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狩りの流儀

『コイツが何か説明してみろ?』


 もう何度も問われた『おじいちゃん』の言葉がキリィの脳裏に蘇る。地面を踏みしめた獣の痕跡を指先で触れる。

 自分の背後に『おじいちゃん』を感じる。狩りはいつもそうだ。キリィは頬が緩むのを必死に止めた。気を抜いたりしたら、きっと『おじいちゃん』に怒られてしまうからだ。

 そんな険しい顔をしなくても大丈夫だよ、おじいちゃん。ちゃんとわかってます。これは『ぼあぼあボア』の寝屋だね。もう『ウスワライディア』と間違えることはないよ。ここにいたのはオスだね。二日くらい前かな。あっちに足跡もあるね。結構大きいけど、『ぼあぼあビッグボア』じゃなさそう。きっと『ぼあぼあボア』の成年だ。でも向かった方角がよくないかも。このままじゃ別の寝屋開拓で山を降りちゃうかもね。

 キリィはここにいた獣を脳内に描いていく。手にしている弓をぎゅっと握りしめる。

 獲物は決まった。葉擦れの音がキリィの神経を研ぎ澄ましていく。

 痕跡を追う。この辺りにまだいる。ここにある全てにその痕はたくさんある。風が運ぶ森の香に混ざり、獣の臭いがする。そう遠くはない。むしろ敵意と共に近付いてくる。

 少しテリトリーに入りすぎたことに気付く。キリィは鋭い眼差しで周囲を警戒した。『ぼあぼあボア』は普通のボアと同じように幾つもの寝屋を持つが、彼らとは違いテリトリーに入ってきた異質に敵意を剥き出しにする。

 キリィは自分の背を守るように巨木まで後退した。ゆっくり、ゆっくり。


『どこに身を隠すか、見極めろ。なんでも利用しろ』


 キリィは不敵な笑みを浮かべ、軽く跳び上がる。その軽やかすぎる高い跳躍で、右手を伸ばして木の枝に掴まる。その腕の力だけで更に飛び上がり、その枝に静かに着地をする。近くにいた鳥さえも彼女の着地には気付いていない。獣のような逞しさと羽毛のような軽さがなければ出来ない動きだった。

 これは『おじいちゃん』に教わったことではない。彼はこんなこと出来ないだろう。彼ならきっと気配を消して木々の間に潜むだろう。短い時間で持っている罠を設置するかもしれない。しかし、なんでも利用しろと教わった。だからキリィは己の力を余すことなく使うことにしている。

 風に揺れるような枝にしっかりと直立し、矢筒から一本矢を取り出す。まだつがえない。

 キリィはすぅと静かに息を吸うと、ゆっくりとした呼吸と共に目を細めた。葉の揺らぎが教えてくれる獲物の位置を捕捉する。熱気のような殺気が近付いてくる。あちらもまた『獲物の臭い』を捕捉したようだ。徐々に速度を上げている。まだ若い草木を薙ぎ倒し、猪突猛進とはまさにこのこと。キリィは小さな笑みを作った。

 キリィは大ぶりの長弓を慣れた手付きで構え、矢をつがえた。女性の手には余るような弓だが、キリィは難なく引く。矢の先をぴたりと、森の中を動いているであろう獲物に合わせる。まだ姿がしっかりと見えぬ獲物でも、それがどんな動きをしようと、獣の眼窩から頭を撃ち抜ける自信がキリィにはあった。しかし、決して油断はしない。


『確実に仕留められるまで待て。早まるな。外せば大抵の獲物が逃げてしまう』


 そう教わった。実際その通りだ。ほんの少し気が抜けた時に外すものなのだ。外れれば獲物は逃げる。『ぼあぼあボア』もそうだ。逃げても別に追って狩ることは出来るが、キリィは自身の――しょうもない――慈愛の心からどうにも追撃が出来なかった。

 私の矢が外れたなら、それはきっとその生き物は生きろってことなのよ。

 キリィなそんな風に理由をつければ、『おじいちゃん』は即座にぴしゃりと言うだろうか。


『そんなわけあるか。お前が外して獲物が逃げた、それだけだ』


 近くの木立が揺れだした。土煙と空気を揺るがすような獣の足音が響く。近くにいた鳥たちはとうに飛び立っている。近付いてくる獲物が木々を抜けきった瞬間を見計らい、キリィはその矢を放った。

 同時にキリィは己の過ちに気付いた。

 風切り音は矢と共に鋭く。獣の身体を貫き、地にまで潜るかのようであった。

 しかし、その矢は地どころか獣の体内にも潜り込むことはなかった。矢はその獣の頭部にしっかりと当たり、その分厚い毛皮で阻まれたのだ。

 勢い付いて突進をしてきた獣は、自身が矢で狙われたことを理解しても逃げたりはしなかった。むしろ速度を上げて、自分に矢を射った敵がいる巨木に頭突きをした。

 たった一撃はその巨木が長年かけて大きくしたその幹の半分を砕いた。強い衝撃と共にキリィの足元はぐらりと揺れる。

 獣は数歩下がると、短い助走で再び巨木に突進をした。

 巨木だったそれはゆっくりと倒れだした。それでもその枝の上で未だにキリィはバランスを崩すことなく立っていた。


『まだちゃんと見分けられていないみたいだな』


 キリィは嘆息した。大きな『ぼあぼあボア』だったのではなく、小さめな『ぼあぼあビッグボア』だったのはどうしようもないことだ。『おじいちゃん』ならば勘でわかるのかも知れないが、この二種の見分けは体格体型と狂暴性くらいなものだ。

