井の中の蛙の幸福論
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『井の中の蛙、大海を知らず』という言葉に、納得がいかない。せっかく井の中での安寧を満喫している蛙に、わざわざ大海という、鬼畜なハードステージに飛び込ませる必要などないはずである。それに、その蛙にも、井の外には行けない理由があるかもしれない。井の内壁が、登れないほど高いのかもしれないし、井の中に家族がいて、彼ら彼女らを置いていくことができないのかもしれない。第一、たかが一個人(一個蛙?)が大海を知ったところで、どうだというのだ。たかが一個蛙が大海で暮らせるわけがないではないか。波にもまれて溺れるか、浸透圧で、水中なのに干からびるという皮肉に見舞われるかのどちらかに決まっている。結局、『井の中の蛙、大海を知らず』という言葉は、崖の一歩手前にいる人の背中を良かれと思ってひと押しするような、なんとも余計な言葉なのだ。
大学一年、七月の最初の対面授業の為に大学へ向かう俺の気配に驚いて、慌てて草むらに飛び込んだ蛙を目で追いつつ、そんなことを考えた。こんなくだらないことを考えてしまうのは、意味もなく徹夜をしてしまったからに違いない。睡眠というのは人間にとって必須なものであるようで、その睡眠をとらないと人間はろくなことを考えない。それを俺に知らしめてくれる訓戒として、スマホにある、「干葉大学お悩み解決サークル@お悩み募集中!」というSNSのアカウントが挙げられる。
2か月ほど前だったと思う。ある学校に特殊な部活があり、そこから物語が展開していく、という類の本、アニメはいくつかあるが、その中のうちの一つを徹夜で見た俺は、その世界にひどく憧れた。徹夜でろくなことを考えない人間と化していた俺は、それにならって実際に、自分の大学でもサークルを作ってみようという気になってしまったのだ。しかし、コミュニケーションというものが大の苦手で、友達を作ることもままならない俺に、人を集めなければならないサークルなど作れるはずもなく、第一に徹夜を経た突発的な思考が製造元の動機など、行動に持続力が伴うわけもなく、アカウントを作ってから2日で俺は賢者モードとなり、アカウントは手つかずとなった。2か月たった現在、そのアカウントは、削除するのも面倒で、ツイッターに「惰性で放置されている無用のデータ」という、粗末なトマソンとなってしまったのである。
そんな俺の黒歴史をなぞっている間に、本日の対面授業である英語を受ける教室にたどり着いてしまった。すでに何人かは来ているようだが、まだ自由時間にもかかわらず、教室で喋っている者はいなかった。俺もその静けさに混じるように無言で席に着き、テキトーにスマホをいじる集団の一部となるのだ。
授業が始まるまで続くと思っていたその静けさは、陽気な外国人教師の陽気な「Hello!」の挨拶を待つことなく、破られることになった。授業開始一分前に、なんとも賑やかな女子三人組が入ってきたのである。彼女らは何やらひとしきり談笑をした後、それぞれの席へと分裂していった。そして、そのうちの一人が、俺の前に座った。ウェーブがかかった明るい茶髪に、ニュースの流行紹介コーナーで見たような服装。。俺は内心、怯える思いであった。今日のペアワークは、きっと彼女とやることになるだろう。別に、彼女に対して嫌悪感があるとかではない。しかし、彼女のようなキラキラ学生生活の権化の前では、俺のような根暗は怯えて縮こまってしまうのである。まあそもそも、大抵の人間との対話で怯えて縮こまってしまうのだが。
悪い予想は当たるようで、俺は彼女とペアを組むことになった。初めに、英語での自己紹介タイムが設けられた。まずはペアのうち席が後ろの人、つまり俺の番だったので、
「私の名前は『諏訪 心太』です。よろしくお願いします。」
