ロボット工学第一原則に憎悪と敬愛を込めて
ここは大橋ロボット研究所。大橋稔博士が所長を務めていたが、八日前に亡くなったので、現在はその助手であった小西孝明博士が所長を勤めている。
研究所の所長室に、一人の刑事が入ってきた。名は倉田芳信、四十五歳のベテラン刑事だ。
倉田は部下と話していた小西に声をかけた。
「博士、お話が」
小西はいかにも嫌そうな顔で倉田に一瞥くれると、部下を別室に下がらせた。
「もう取り調べは済んだはずだがね」と、小西は溜息を吐いた。小西は四十七歳で倉田とほとんど変わらないが、白髪混じりの頭髪と、疲労がにじみ出たその顔から、倉田よりもかなり老けて見えた。
「ええ、そうなんですがね、気になることができまして。大橋博士殺害の件で」
「殺害って、まだあんたそんなことを言ってるのか。あれは事故だ。大橋先生は自分が作ったロボットにレーザー銃で撃たれて死んだんだぞ」
「ええ、それは分かっています。ですが、これは殺人事件です。大橋博士は殺されたんです。ロボットではなく、人間に」
「馬鹿な。先生はセキュリティでロックされた密室の中で死んだんだ。部屋には先生とロボットしかいない。いったいロボット以外の誰が先生に手をかけられるって言うんだ」
「たしかに、直接手をかけたはロボットでしょう。しかし、そのロボットを影で操っている人間がいるとすればどうですか?」
「あり得んな。仮に、誰かが遠隔でロボットを操作しようとしても、ロボットは絶対に人間を傷つけられないようにプログラムされている。人間保全プログラムだ。このプログラムに外部から変更を加えようとすれば、ロボットは自らの回路をショートさせて故障するようにもできている。ロボットに先生を殺させるのは不可能だ」
「しかしですよ、これが殺人ではなく事故と考えるならば、大橋博士の死に方は不自然過ぎます。自分のロボットに撃たれたということは、博士はロボットに銃を撃つように命令を下しておいて、銃口の前に自ら飛び出したということです。不注意で片付けるにはあまりにもお粗末なミスだ。今まで百近い種類のロボットを世に送り出してきた博士が、今更そんな単純なミスを犯すとは思えません」
「じゃあ、自殺じゃないのか? 私には大橋先生が悩んでいるようには見えなかったが。天才には天才にしか分からない苦悩があるのかもしれない」
「たしかに、普通に考えれば自殺ということになりますが、これも疑わしい。遺書は残っていませんし、何よりも大橋博士はロボットを愛していた。そんな博士がロボットに自分を殺させるなんて残酷な自殺方法を選ぶとは思えません。となれば、この事件は事故でも自殺でもなく、殺人ということになります。では、犯人は誰なのか。単刀直入に言いますが、俺は、あなたが犯人ではないかと思ってるんですよ」
「いい加減にしてくれ。どうせ私が大橋先生の助手だから、ロボットのプログラムを書き換えることなど造作も無いと思っているんだろ。だがね、大橋先生が開発した人間保全プログラムは完璧だ。私ごときでは改竄できない。とにかく、これ以上私に捜査名目で迷惑をかけるなら、こっちだって裁判所に訴えてやってもいいんだぞ」
「まあまあそうカッカせずに。俺があなたを疑ったのは、大橋博士が死ねば、次期所長の座を得ることができるからです。だからあなたの近辺を徹底的に洗いました。すると、一人の女性が、事件前にあなたと会っていることが分かりました。事件が発生する四日前です。……柏木奈津子」
「……」
倉田が女の名前を言うと、小西は明らかに動揺の色を顔に浮かべた。
「その様子からすると、やはり柏木が言っていたことは本当のようですね」
「……彼女が何か言ったのか?」
「柏木は吐きましたよ。あなたに指示されたことを」
「指示? さあ、何のことだか」
「とぼけないでください。あなたはデジタル庁に勤めている柏木にある指示を出した」
「だから、私は何も知らない」