 まぁ……確かに『ぼあぼあボア』にしては血の気が多かった気がしたが。と、キリィはほんの少しの自省と共に近くの木に跳び移った。

 キリィは獲物を見下ろした。『ぼあぼあビッグボア』はまだこちらを捕捉していた。同じように、敵のいる木を突進しようと息巻いている。

 この獣は早い話が、奇形の『ぼあぼあボア』だ。牙を含む骨が通常のものよりも肥大し、それにともない筋肉も大きくなり、毛皮も分厚く硬くなっているのだ。先程の一撃は『ぼあぼあボア』の眼を撃ち抜くつもりだったが、『ぼあぼあビッグボア』ならば位置も少し違う。外せば硬すぎる毛皮や頭蓋骨に容易く阻まれる。キリィでもそうなのだから、『おじいちゃん』も同じだ。

 キリィは矢を取り、弓を構えた。『ぼあぼあビッグボア』も駆け出した。

 キリィはすぐさま弓を引き絞り、矢を放った。矢が疾風よりも鋭く獣の目に到達する前に、キリィは再び矢を手に取る。

 矢は正確に『ぼあぼあビッグボア』の目を射抜いた。生き物たちが動きを止めたくなるような獣の絶叫が響き渡る中、キリィは冷たい表情でもう一度矢を射る。激痛に頭を振る『ぼあぼあビッグボア』のもう片方の目に、非情にも矢は抉り入った。

 両目を貫かれて視界を潰され、バランスを崩しながらも、その『ぼあぼあビッグボア』は突進をやめることなかった。キリィがいた木まで、死力を尽くして駆けていた。

 キリィは近付いてきた根性のある小柄な『ぼあぼあビッグボア』を見下ろし、獣が木に激突した瞬間に、その背に飛び降りた。

 痛みと苦しみと衝撃に前後不覚になり暴れまわる『ぼあぼあビッグボア』に片手で掴まり、キリィはもう片方の手で腰に携えた大ぶりの刀を手に取る。


『あんまり苦しませてやるな。同じ命なんだ』


 何度も言われた『おじいちゃん』の言葉を反芻しながら、キリィは今から狩る『ぼあぼあビッグボア』の頭に言葉をかけた。


「次はこの地ではなく、静かな神界で出会えますよう。あなたの命は私が貰う。我が名はキリィ。神界の門番にその名を伝えよ」


 その静謐な声が鳴き叫ぶ獣に聞こえたかは定かではないが、キリィは祈りの言葉と共に獣の首に刃物を突き立てた。小動物相手であれば容易く首を落とせるようなその刃でも、この『ぼあぼあビッグボア』の首を貫くことはなかったが、それでも獣の喉奥に深々と潜り込んだ。キリィが手を捻れば、開いた肉から血が噴き出す。

 獣はそのまま倒れ伏す。幾度か激しく痙攣した後、動かなくなった。静かな時間の流れに消えたのだった。


『よくやった』


 死骸の上でキリィは小さな笑みを浮かべた。

 感傷も僅かにキリィは降りて、血に汚れたその毛並みを撫でた。

 ……さて。『ぼあぼあビッグボア』を狩ってしまった。しかもこれは毛皮が実に良い個体だった。きっと肉質も良いに違いない。一刻も早く運んで解体しなくては。

 運んで解体する労力と時間と売値と……、俗世間的な考えに頭を巡らせながら、キリィは自身の身体の何倍もの大きさの『ぼあぼあビッグボア』の運搬に取りかかった。

 全部終わったら、ライラにお茶とお菓子を出してもらわないと。お茶にはたっぷりミルクを入れる。使った体力を取り戻すくらい。例え夕飯前になってもね。


『早く運べ。何度も言わんとわからんか』


 何度も聞かされた『おじいちゃん』の小言が脳内で始まる前に、キリィは緩みだした頬を軽く叩いて渇を入れた。


『ウスワライディア』

 ディアの中でも、雌雄共に頭部に最も大きく平たい角を持つ種。大きい角に見合うだけど体躯である。本来はそのいかつい角を評して『大クラウンディア』という名前もあるのだが、多くの人々の心に残ったのは、その大きな角よりもいつどこの角度から見ても小馬鹿にされているようにしか見えない特徴的な口の作りの方であった。そのため、通称であった『ウスワライディア』の方がいつの間に一般的となった。近年の研究では、他の表情もあるらしいのだが、目撃情報はあまりない。言えば幻覚を疑われることもある。

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