【最後で最高の女】になった女と、利を得た男が語るその後①
日差しが穏やかな午後、窓から差し込む陽の光を受けてイルアの栗色の髪が金に染まる。紫色の瞳は、猫のように細くなっている。
大鍋に入った薬草が独特の香りを放ちながら沸騰した湯の中で踊る様を、イルアはこれ以上ないほど真剣な表情で見つめていた。
「よし。次は……あれ?えっと」
「リンデンフラワーだね」
「あ、そうでした。すみません……って、ああ……また煮出し過ぎてしまいました。重ねて申し訳ありません」
「いいさ、いいさ。そう簡単に覚えられちゃ師匠としたら困るからね。材料はいっぱいあるんだから、何度でも練習をしな。失敗した数だけ上手くなれるもんさ」
見た目は意地悪く、怪しいローブをまとった魔女は、寛容な言葉をイルアに言ってこの場を去る。
手取り足取り教えるのは性に合わないようで、魔女はイルアが困った時だけ的確な指示を与えてくれる。大変、良い師匠だ。
フレデリックと別れて、1年が経った。
イルアは家を売り、魔女こと叔母と共に住処を移した。
新しい住処は、他領地の山間の静かな村だった。遍歴医すら滅多に立ち寄ることが無い辺境の村では、薬草に精通している魔女は医者のような扱いを受けている。無論、つま弾きに合うことも無い。
移住をして、イルアは魔女である叔母に弟子入りした。
まだまだ失敗続きの毎日であるが、それでも魔女は筋が良いと褒めてくれる。多分、師匠は褒めて伸ばすタイプなのだろう。
「ルーア、今日の修業はここまでにしな」
「え?どうしてですか?」
失敗した飲薬を捨て、再挑戦をしようとしていたイルアは、つい不満げな表情を浮かべてしまう。
しかし魔女は苦笑を浮かべながら、窓を見ろと顎で示す。すぐさまそこに視線を移したイルアは、魔女の言葉の意味を理解した。
「お茶の準備を始めておきます。師匠も飲みますよね?」
「ああ、気が利くね。ただ、薬膳茶はやめておくれ。あれは苦くて飲めたもんじゃない」
「……」
一年前に魔女からそれを出され、しかも完飲を強要されたイルアは物言いたげな顔になる。
だが、それでも無言で一般的な茶葉の缶を手に取った。
───カラン、コロン。
来客を告げるゲートベルが鳴る。
イルアは来客を迎えるために玄関扉を開けた。
「いらっしゃいませ。はるばるお越し頂き、ありがとうございます」
「いや、こちらこそ急な訪問になってしまい申し訳ありません」
腰を折ったイルアに、旅服を身にまとった客人は慌てたように早口で言った。
そして顔を上げたイルアに、丁寧に礼を取った。その姿は、まるで貴族令嬢に向けてのそれ。
「ルーア嬢、今日はあなたに改めて礼を伝えたかったのです。中に入っても?」
「ええ、どうぞ。お茶の準備も整ってます。お入りくださいませ、アルフレッド様」
イルアはかつて愛した男の弟───アルフレッドに向けにこっと笑みを浮かべると、彼が入室しやすいように身体を扉に寄せ、手のひらを奥へと向けた。
***
「どうぞ。苦くないですから」
「は?……あ、いえ。ありがとうございます。いただきます」
少し離れた場所で師匠が噴き出すのが見えたけれど、イルアはすました顔でアルフレッドの向かいに着席する。
住まいが新しくなっても魔女の賤家は狭い。
もちろん客間など無いから、イルアはアルフレッドと作業場を兼ねたキッチンのダイニングテーブルで向き合っている。
アルフレッドは謎めいた魔女の秘薬の材料がひしめき合っている異空間に通されても、不満を口にすることも、出されたお茶に警戒することも、不平を述べることもなく、ティーカップを持ち上げた。
「───……兄の葬儀が無事に終わりました」
味わうように飲み干し、空になったティーカップをソーサーに戻しながら、アルフレッドは静かに言った。
「そう」
イルアも同じように静かな口調で答える。知らない誰かの訃報を聞いたような感じで。
「それと、兄は……昼夜問わず、あなたの名前だけを口にしています」
「……っ。そう」
今度はイルアは小さく息を呑む。しかし、すぐに頷いた。
アルフレッドが矛盾する発言をしたことに訝しむこともなく、ただただ、受けた報告を丁寧に心の中に仕舞うだけ。
イルアの選んだ復讐は、自分と同じ思いをフレデリックにさせることだった。最初は。
かつて自分がフレデリックにされたように、狂言を信じ込ませ、そして取り返しがつかないような状況に陥れば良いと思っていた。
何を言われても、どう責められても、自業自得だと言ってやれるように。
だからずっとフレデリックにとって都合の良い女を演じ続けた。
彼を神のように崇めて、信者のように盲目的に慕い、徹底的に尽くした。
その結果、彼はイルアの言葉を受け入れ、その通りにしてくれた。
女性を乱暴に扱うこと。
横暴にふるまうことが、男らしいと態度だと思うこと。
領民を己の私物だと勘違いすること。
誰の意見にも耳を貸さない愚鈍な男に成り下がること。
全てイルアが意図的にした。持てる全てを使って、フレデリックをどうしようもない男に仕立て上げたのだ。
しかし彼が自分が愚かだったことに気付けば、全てとは言わないがある程度は取り戻せるはずだった。
予定通り王都に住む貴族令嬢とだって、結婚できたかもしれない。
しかし、ここでイルアの前に一人の男が現れた。それが、アルフレッド。
アルフレッドはイルアに協力を求めた。兄フレデリックが二度と次期領主の座を望めないよう、徹底的に潰して欲しいと。
彼もまたフレデリックの被害者だった。
幼少の頃から兄より優秀だったアルフレッドは、フレデリックから陰湿な嫌がらせ行為を受け続けていた。
それだけなら、アルフレッドはある程度の年齢になったら自立して、兄と距離を置くことで身を守ることができた。
しかしその前に、フレデリックはアルフレッドの恋人を奪った。
いや、奪っても責任を取るならまだ良かった。
寝取られた事実は深い傷となるが、自分にも非があったと無い理由を探して遠い地へ流れればいつか傷も癒えるだろう。
兄と恋人が末永く幸せになるなら、何とか折り合いをつけることもできた。
けれどフレデリックは、力づくでアルフレッドの恋人を奪ったのにも関わらず弄ぶだけ弄び、子供がおもちゃに飽きるように捨てたのだった。