という、いかにも中学校の英語の教科書に載っていそうなことを言った。あとは何を言えばいいのだろう。英語の授業は同じ学年と学部が集められるから、それを言っても仕方がないし・・・。どうやら俺が紹介できることは残っていないようだった。しかし、まだ先生は自己紹介する人の交代の合図を出さない。周りの生徒の自己紹介音声が聞こえる中、俺と彼女のペアだけが気まずい沈黙に包まれている。彼女の愛想笑いがなんとも痛い。
彼女の、人間が気を遣っているときの独特の口の開き具合から発される微妙な笑みと、俺の、申し訳なさと気まずさから発される微妙な伏し目が四十秒ほど続いた後、やっと先生が交代の合図を出してくれた。俺の人生で一番長い四十秒であった。
「私の名前は『赤城 美穂』です。よろしくお願いします。」
彼女の自己紹介も、やはり俺と同様に中学校の教科書構文であった。しかし俺と違い、彼女のは続きがあった。出身地は群馬県で、今は一人暮らしをしていること、趣味は映画鑑賞であること、犬が好きで、実家で犬を飼っていることなど、俺の自己紹介項目の五倍以上の内容があった。自分の名前以外にも紹介できることはたくさんあったのか。授業が始まって間もなく、俺は己のコミュニケーション能力の低さをまざまざと見せつけられてしまった。
結局、今日の授業で学んだことといえば、俺のコミュニケーション能力はやはり低い、ということだけであった。俺は英語を学ぶよりも、まず日本語での人との交流の仕方を学ぶべきだろう。授業が終わるやいなや、彼女は席を離れて授業前に喋っていたグループへと戻っていった。帰りもまたあの三人組で帰るのだろう。そんなことをぼんやりと考えながら、俺も席を離れ、。授業中に作ったペアや既存のグループで喋っている固まりたちを避けつつ、教室を出た。
一人で授業へと向かい、授業が終わったら一人で速攻帰る。世の大学生の考える「暗い大学生活」というのは、まさにこのようなことを言うのだろう。しかし、俺はこの自分の境遇に改善の必要があるとは思わない。今回の英語の授業でも確認したように、俺は人との交流が苦手なのだ。そんな俺が無理やり人と交流しようとしても、上手くいくはずがない。英語のペアワークの時のような気まずさを再体験するだけである。そうなるくらいなら、このまま単独大学生活を続けるほうが、どんなに快適だろうか。井の中に閉じこもっている蛙は、交流という流れに飛び込んで溺れるよりも、そのまま井の中にいるほうが幸せなのだ。確かに井の中は暗いかもしれないが、蛙にとってはそれが心地よいのだ。
そうやって蛙に対して一方的にシンパシーを感じながら帰路についていると、ポケットのスマホが震えた。俺のスマホが震えるのは、ほとんどの場合メッセージアプリの公式アカウントからの広告の通知であり、これらを開く価値はほとんどない。あとは稀に母が生存確認のようなメールを送ってくる。これは親の愛の証であるため、開く価値は大いにある。今回もどこかの企業の熱烈な販売促進広告か何かだと思っていたが、俺の予想は大外れだった。もちろん母からでもない。
「干葉大学お悩み解決サークル@お悩み募集中!」へのメッセージ。アカウント名、「みほ」。「初めまして。干葉大学1年の、『赤城 美穂』と申します。現在私には、ある悩みがあります。文章で自分の悩みをうまく説明するのは難しいので、近々お会いして相談にのって頂けないでしょうか。返信お待ちしております。」
俺は驚きのあまりそのメッセージを三秒ほど凝視し、その後に二度見した。赤城美穂という名前は、先ほどの英語のペアを組んだ彼女と完全に一致している。そして同様に一年生。まさか・・・。本当に彼女かどうかは、会ってみないとわからない。しかし、あまり気が進まなかった。「干葉大学お悩み解決サークル@お悩み募集中!」というアカウント自体、かなり前に正常な判断ができない状態の脳の命令で生まれた愚行の産物であり、現在の俺はそのサークルの活動をする気は毛頭ないのだ。
