はじめての乳搾り
「なんですって? 奴隷を頼んだんじゃないわよ」
「そうは言うけどね、姐さんよ。姐さんが提示した金額で雇える登録された雄ミノタウロスなんていやしねぇよ。奴隷でだって買えやしねぇ。この雌ミノタウロスの奴隷は俺が相当頑張ったんだぞ」
自分の目の前で繰り広げられるやり取りを、雌ミノタウロスのライラは死んだ目で見ていた。
買い手がついたと言われ、無理矢理檻から出され、長い道中をひたすら歩かされた。その辿り着いた先の森の小屋で待っていたのは、一人の女狩人だった。茶色の長い毛と革の上着の間に、白い顔が浮いているようにライラには見えた。年齢も美醜もよくわからないが、肌に張りがありまだ若そうだとライラは思った。
人間の社会事情はよくわからないが、こんなところに一人で住む若い女など相当おかしな奴に違いない。このまま破談になるのもいい。その場合はここで殺されるが、閉塞していく一生ならそれも構わない。ライラは疲れた心でそう考えていた。
女狩人は唾を飛ばす剣幕でその商人に詰め寄った。
「大体ね! 女の人をこんなところまで歩かせるんじゃないわよ! どういう神経しているわけ?」
「そこぉ? いや、ミノタウロスは人間より体力あるから!」
「彼女、疲れた顔しているじゃない!」
「目が爛々として元気いっぱいの奴隷なんているわけねぇだろ!」
両者共に熱くなり、終わりの見えなさそうな人間のやり取りに、ライラはこっそりと嘆息する。
自分の胸でよくは見えないが、落とした視線の先にあるであろう『手枷』のことを考える。自分に壊せるだろうか。特殊なこれは同種の雄でも無理と聞く。それにこれを外して、この二人をどうにかして逃げたところで――。
このまま破談になった場合のこと、逃げた場合のこと、熱く苦しい身体。ライラは鬱々とした思考に落ちていった。
耳がうまく機能していないかのように、人間二人のやりとりが遠くなっていく。
「私はね、ちゃんと賃金渡すから住み込みで狩りの手伝いとかして働いてくれるミノタウロスが欲しかったの!」
「でもあの金で雇える奴はいねぇの! ここで姐さんがどんなに喚いても、もうあの金は戻ってこねぇし、この雌ミノタウロスは姐さんのものなんだよ! 雇いたいなら勝手に好きにすりゃいいだろ! そうじゃなきゃ、ここでこいつを処理しなきゃならねぇんだよ!」
「なんですって? 処理ってなによ!」
女狩人は悲鳴のような声をあげた。小屋の屋根に止まっていた鳥が飛び去ったのをライラは見た。
商人は肩をすくめた。
「当たり前だろう、姐さん。あんたが受け入れてくれないなら、野放しにするわけにもいかないから、『手枷』がついている内に、殺すしかねぇんだよ。まぁ殺さなくてもこいつは子供を産んだばかりのバトゥーヨ種だから、乳搾らねぇとそのまま病になって十日もしないうちに死ぬらしいけどな。『手枷』で、今こいつ自分で乳搾れねぇし」
「なんてこと!」
女狩人が商人を押し退けて駆け寄ったことで、ライラはようやく我に返った。
どうしていいかわからずライラが棒立ちになっていると、女狩人は背伸びをしてライラの汗が流れる頬を拭った。
女狩人は商人に向き直った。
「うちで雇うわよ。さぁ、あんたは帰ってちょうだい。しばらく顔も見たくないわ」
「あーそうかいそうかい! また来てやるよ!」
商人は捨て台詞にそういうと踵を返していった。
唐突に自分の末路が決まったことに、ライラは気が抜け、膝をついた。本来であればすぐに立たなければならないのだが、この女狩人なら許してくれるのではないか、ライラはそう思い、その直感に甘えた。
ライラの予想通り、女狩人は気遣わしげにライラを覗き込み、手にした布でライラの汗を拭い続けた。
「大丈夫? あなた名前は?」
「ライラ……」
「ライラね。私はキリィ。……ライラ、今一番してほしいことはなに? 何がつらいかしら」
