【最後で最高の女】になった女と、利を得た男が語るその後②
自分より先にフレデリックと関係を持った女がいた───そのことに嫉妬を覚えなかったかといえば嘘になる。
アルフレッドからその事実を聞かされた瞬間、イルアは確かに胸が焦げるような痛みがあった。
しかし、それよりも別の感情の方が強かった。
アルフレッドの恋人は、フレデリックに弄ばれ棄てられた結果、精神を病んだ。心を閉ざし、刃物で我が身を傷付け、命すら絶とうとした。
今でも彼女は、言葉を放つことができない。口を閉ざし、心を閉ざし、瞳には何も映そうとはしない。
イルアは、実際にアルフレッドの恋人を目にしてはいない。
けれど一歩間違えていたらその女性と同じ運命を歩んでいたと確信しているイルアは、容易にその姿を想像できた。
だから、アルフレッドからの依頼を受けた。
心を病んだアルフレッドの恋人に同情したのもある。そしてアルフレッドの言葉には騙されても仕方ないと思わせる切実な何かがあったから、というのもある。
でも一番の理由は“ふっ切れた”この一言に尽きる。
とはいってもイルア一人の力では、フレデリックをどうしようもない愚かな男に仕立て上げるだけで精一杯だった。
再起不能にする為には、魔女の力が不可欠だった。
アルフレッドは、イルアの叔母が魔女だということを知っていたのだろう。そして、知っているからこそ、イルアに依頼をしたのだ。
それをあざといと言うか、強かというか、計算高いというか、評価は人それぞれだと思うけれど、イルアはなりふりかまっていられなかったのだと受け止めた。
魔女である叔母は先見の明がある。
その為、以前のように詳しく語る必要はなかった。すぐさまイルアのために、魔女の秘薬を無償で与えてくれた。
秘薬の名前は【永久の微睡み】。
一言で言えば、記憶喪失薬。ただし、薬を飲んでいる間の記憶だけ残る、秘薬中の秘薬。
かつては死んでしまった夫や子供。または婚約者や友人にもう一度だけ会いたいという切なる願いから作られた薬であるが、叔母はそれをイルアの為に特別に調合してくれた。
秘薬を受け取ったイルアは微笑みを浮かべながら、食べ物や飲み物に混ぜ、フレデリックの前に並べた。彼は疑うことなく、それを一月以上口にした。
その結果フレデリックは、ずっとずっと微睡んでいる。
今がどんな季節なのか、月日がどれくらい経過したのか、自分がどんな場所にいるのかわからず、ただただ小さな小さな帝国の皇帝でいられた時間の中だけをさ迷い歩いている。
当然ながら、そんな人として再起不能になった男が次期領主になれるはずもない。
現領主は弟を次期領主にと、苦渋の決断をした。
ただ、体裁を気にしたのだろう。フレデリックは病により急死したと公表した。しかし、彼は生きている。屋敷の地下の、あるいはどこか遠くの診療所で。
ただイルアは、フレデリックがどこにいるのか知ろうとはしない。知りたくもなかった。
彼にとって【最後で最高の女】でいるという事実を知れば、もう十分だった。
アルフレッドのために、お茶のお代わりを淹れようとイルアは席を立つ。しかし、立ち上がった瞬間、アルフレッドに呼び止められてしまった。
「お気遣いなく。そろそろ戻らないといけないもので」
「そうですか。......次期領主となられますから、色々お忙しいですよね」
嫌味のように聞こえてしまうそれを、アルフレッドは笑いながら否定した。
「いえいえ、私は兄より優秀ですから、その辺は上手にやれてます。ただ結婚を控えておりますので、何かと準備が忙しくて」
「あら、おめでとうございます」
(で、その相手はどなた?)
口にしてしまっても構わなかったが、イルアは敢えて言わなかった。
しかし、表情にはしっかり出ていたのだろう。アルフレッドは尋ねてもいないのに答えてくれた。
「あなたの知っている人です。......ゆっくりですが快方に向かってます。こちらの言葉も多少は理解できるようになりましたし、支えがなくてもちょっとの距離なら歩けるようになりました。実は、そのお礼も伝えたくて」
「いえ、礼には及びません」
アルフレッドの言葉を遮ったイルアであったが、少し離れた場所から「一つ貸しだよ!」と威勢の良い声が飛んで来る。師匠は、なかなか厚かましい。
人を再起不能にさせる秘薬を作る悪魔のような魔女ではあるが、時として医者が匙を投げる難病も癒す力を持っている。
叔母である魔女は、フレデリックに罰を与え、アルフレッドの恋人には心の傷を癒す薬を与えた。
その結果、どんな医者でも手に負えないと見放した患者は、奇跡的な回復を見せている。
しかしながら、アルフレッドはもう既にイルアと魔女に謝礼を払っている。
穏やかに過ごせる移住先を見つけ、すぐに住める家も、当分生活するには困らない資金も、希少な魔女の秘薬となる材料も用意し、ルーアと言う名の戸籍までも与えてくれた。
つまり、イルアがルーアとして生きていく準備を、彼が整えてくれたと言っても過言ではない。髪と瞳の色を変えたのは師匠の術によるものだけれど、それはあくまで保険。
人の世に生きる以上、人が持つ権力は絶大だ。
そのおかげで新しい人生を歩むことができたのだから、これ以上何かを望むのは厚かましい。
それに、多すぎる謝礼に魔女が慌ててその一部を返品しようとしたのだって、イルアはちゃんと覚えている。
「婚約者様の件で、また何かありましたらご連絡を。微力ながらお手伝いさせていただきます」
「ええ、その時はどうぞよろしくお願いいたします。新米魔女様がいれば心強いです」
イルアの申し出を、アルフレッドはにこやかに受け取った。
しかしきっと彼はもうここには来ないだろう。もともとそういう約束だったし、交流は薄ければ薄いほど、この復讐を誰かに知られる可能性が低くなる。
「───......では」
「ええ、気を付けて」
“また”という言葉を抜かすと、歯切れの悪い別れになるものだと、イルアは思う。
玄関扉に立つアルフレッドも同じ気持ちのようで、苦笑を浮かべている。
でも、時を惜しむかのようにアルフレッドはイルアに頭を下げ外へと出る。しかし、門をくぐる直前で一度足を止め、振り返ってイルアに深く腰を折った。
(あの人は、きっと良い領主になるだろう。......少なくともあの男よりは)
計算高い一面を持つ反面、愛を貫き通す強さがある。何より口封じの為に自分を殺さなかった。人を生かすことができる人間が領主となる、あの領地はしばらくは安泰だ。
などとお節介なことをつらつらと考えていたイルアは、ぐっと伸びをして気持ちを切り替える。
「さてっと、やりますか」
アルフレッドは新米魔女と呼んでくれたが、まだまだ魔女と名乗るのには未熟で、おこがましい。
そして一人前の魔女と呼ばれる為には、修行あるのみ。
そんなわけでイルアは、腕捲りをしながらキッチンに戻る。
「師匠ー。さっきのお薬、もう一度作りますねー」
「ああ、頑張って失敗しな」
「......」
意地の悪いことを言われても、イルアは今に見てろと鍋を取り出す。
かつてイルアが愛した男は時を止めて、幸せの絶頂のまま微睡んでいる。
しかしイルアは、自ら幸せを掴みとる為に一歩、一歩、目指す所に足を進めようとしていた。
◆◇◆◇ おわり ◆◇◆◇
最後までお付き合い頂きありがとうございましたm(_ _)m