それでも俺は、彼女の依頼を拒否することはできなかった。第一に、特に活動する気もないのに、アカウントを惰性で残し続けたことによって、アカウントを見つけた他人に、悩み解決への手助けを期待させてしまったこと。第二に、悩みがある、ということを知ってしまった以上、放っておくのも気がかりなこと。第三に、このメッセージを送ってきたのが本当にあの、明るくコミュニケーション能力の高そうな「赤城 美穂」であるのか気になるということ。これら三つの感情が、俺に悩み相談を受ける旨の返信をさせたのだった。誤解されがちなのだが、コミュニケーション能力不足な人間は、それ故に他人と関わろうとしないけれど、他人に対する人並みの責任感、優しさ、好奇心は備えているのだ。
ウェーブがかった明るい茶髪に、おしゃれというものに極端に疎い俺でもおしゃれだと感じるような服装。二日後、大学構内のテラス席で待つ俺の前に現れたのは、やはりあの「赤城美穂」であった。彼女は俺を見るなり、指が二本入るくらい口を開けた。「ぽかん」という擬音がこれほど合う光景はそうないだろう。俺にとって彼女の登場は半ば想定内だったが、彼女にとって俺の登場は全くの想定外であっただろう。
「諏訪君、だったよね?」
「はい、そうです」
「びっくりしたよ」
「そうですね」
俺もタメ口で話すべきだよな。
「悩み、聞いてくれるんだよね?」
「はい、聞きます。」
タメ口で話し始めるタイミングが分からない。
「とりあえず、外は暑いから図書館の話せるところ行かない?」
「うん、そうしようか」
今のタイミングでよかっただろうか。こんなに短い会話でさえ、俺は悪戦苦闘してしまうのだ。こんな俺が、他人の悩みの解決の手助けなどできるのだろうか。まずは俺のこの悩みを誰かに聞いてもらうべきではないだろうか。そんなことを思いながら俺は彼女と図書館に向かった。
図書館の中、テーブルを挟んで向かいに赤城美穂が座っている。普段友達と集まることなどない俺にとって、授業以外で人と会っているというのがなんとなく不思議だった。そして俺のおむかいさんはといえば、どう悩みを説明したものかを悩んでいるようだ。そんなわけで、顔を突き合わせている二人の間にはえもいわれぬ沈黙が流れており、俺はそれをやり過ごすために自販機で買ったコーヒーを飲んではラベルを見て、またそれを繰り返すという、バリスタに心得がある人間のような動作をしていた。
「私は、友達ができないの」
そう彼女は切り出した。俺のバリスタ的行動が五回ほど繰り返された後だ。そして彼女の発言に対して俺は、全くの理解不能だった。英語の授業で、彼女を構成要素に含む仲良さげな三人組を見ていたからである。それに、英語の自己紹介や、テラスでの会話から察するに、彼女は俺より遥かにコミュニケーションが得意であるのは間違いない。そんな彼女に、友達ができないという悩みは無縁のように思われた。そんな諸々の俺の疑念が、俺のしかめられた眉に表れていたのだろう。彼女は説明を付け加えてくれた。
「えっと、友達ができないっていうのは、なんていうのかな。本当の意味での友達ができないというか。」
何やら面倒なことを言い出したな。
「うまく言えないのだけど、本物の友達ができないというか。」
とりあえず、ぱっと浮かんだ疑問を聞いてみることにした。
「よくわからないのだけど、英語の時に話してたあの二人は友達じゃないの?」
「真央と桃子のことだよね。うーん、わからない。」
先ほどからの彼女の物言いから、「しどろもどろ」、という表現を俺は初めて身をもって理解した。
「遊んだりしないのか?」
そう聞いた途端、彼女の顔が少し曇る。
「遊ぶよ。三人でならね。」
三人でなら。付け足されたその言葉に、看過できない特別な意味があるように感じた。
「三人でなら、か。」
「そう、三人でなら、遊んだりもするよ。でも、私は真央と桃子のどちらかと二人きりで遊んだことがない。というか、二人きりでちゃんと話したこともない。真央と桃子はたまに二人でも遊んでるみたいなのだけど。」
そういうなり、彼女はハッとして付け加えた。
「あ、でもハブられてるとか、そういうことではないの。三人で遊ぶ機会だってたくさん作ってくれるし。」
そうやって付け加えることができる彼女は、きっと優しい人なのだろう。しばし沈黙。彼女がお茶を飲んでいる。