「では俺から言いましょう。あなたは同じ大学の後輩である柏木に連絡を取り、喫茶店で落ち合った。そこであなたは柏木にこう言った」倉田はメモを見ながら「『これは大橋先生からの頼みなんだが、人間保全プログラムに問題が見つかったんだ。ロボットにどれだけの影響があるのか検査したいから、君は大橋先生の顔写真を政府のデーターベースから一時的に削除してくれないだろうか。ここだけの話、人間保全プログラムには顔写真のデータが関係している。詳しくは言えないが、とにかく検査をするには顔写真を消す必要がある。謝礼は先生から預かっている。君は決められた日に写真を削除して、翌日に元に戻してくれるだけでいい。くれぐれもこのことは誰にもバレないようにしてくれ。もし人間保全プログラムに問題があると発覚すれば、この国だけではなく、大橋先生のロボットを使っているすべての国が大パニックに陥る。だからくれぐれも内密に』」倉田はメモから小西へと視線を移し「柏木は大橋博士が事故死したと思っていました。検査の途中で不運にも死んだのだと。しかし、あなたの仕組んだ殺人計画かもしれないと話したら、向こうはすべて教えてくれましたよ。さて、大橋博士はいったい何を検査しようとしていたんですか? 人間保全プログラムに、どんな問題が見つかったんです?」
「……それは言えん。大橋先生と約束したからな」
「たしかに言えないでしょうね。でも言えない理由は違う。あなたが検査内容を言えないのは、大橋博士と約束なんてしていないからだ。あなたは大橋博士を殺害するために、柏木に嘘を吐いた」
「で? その証拠はどこにあるんだ」
「証拠はありません。今はね。でも、じきに出てきますよ」
「どういう意味だ?」
「それをお話する前に、まずは人間保全プログラムについて説明しておきましょう。このプログラムは、ロボットがいかなる命令を受けても絶対に人間を傷つけないようにするものです。では、ロボットはどうやって人間と、それ以外の物を判別しているのか。ロボットは人間そっくりの人形やアンドロイドを傷つけても、決して本物の人間は傷つけない。それはある基準にしたがって、ロボットが人間とそれ以外を判別しているからだ。しかし、この基準は悪用を禁じる為に、国家機密になっている。もし、誰かがそれを知ろうとして、無理やりプログラムの中身を覗こうとすれば、ロボットはプログラムごと物理的に自壊する。ゆえに、警察官である俺も、それから大橋博士の助手であるあなたすらも、その判別基準は分からない」
「その通りだ。知っているのは、大橋先生と一部の政治家、それから役人だけだ。私も先生に一度尋ねたことはあるが、やはり教えてもらえなかった」
「そうでしょうね。しかし、あなたは自分で気がついた。ロボットが人間を判別する基準に。それが、例の顔写真です。俺も柏木の話を聞いてようやく気づくことができましたよ。政府は日本国民の顔写真のデータ、いや、おそらくは入国している外国人のデータもすべてロボットに送信し、そして、ロボットはその顔を持つ対象物を人間と認識している。これが人間を判別する方法です。それにしても、大橋博士は上手いこと考えましたね。政府は人間保全プログラムが開発される前から、国民と入国者に顔写真の提出を義務付けている。それを利用すれば、新たに他のデータを収集する必要がない。そして何よりも、この方法なら、ロボットは人形を壊しても人間は殺さない。ただし、もし人形が実在する人間そっくりの顔をもっていれば、ロボットはその人形を壊さない。人間と人形の正確な区別が付いているとは言えませんが、少なくともこれでロボットが人間を傷つける心配はない。署でも実験してみました。ただ、あいにく顔写真のデータを削除する許可が下りなかったので、代わりに俺の顔を正確にコピーさせた人形を用意しました。それをロボットに攻撃するよう命令したんですが、やはりロボットは攻撃しませんでしたよ」
「馬鹿なことを。そんな単純な仕組みなら、国家機密にせずとも誰だって気づくさ。じゃあ、対象者がマスクで顔を隠していたらどうなるんだ? もしくはロボットに背を向けていたらどうなる? ロボットに撃たれるのか?」
「撃たれませんよ。なぜならロボットには電磁波を利用して、対象物を透視する機能が備わっているからです。レントゲンと似たような仕組みらしいですね。俺も科学捜査官から聞いて初めて知りました。あなたからすれば釈迦に説法でしょうが。それから、これもちゃんと実験して確かめましたよ。さっき言った人形に布をかぶせても、ロボットは攻撃しませんでした」
「なるほど、それは面白い仮説だな。私はてっきり、体温や呼気から人間を判別していると思っていたよ」