「……胸を」
女狩人キリィの言葉に、ライラは掠れる声で答えて、自身の胸を見た。服とは言いがたい汚くなった布で隠された胸は、貯まった乳でがちがちに固くなっていた。痛くてしかたがない。今も乳首から乳が溢れ漏れてはいるが、それだけではとてもじゃないが出しきれない。
「……搾乳、していただけますか」
「ささ、搾乳ぅ?」
ライラの願いに、キリィはすっとんきょうな声をあげ、慌てふためいた。
「そ、そうよね。お乳搾らないと病気になるのよね。ちょ、ちょっとまってね。えっと……失礼します」
キリィは動揺しながらも、ライラの服をぺらりとめくった。キリィがわかりやすく目を剥くのがライラには見えた。人間の胸とは違うのだろう。
「こ、これどうすれば」
「……胸を軽く揉んでから、乳首の根本を握って――」
「乳首握るの!?」
「上から引っ張るように……とにかくなんでもいいです。少しでも出してもらえれば」
「わ、わかったわ。ごめんなさいね。えっと、えっと」
そう言いながら、キリィはライラにはよくわからない動き――手足を小刻みに落ち着きなく動かしていた――をし、そして深呼吸をしはじめた。
奴隷に謝罪をする主がいるのか。
ライラは呆れながらキリィを待った。
キリィが恐る恐る、ライラの胸に手を伸ばした。揉もうとしているのだろうが、妙な力の具合が擽ったかった。
「がっちがちじゃない……」
「乳が貯まっているのです」
「そ、そうよね。で、では………………ああ、だめ! なんか恥ずかしい!」
「……」
早くしてくれ。両手で顔を隠し悶絶するキリィをライラは半眼で見た。
「……牛の乳搾りと一緒です。恥ずかしさなど感じる必要がないのです」
「全然ちがうわよ! いえ、やるけれども! やってやるわよ!」
キリィは自分の頬を叩き、もう一度深呼吸をすると、ようやくライラの乳首をむんずと掴んだ。掴んだだけでその乳首からは乳が勢い良く飛び出した。また絶妙な力加減だった。背中が泡立つのをライラは感じた。
キリィは強張った顔で黙ったままライラの乳首を引っ張り、乳を出し続けた。下手だなとライラは思ったが、それでも胸が楽になっていくのを感じる。
四つの乳が順々に搾られていく。静かな作業をライラは目を閉じて待った。鳥の声が聞こえる。風が心地よい。久方ぶりに感じる解放感のようなものをライラは全身で感じていた。
「……もしかして、このお乳飲める?」
不意に尋ねられ、ライラは目を開けた。目の前には主になったはずの人間が、自分の乳に顔と服を汚しながら無垢な目で見上げていた。
ライラは淡々と答えた。
「……飲む人間もいるでしょうね。我々バトゥーヨ種は元々人間が乳をとるために作ったらしいですから」
「そうなのね……勿体無いことしたかしら」
「……さぁ」
「ミルクなんて街に出なくては飲めないのよ。今度飲んでみていい?」
「……お好きにどうぞ、主様」
ライラは隠さず呆れたような声で答えたが、キリィという主はまるで気付かないようだった。
このキリィという人間が相当おかしな奴であることはライラにもよくわかった。よくわかったが、悪い人間でもないようなのも、よくわかった。
雇われるといったが、悪くないのかもしれない。心残りは一つあったが、ひとまず自分の置かれた状況が良くなったことを、ライラは秘かに感謝した。
「ところで『手枷』の鍵は?」
「……あの商人が持っていましたが」
「なんてこと! 受け取っていないわ!」
感謝したが、まだまだ受難はありそうだった。ライラは深いため息をついた。
バトゥーヨ種:人間の魔術師によって改良されて造られたミノタウロス。雌は一度子供を産むと、その後は半永久的に乳をつくり続ける。その乳を排出しないと病にかかって死ぬため、管理が難しく、雌は奴隷としては不人気。バトゥーヨ種の乳は乳牛のそれと近い味らしい。