「私が真央とか桃子と二人で遊んだりちゃんと話せない理由もわかってる。三人でいるときも何かの拍子で二人になったときも、私は自分から話し始めたことがほとんどない。いつも真央か桃子が話すのを待って、それに同調したり無難な返しをするだけ。私が話すときだって、ただ沈黙を埋めるための無意味な浅い会話をするだけ。結局、私は真央とか桃子に自分の考えを言ったことがない。いつも誰かの意見に乗っかるだけ。だから、私との会話は相手にとって、相手が話したこと以上の価値が生まれない。だから、私個人の価値なんて相手に見られない。そんなんだからいつも、私はグループの構成要素の一人に留まるだけ。私個人と仲良くしたいって思ってもらえるような、誰かの特別な個人になることができない。高校の時もそうだった。」
さっきまでの要領を得ない話し方とはうって変わって、急に早口に話し始めた。きっと彼女は、漠然と、それでもずっと長い間その悩みを抱え込んでいたのだろう。だから一旦悩みの端が言語化されると、これまで溜まっていた不安、不満が堰を切ったようにとめどなく彼女の言語中枢に押し寄せたのだろう。彼女は話しを続けた。
「私は、大切に思っている人に、私に対して負の感情を抱かれるのが怖い。反感とか、批判とか。そうやって大切な人との関係が壊れるのが怖い。だから、言わなきゃって思っても、自分の考えを言うのが怖いの。本当は私も、自分で話して、大切に思っている人と深く関わりたいのに。」
そこまで言って彼女は、ようやく一息ついた。
「ちょっとトイレ行ってくるね。」
そう言って彼女は席を離れた。
彼女が去った後の席には、バッグが置きっぱなしにされていた。ビーズでできた貝のキーホルダーがつけられている。この手のものは壊れやすいと思うのだが。それをぼんやりと見ながら、彼女の言ったことを反芻する。会話というものはよくキャッチボールで例えられる。それに倣って言うなら、彼女は壁でしかないのだ。キャッチボールで各々が自分なりの球を投げる中、彼女だけは相手のボールをただそのまま跳ね返すだけ。彼女も、自分なりの球を投げたいのだ。
「あ、そのキーホルダー見てたの?」
彼女は帰ってくるなり、妙に食いついてそう言った。
「そのキーホルダーはね、前に真央と桃子と水族館に行ったときに買ったものなんだ。私が貝で、真央はイルカ、桃子はカニなんだよ。」
彼女の顔がほころんでいる。彼女にとって真央と桃子は、間違いなく、彼女の言う「大切に思っている人」なのだろう。
「それで、どうかな?」
先ほどの嬉しそうな顔とは一変して、彼女の顔は真剣そのものだった。どう、というのは、彼女の悩みのことだろう。彼女の問いに対して、俺の感想としては、一言、「難しい。」だった。彼女の問題というのは、彼女が入っているグループで、彼女も自分なりの言葉で会話がしたい、自分の意見が言いたい、ということだ。また、そうやって彼女自身の価値を作って、相手にとって、二人でも遊びたい、話したいと思ってもらえるような人になって、彼女が大切に思っている人達と深い関係になりたいということである。コミュニケーション能力と対人スキルが地を這う俺にとって、異性の、グループに関する悩みなど手に届かないほど高いところにあるものだ。「女の子は、お砂糖とスパイスと素敵な何かでできている。」というのは、マザーグースでの言葉だっただろうか。きっととても複雑なお味がするのだろう。女子一人で複雑ならば、、そんな女子のグループというものはもうカオスといっても差し支えない。つまり、俺の理解の範疇外であるということだ。また、彼女の悩みというのは人とのコミュニケーションに関するものであるが、それは俺が最も苦手とするものだ。俺自身がコミュニケーションの対義語のような存在であるのに、他人のコミュニケーションの悩みに関して解決の糸口を見出すことができるのだろうか。このような諸々の思考をまとめた結果、一言、「難しい。」という感想が出た。そもそも、俺がコミュニケーションと水と油なのは、英語でペアを組み、今日テラスで少し会話した程度の彼女でもわかるだろう。にもかかわらず、なぜここまで正直に悩みを俺に告白してくれたのだろうか。その疑問が無視できないように胸につかえてしまった。
