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「海辺の叙景」 波打ち際の詩情

フランスで、フランス語版の「つげ義春全集」の刊行が進んでいるとある記事で読んだ。第1回目の配本は、短編集「紅い花」だそうだ。

たぶん、今頃はもう発刊されていると思う。


つげ義春の代表作といえば、「ねじ式」か「紅い花」という人が多いだろう。実際どちらも映画にもドラマにもなっているし、他にも様々な作品が映像化されて世に出ている。

しかし私は、この「海辺の叙景」が映像化されているのは見たことがない。もしかしたら、どんな映像作家も取り上げていない作品であるかもしれない。


しかしつげ義春の多くの作品がそうであるのだが、とりわけ昭和41年から45年頃、「ガロ」という漫画雑誌に続々と発表され、人気を博した頃の作品は、ラストに特別な妙味があるものが多い。

「沼」「チーコ」「李さん一家」そしてこの「海辺の叙景」もそのひとつだと思う。


物語はどうというものではない。海水浴に来た海辺で主人公がひとりの女性と知り合う。ただそれだけである。つげ義春の多くの作品がそうであるように、主人公は恋に落ちるわけでも、そこから何か話が展開するわけでもない。しかしつげ義春のような感受性を持った漫画家には、それだけで一編の詩的な作品を編むには充分なのだろう。




場所は千葉のどこかの海水浴場である。

主人公は砂浜で1人で日光浴をしている。と、近くに1人の女性が海から上がってきて、同じように陽を浴びている。ショートカットの魅力的な女性だが、連れの男性がいるようでもある。


その日か、翌日か分からないのだが、主人公は場所を移動して、岩場で釣りを見ていた。なんだか空が少し曇っているようである。

ふと見ると、砂浜で近くにいた女性が、1人で岩場に座っている。と、その時、岸壁のはるか高いところで釣っていた釣り人が、大物を釣り上げる、が、糸が切れて魚は真っ逆さまに海に落ちてしまう。タバコを吸いながらその光景を見ていると、「アア……おしいわね」と女性が言う。

「なんて魚かしら」

「さあ」

「あの...私忘れてきちゃったんですけど」「一本いただけますか」

「どうぞ」

この会話で、2人は知り合う。

先程の男性は宿で知り合った人で、女性は近くの国民宿舎に1人で泊まっているのだそうだ。  

「1人の方が気が楽でいいわ」

と女性は言う。

主人公は、小さい時この近くに1年ほど住んでいたこと、子供の頃この岸辺に土左衛門が引き上げられて、それが子供を抱いた女の人でとても怖かったことなどを話す。所謂ナンパなら、とても不向きな内容だ。

しかしその女性とそうして会話を交わし、一緒に海辺を歩く。別れぎわ、2人は明日、昼すぎにまた来る、と約束して別れる。


ところが翌日は激しい雨で、誰もいない浜辺で、主人公は待ちぼうけを喰ってしまう。

しかし女性は大分遅れてちゃんとやって来る。

それも走って。

「ハァ…しんど」

「女性は傘をさしておらず、主人公は傘を差し出しながら、

「雨だからこないと思った」

「ちょっと仕事してたので遅くなったの」

女性はどうやらデザイナーらしい。

「だあれもいないね」

と言う主人公に

「かえって静かでいいわ」

と女性は応じる。

主人公は、女性に本物のミツマメを差し出す。テングサを採ってきてぐつぐつ煮て、冷やして、そして固めたものがホンモノのトコロテンになり、ミツマメになるらしい。

しばし2人は交流したあと、女性は、

「少し泳ごうかしら」

「寒いんじゃないかな」

「平気よ」「明日は東京へ帰るから泳ぎおさめをしなくちゃ」

「あした……」

「それに私ものすごい勇気出して……」「ビキニ着てきたの」

「すごいや」

「一度これで泳いでみたかったの」

「よく似合うよ」「すごくきれいだよ」「すごく」

「あなたいい人ね」

「……………」

ふたりは雨の中一緒に海に入る。

「あなた、泳ぎ上手ね」と褒められ、主人公は「褒められたからね」「もう一度ちゃんと泳いでみせるよ」そう言って一生懸命泳ぐ。

それを見ていた女性は、「あなた素敵よ」と言う。

そして「いい感じよ」と言うのだが、この最後の一言を言う場面は、見開きの2ページを使って、泳ぐ主人公と女性がシルエットで描かれる。

そこには、今までと違う、突然第三者の視点が入る。主人公を越えた、主人公と女性を離れたところから客観的に眺めている目線である。ここに、不思議な感動が生まれる。


こんな表現が出来るのは、私の知る限りつげ義春だけだ。そしてその描写や表現は、人々を熱狂的に惹きつけてきた。

フランスの全集はきっと成功するだろう。

つげ義春の漫画は、時空を超えて愛されていく。

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