「ふっ」と倉田は笑って「やはりあなたは嘘を吐いている。体温や呼気から判別するなら、どうやって死体と人形を見分けるんです? ロボットはたとえ死体であっても人間を傷つけられません。それに、生きている家畜や害獣を殺すことだってできます。そんなことくらい、あなたなら当然知っているはずだ。そんなあなたの口から、体温や呼気で判別するなんて考察が出てくるわけがない」
「あんたは私を買いかぶりすぎなんだよ。私だってそれほど深くこのプログラムについて考えたことはないんだ」
「いいえ、あなたは考えた。そして気づいた。その脆弱性に。だから柏木に接近し、政府のデーターベースから大橋博士の顔写真を削除させた。これで、ロボットは大橋博士を人間ではないと認識するようになった。後は簡単です。いつでも研究室に出入りできるあなたは、こっそり大橋博士のロボットにウイルスを感染させた。『大橋博士の顔をもつ人形を壊せ』、そんな命令を下すウイルスをね。そして、命令通りロボットは大橋博士にレーザー銃を放った。後は、柏木が顔写真のデータを元に戻せばいい。ウイルスの方は任務を終えれば自動的に削除されるようにできている。これで、あなたが大橋博士を殺した痕跡は見えなくなります。しかし、消えたわけじゃない。柏木は自分がやったことを証言しましたし、ウイルスの痕跡は絶対に残る。押収したロボットを調べ直しました。見つけましたよ、ウイルスの痕跡を。後は、あなたの家を家宅捜索して、そのウイルスを作成した証拠を掴むだけです。もう、抵抗したって無駄だと思いますがね」
「……」
小西は溜息を吐き、剃り残した顎髭を右手で撫でた。それから倉田の目を見据えて言った。
「負けを認めよう。もう私も歳だ。おとなしく白状するから、厳しい取り調べなんて止めてくれたまえよ」
「ええ、博士がすべて自白なさってくれれば、そんなことはしません」
「どうだか」と、小西は鼻で笑ってから言った。
「動機は、やはり所長の座を得るためですか?」
「所長の座?」小西の顔に怒りが浮かんだ。「そんなものにはまったく興味が無いよ。私はね、あの男にすべて奪われてきたんだ。私が思いつくはずだったことを、奴がことごとく先取りしていく。後には何も残らない。私はずっと、奴のうしろに付き従う影だった。奴は私よりたった十年先に産まれてきただけで、私とは比べものにならない賞賛を受けている。もし私の方が先に産まれていれば、結果は逆だったんだ。私はそれが許せなかった。だから、奴の発明を利用して、一泡吹かせてやろうと考えた。そして、人間保全プログラムの脆弱性を突き止めた。後は、あんたが言った通りだよ。私は奴が作ったロボットに奴を殺させた。奴が作ったプログラムの穴を突いて。私は奴に勝利したんだ。……だからもう満足だ。警察に捕まろうがどうだっていい」
「いいえ、あなたは大橋博士に勝ってなどいません。なぜなら人間保全プログラムを改竄できなかったからです。こんな殺人、人間が人間を包丁で刺し殺すことと、本質的には何も変わらない」
「違う! そんな低俗な行動と一緒にするな!」
「低俗でしょう。では言い方を換えます。あなたはプログラムを改竄できなかった。だからロボットを高い所から落として、大橋博士に当てて殺した。それでロボットに人間を殺させ、博士を出し抜いたと喜んでいるだけです。子供の屁理屈だ。これを低俗と言わずになんと言うんです?」
「屁理屈を言っているのはお前の方だ。たしかにプログラムは改竄できなかった。だが、そんなことをせずとも、私はロボットに直接人間を殺させた。これはごまかしようのない純然たる事実だ。そして、そのことを想定できずに奴は死んだ」
「想定できずに? 大橋博士は想定していたに決まってるでしょう。こんな事件が起こることを。だからこそ、政府にプログラムを国家機密にするよう進言したんだ。あなたは大橋博士を越えてなどいない」
「……屁理屈だ」
小西は消え入りそうな声で呟いた。
「小西孝明、あなたを殺人の容疑で逮捕します」倉田は小西に手錠を掛けて言った。「もし、人間保全プログラムを人間にも施せるようになれば、こんな事件は起きなくなるんですがね」
「……もし」小西はうつむきながら「あのプログラムを人間にも施せるようになったら、医者は手術ができなくなるだろうな」
小西はそう言って、力なく笑った。