「ごめん、その前に聞きたいのだけど、どうして俺にこんなに正直に悩みを打ち明けてくれたの?テラスで相談相手がコミュ障の俺だって分かった時点で、もっとテキトーに相談事を挙げて、誤魔化すこともできたのに。」
言い終えてから、答えにくい質問をしてしまったと気づいた。だが、彼女は一寸くらいの間を空けて答えてくれた。
「確かに、正直に言うと、諏訪君はコミュニケーションがあんまり得意じゃないのかなって思うよ。だけど、だからこそ、私の悩みを理解してくれると思ったの。全く同じじゃなくても、諏訪君は私と似ているところがあるかもしれないって。」
彼女と似ているところ。それが俺の中にもあるのだろうか。
「それで、どうかな。どうすればいいかな。」
彼女は再度そう問うてきた。俺は井の中にこもっていたい蛙なのだ。だから俺には一つ、直接の解決にはならない考えが浮かんできてしまった。
「聞いたところ、今のままでも、桃子さんと真央さんと三人で一緒に遊んでるし、赤城さんが真央さんと桃子さんと関わっている状態は支障なく続くことができるんだよね。それで、自分なりの言葉を話せるようになってもっと深く関わりたいけど、それで相手に負の感情を抱かれて、関係が壊れるのが怖いんだね。それなら、今は現状維持をして、無難に関係を保つっていうのは、駄目なのかな。」
「うん。駄目。それじゃ、嫌だ。」
即答だった。即答だけれど、言葉を確かめるように丁寧に。そう言って彼女はビーズの貝のキーホルダーを壊れないように恐る恐ると、けれど愛おしそうに触る。彼女が大切に思っている人達。大切だから、嫌われて関係を壊したくない。だけれど、大切だからもっと触れたい。彼女の思いがビーズでできた壊れやすいキーホルダーに強く込められている気がした。しかし、彼女の悩みに対して「難しい。」としか感想を抱くことができなかった俺には、彼女のその想いに応えられる策が見つからなかった。
「ごめん。一回ゆっくり考えてみたいから、今日のところはこの辺で切り上げる形で大丈夫かな。」
そう言うので精一杯だった。
図書館を出て彼女と別れた後、俺は一人家に向かう。道に沿ってところどころ植わっていたタンポポの綿毛も、今はほとんどが高校野球部の頭のような見た目をしている。俺は大学生だが、タンポポの綿毛を飛ばすのが好きだ。大学の授業の行き帰りによく飛ばしていた。けれど、もし俺が誰かと一緒に帰っていたら、その人の目が気になって綿毛を飛ばすことができなかったかもしれない。そういえば、タンポポの綿毛を飛ばしたとき、ばらけて一個一個飛んだ綿毛は遠くまで飛んだが、綿毛同士がくっついて固まりになって飛んだときはすぐに落ちてしまった。結局、誰かと関わるということは、不安、不満が常駐していて、窮屈で面倒臭いことで、手放しに欲するべきものではないのだろう。きっと、赤城もそれを知っている。赤城は、「赤城と俺は似ているところがあるかもしれない」と話していたが、そういう意味では俺と赤城は似ているのかもしれない。しかし、それでも彼女は大切に思っている人ともっと深く関わることを望んでいる。彼女は井の淵の蛙なのだ。現状の、桃子と真央との安心だけれど浅い井の中の関係を捨て、関係が壊れてしまうかもしれないリスクはあるけれどずっと深い大海の関係に飛び込もうとする蛙なのだ。だからやはり、人と関わろうとせず、一人井の中の安寧を享受し続けたい俺とは違うのだ。彼女の意思は固く決まっている。だからきっと、俺は彼女の背中を押すような言葉をかける必要があるだろう。けれどそれは、井の淵に立つ、淡水でしか生きられない蛙を、到底生きられそうもないような大海へ良かれと思ってひと押しする余計な言葉ではないだろうか。結局、彼女の背中を押していいものか分からない。どうか、彼女にとって井の外にあるものが蛙が生きられない大海ではなく、深く穏やかな湖でありますように。俺が確信して言えるのは、それだけである。
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