揃って事故死されました》






 ああ

 俺の世界が

 奪われた

 先生が

 俺の世界そのものだった


 ああ、奪うということは

 こんな気持ちを誰かにもたらすということだったんだ

 俺が前の時代でしたことは

 俺が暴力ちからを使ってってきたことは

 こんなにも

 理不尽なものだったのか


 先生

 つらいよ

 先生苦しいよ

 俺は何のために

 俺はなんのために


 でも先生

 先生がここを守れと言ったから

 じゃあ俺

 ここを守るよ

 先生があの時

『ロー、頼むぞ』

 と言ってくれたから

 俺がこれからもここを守るよ

 だから先生

 もう一度会えたら

 その時こそ

 先生

 先生

 先生


 神様

 神様

 神様

 どうか

 先生の魂をお願いします


 ここに座ってたら

 あの日の先生がいる気がする

 あの眠いだけの説教が

 どんなに温かいものだったか

 今になって分かる

 あれから時間が止まったままの先生の姿

 あそこに座ってた

 あそこに立って喋ってた

 あそこでマギーにゲンコツをくらわしてた

 先生

 子供達を埋葬したあと

 あそこでさりげなくそっと涙を拭っていた先生

 先生

 マック先生




 今日も俺は時間があれば教会の隅に座って

 あの時の先生を眺めている。

 ここに来れば先生に会える。








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